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うつ闘病日記 7/17-7/20 〜色々ありました〜


1週間を振り返って

率直な感想としては、何とか今週も生き残ったなという感じです。
時には天候の不良や胃痛による不眠で、休むことも考えましたが、出社し続けました。
これが吉と出るか凶と出るかは、休日の過ごし方や自分の認知の是正や取り組み次第かなと思います。

目立った出来事


・仕事の新たな段階


これは今の仕事の出来が良くないことには、ないことだったと思うので、一先ずは近日の新しい業務がしっかりと行えているようで良かったです。

・仕事のPCトラブル

これにはかなり煩わされました。PCが正常に動かない事には何も出来ないので。
結果、PCを使う仕事は一時的に他の方に肩代わりして貰うことになり、専門の窓口に電話をかけたり申請をしたりと大変でした。
また、こうした一連の手続きで自分のコミュニケーションの障害や頼ることの下手さ、説明・伝えることの下手さに直面し落ち込みました。
途中からは社員の人の何気ないボヤキも、自分の事ではという被害妄想で動悸がしてきたので、イヤーマフをしながら仕事をしました。

・目に余る先輩の言動について上司への直訴から、人を部分に分けて全体的な判断をするようになった


私は学校でいじめに遭って引きこもりになって自身の特異性を自覚して以降は、人を『危険な人や自分を嘲笑う可能性のある人』『合わない人』と『そうでない人』で認識していました。それはトラウマと自衛のためです。
しかし、目に余る言動を取っていた先輩については、私はお世話にもなればパワハラ紛いの攻撃や陰湿なチクチク言葉も喰らいました。
そこで直訴までは先輩を『危険』フォルダーでだけ認識をしてたのですが(何しろパワハラ紛いの事をされたので)、他の人のセンシティブ情報をばらまいている事実に我慢ならず上司に直訴したことを機に、先輩への恩義も思い出しました。
そこで人として分類すると言うより、悪い面・良い面で区別すること、その包括的な見方を出来ていなかった事に気が付きました。

一つの事で人を嫌いだしたら、キリがありません。
重要なのは総合的に判断する事だと、恥ずかしながら成人して随分と経ってようやく学びました。

・やはり被害妄想や人の目が気になる。人に視線が引っ張られ、自分でも困る


これが一番きつかったです。
私には数々のトラウマがあるため、本当に辛かった。

参考についてはこちら↓
※虐待や犯罪被害の話が中心ですので、ご自分の悪くなりそうな方はお読みにならないことをお勧めします※

これらに被害妄想が加わると、自分の視線が異様になってしまって(専門用語で“再演“と言います)、似る位なら舌を噛みちぎって絶命してしまいたい父に似ていっていやしないか恐ろしくて堪らなかったです。

それでも体調が悪くても出社し続けた動機の一つ

特性上、攻撃的な言動が目立ちしばしば周囲から不評を買う後輩がいたのですが、その後輩の仕事の流儀の一つが『どんな状態でも出社だけはする』でした。

彼は彼で不眠を抱えており、悪夢が連続するから薬の副作用かもしれないとのことで相談を受けたことも、彼の攻撃的な特性で言いがかりをつけられたこともあります。
同時に彼は人から嫌われている自分を自覚して、孤独感を覚えているようでした。

でも彼は一度も落ち込みや孤独感を理由に休まなかった。

そんな彼が、特性を知っている上司からすら白眼視されても致し方ないような事をしでかしたのですが、その後日も彼は凛とした姿で社内を闊歩してました。
孤独もあるでしょう、またやってしまったという自責の念や自分の特性への呪詛もあるかもしれません、またここで休んでたまるかと言うプライドや意地もあるでしょう。

いずれにせよ、その姿は私には立派に見えました。 

周囲の人から褒められ仕事も上がり調子の時に出社することは、極めてイージーです。追い風しか吹いていませんから。
ところが、これまで庇ってくれた上司ももう庇ってくれないかもしれないと思うほど、何よりその場にいた全員が言葉を失うほどの失態の後にする出社は、ハバネロソースをドリンク代わりに飲みながら歩く位には辛いです。

その人にしまったという自覚がある場合。
そして彼はその自覚がある人でした。

たけらこそ、いつも通りの腹が立つほど仕立ての良い服に選民意識が高そうに見える高慢そうな雰囲気を目にしても、立派だと思ってしまいました。
内心色々と思っているだろうに、表面上の様子はあまりにもいつも通りだったから。
正直、彼という人間を好きになることは私の性格上、出来ないでしょう。
でもその部分だけは立派だと思い、身が引き締まりました。

その姿が私を体調不良の中でも出社させていました。
後輩に知らない内に教えられていたのです。

1週間を終えた今

虚脱感に支配されています。

希死念慮あり、親族の理解・支援も障害年金もなし、薄給でパートナーもなしなら致し方ないと言えば致し方ない。

誰のために働いているのか?
分かりません。
誰のために生きているのか?
分かりません。
でも、そもそもそんなもの分からなくても良いんじゃないでしょうか。
或いは今の私には分からないのかもしれない。未来の私なら知っているのかもしれません。

床に落ちたA4用紙より薄く、空気が抜けてぺしゃんこになった人型のロボットの様な自分。

7/19夜はまた過食をしてしまいお菓子を詰め込み、結果、眠りが浅くなり中途覚醒したら、また無意識にアイスを食べ、おまけにそのまま寝てしまい、起きたら溶けたアイスをひっくり返し深夜に床掃除をしました。

どうしようもないな、と今落ち込んでいます。

それでも朝はやって来て、通院のために外出をしています

1週間で良かったこと


・何とか休まずに出社した
・夕食の温めて食べたピザの熱々にとろけたチーズが美味しかった
・新しいプロジェクトのアサインがあった
・無事に先輩の言動の危険さの直訴が通って、問題が収束しそうな気配が見えた
・新しいTシャツのデザインを褒められた

最後に


どんなに情けない夜にも朝が来ます。
楽しいかも絶望しているかもしれないけれど、昨晩と地続きとは言え、グレゴリオ暦上は日にちという尺度で区切られた朝が。
それは昨晩とは違う、新しい朝です。

その新しい朝を絶望していても受け止められる様になりたいと思いました。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
同じ様な状況の方がいれば、あなたにも良い新しい朝が訪れますように。
そうでない方にも良い朝が訪れますように。

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