体験デザイン研究所「風の谷」 第1回イベント 「原生自然と人」口上3「共同身体性がないと、仲間も恋人も家族もできない」 by宮台真司

93年に東京都立大学に着任した途端に或る体育会系サークルの部長が研究室を訪れた。インターハイを目指した合宿が成り立たなくなった。協働的・共同的な達成を目標に出来なくなった。強化合宿に誘っても「フィットネスのために入ったので」などと断られるのだと。

このモードは今も変わらない。その20年前。73年に僕は麻布中学の空手部に居た。夏休みには志賀高原で合宿。冬休みと春休みは校内合宿した。雪降る中で砂場に水を張り、腰まで使って組手した。夜中にこむら返りする者も出たが、合宿終りには共同的達成に咽んだ。

山科盆地に居た小5の頃。「あの山を越えたら琵琶湖ちゃう?」と3人で山に入った。登山道がある訳じゃなく途中で迷った。僕の水筒のキャップに1㎝のコンパスが付いていて助かった。昼過ぎに出たのに石山寺の境内に出たのが日没後。疲れ果ててヒッチハイクで戻った。

近所の森でレイテ戦帰りの老人が居て私塾を営んでいた。京大の先生だったが勉強は半分で残りは遠征。山に入ってスズメバチの巣を燻してゲットした。瀬戸内海の無人島に漁船で渡った(「伏せろ、巡視艇だ!」)。野良犬から生まれた6匹の子犬を担当を決めて育てた。

川で泳ぐのも、小川の笹舟を追いかけるのも、ブロック塀の上をどこまで歩けるか試すのも共同的体験だった。夜祭りで見あげたら源氏蛍が乱舞していて仰天したのも、屋台で買喰いしてた仲間との共同的体験だった。「だから」仲間の家で夕食を食べて寝泊まり出来た。

25年前から映画批評で「共同身体性」と呼んだ。物や体のダイナミズムに共通にコールされて中動的にレスポンスする営み。仲間が一緒だと「恐くても恐くない」「悪くても悪くない」「信じられなくても信じられる」。ところが、80年代以降の小学生からそれが奪われた。

僕は昨日みたく思い出せる。80年代後半に郊外や地方都市から「恐くても恐くない」という微熱が「新住民化」で失われた。だから週末に中高生が東京のストリートにやってきた。住民はいないから「アジール=法外」。郊外や地方都市が冷えてもそこには「微熱」があった。

昼までに高速バスで来て、援交で稼ぎ、夜はクラブでオールする子らを取材し続けた。クラブ番組も作った。でも96年秋に終り、「KYを恐れてキャラを演じる」営みが蔓延。要は「過剰を恐れて平均を演じる」営みだ。オタクがコミュニカティブになり、性的退却が進んだ。

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僕は過記憶。過程を細かく記憶するから観察眼がある。最近は身体性を主題にすると若い人の参加ハードルが上がってトークイベントに集まらない。性愛関連のトークイベントでも生じるが、性交を切り離してコミュニケーション能力に話を振れば、やっと若い人が集まる。

10年前まで性交体験のつまらなさを語る女子が大勢いた。今は女子の間でその話題は御法度。キモい・ヤリマンだ・性愛中毒だとディスられる。つまらなさに悩む女子は今も居て、実際各種統計を突き合わせると「歳の差○○」が拡がっている。でも女子は話題にできない。

80年代後半の新住民化期に小学生だった男子が成人する90年代後半から、男子の意識が共同的達成ではなく、個人的達成=フェチ的達成に向かうようになった。AVの悪影響とは言えない。「女優の物語からフェチ的おかずへの頽落」自体、受け手男子の劣化によるものだ。

男子の劣化を5年遅れで女子が追う。「願望して期待する」→「願望しても期待しない」→「そもそも願望しない」という展開。その生態学的な前提・被前提関係を遡ると「共同身体性の享楽」から見放された「育ちの悪さ」が浮上する。それを放置して実りある性愛はあり得ない。

再び現状分析。身体能力関連のイベントのハードルが上がる理由。ある精神科医と話し込み、「自分の身体能力への自信のなさ」もあろうが、運動部合宿の如き「身体能力関連の集団行動自体のハードルの高さ」もあろうと結論を得た。そこで宮台は2通りの仮説を立てた。

①偉そうな口を叩く自分の身体能力の低さが仲間に露呈して「使えないヤツだ」とバレるのはイヤ。②運動部合宿に限らないが、「共通目標に向けた集団行動」で「使えないヤツだ」とバレるのがイヤ。その精神科医も、阪田氏周辺も、「たぶん間違いないな」と同意してくれた。

93年の『サブカルチャー神話解体』の伴概念は「自己selfの恒常性維持」という自我egoの機制。①も②も自我の自己防衛機制。仲間や恋人や家族を得るには機制を克服して「自己はどうあれ相手を幸せにしたい」と思えなければならない。どこから。まずは共同身体性から。

最後に朗報。リマインディング・セッションを施せば、殆どの「青年」にはまだ「共同の身体的達成」つまり「共同身体性」の記憶が、折り畳まれていても在る。特に激しい武術やスポーツの経験があれば間違いなく在る。男女共これを「思い出し」、諦めの外に出ようではないか!!


[コンパスがキャップについた水筒]

[見て置いてほしいコンテンツ]
長久 誠監督_そうして私たちはプールに金魚を_2017


宮台真司(社会学者)
阪田晃一(キャンプディレクター)

イベントのご案内
2024年7月18日開催【シリーズ|原生自然と人】能登半島の隆起した海をカヤックで漕ぐ〜語り手は森本崇資(キャンプディレクター)、ホストは宮台真司・阪田晃一


体験デザイン研究所風の谷


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