死に損なった2人のコンテンツ大学(現実を夢のように生き、夢を現実のように生きる)~~第1回テーマ:「冷えた令和」から「微熱の昭和」へ

第1回「前半」口上:歌謡曲の微熱

2020年冬から2022年夏までの2年半のコロナ禍。当初はリモートを嘆く声が専らだったが、リアル再開の頃にはリモートを望む声に反転した。反比例して、授業で歌謡曲を聴かせると「J-POPよりずっといい!」という学生が激増した。60年代後半のアメリカンポップスを聴かせても同じだった。どうしてなのか。

学生たちと討議して分かった。第1は「詩的言語」問題。16ビートにのせたJ-POPのリリックに比べ、8ビートにのせた昭和のリリックは情報量が半分。なのに喚起的=体験を思い出させる・想像させる。つまり散文言語ならぬ詩的言語。proseryならぬpoetic。だからプロが書いた。J-POPの歌詞は所詮は素人レベル。

第2は「サウンドスケープ」問題。歌謡はtogethernessの中で聴かれた。茶の間・蕎麦屋・喫茶店・海の家・商店街…。だから歌謡曲の音を聴くと音風景を思い出す。音風景から当時のtogetherな風景を思い出す。今はヘッドホンやAirPodsで一人で音を聴く。音風景もそれで思い出せるtogetherな風景もない。

だが学生たちには歌謡曲を聴いて思い出せる風景はない筈。なのに歌謡曲がいいとは? 尋ねて判った。歌詞はproseならぬpoem。だから文脈を惹起する。惹起されるのはtogethernessの微熱。その思い出はなくても、あった筈の微熱を代補する。「昭和の微熱」を想像してわくわくする。昭和を知るには歌謡曲なのだ。

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第1回「後半」口上:「ここではないどこか」の微熱

サブカルチャー史を研究すると、PARCOオープンに伴い、区役所通りまたは職安通りが「公園通り」と名前を変えた1973年に、「ここではないどこか」から「ここの読み替え(読み替えられたここ)」へとコミュニケーション・モードが変わった。当初は「シャレ」(ビックリハウス!)だったが1978年から「オシャレ」に変わった。

御存知のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が象徴的だ。小汚い東京も、ウォークマンでYMOを聴けば、オシャレなTOKIOに早変わり(笑)。もちろん細野晴臣(ビックリハウスに常連で登場)一流のシャレだったが、伝承記憶を喪失した世代はマジガチで「オシャレ」だと受け取り、この勘違いゆえに大ヒットしたのだった。

「先日までの風俗街が、今日からはデートスポットに」が当初は「なんちゃって(笑)」だったのが2学年下から「マジガチ」に変わった。ここを読み替えるためのカタログ雑誌(植草甚一編集宝島)が、デートマップ(POPEYEやOlive)に変わった。敢えて読み替えた記憶が消え、若者はナンパ系とオタク系に「分類」された。

「ここではないどこか→ここの読み替え→記憶喪失(マジガチ)」。「ここではないどこか」は異界の観念と一体だったから異界が消えた。異界とは①悪所(色街・芝居街)、②裏共同体(やくざ界隈)、③もののけ界隈。総じて逃避所evacuationだ。それが失われて生き辛くなり、ひきこもり(当初は登校拒否)も生まれた。

歌謡曲や60年代コンテンツの「微熱=眩暈」は「愛欲・情欲や、来るべき未来や、学園闘争」を指したが、全てが消えた。例えば愛欲・情欲は死語になって性欲に縮退し
た。加えて、70年代末に生じた「街の記憶喪失」を見ると「微熱=眩暈」が異界(色街・やくざ界隈・もののけ界隈)と元々一体だったことも判ってくる。

異界喪失は新住民(土地に縁なき者)によるジェントリフィケーション(環境浄化)と一体だった。どこまでも続くフラットさ=つまらなさ。伝承記憶と結びついた⟨ここ⟩記憶喪失の「ここ」に頽落、生き物としての「場所」が機能的「空間」に頽落した。ゆえに微熱の回復を企てる者は60年代コンテンツを注視せねばならぬ。

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第1回教材

アピチャッポン・ウィーラセタクン『トロビカル・マラディ』2004

黒木和雄『祭りの準備』1975

※本作のプロデューサはダースさんのおじいちゃんである大塚和[かのう]氏

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補助教材:

若松孝二『ゆけゆけ2度目の処女』1969

足立正生『銀河系』1967

鈴木清順『殺しの烙印』1967

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