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ベトナムの多様性と統一性について-61-ホアビン省ダ川のダム建設について⑥

ベトナム北部西南西に位置するホアビンダムの建設のために、ダ川貯水池から移住するための迅速な計画を実施した後、、、。

長い間、人々はこれ以上困難な状況に置かれることはなかったという。山や丘の上に、集落、そのほとんどが隔離され孤立する状況になったそうだ。

仮設住宅、生産スペースがない、すべてゼロから作り直されたのだと記録と回顧録が報道されている。

ホアビン省のダ川のダバック地区の労働局の元局長で、人々を直接動員して、ホアビン湖から立ち退かせたバンミンスアン氏は、当時を回顧している。

ダバック地区の人々は、ダム建設の国家プロジェクトの困難さを共有し、共感し、前進を確実にするために、洪水に見舞われた地域から人々を移動させることを支援した。

ホアビン省のダバック地区党委員会の元書記であるディンコンバオ氏は、数十年前に定住するためにバンディンで働いていた。

彼は、何年にもわたって、ダム建設の国家プロジェクトのプロパガンダに従い、人々を動員して飢餓をなくし、貧困を減らし、ルオンを植え、パァムの森を植え、裸地を緑化し、裸の丘を緑化し、種のない柿、アプリコット、ガランガルを植え続けて、努力と忍耐の日々を送った。

不利な地域でのインフラ工事の実施を指揮し、集落のクラスターセンター、水上マーケット、川沿いの郡市場を建設していった。

移民の後、ダバック地区は多くの困難に直面したのは、言うまでもない。人々は、国家の補償政策が機能し、計算されたのだが、不十分過ぎたと聴く。インフラが貧弱で、生産が自給自足である場合、たくさんの不利益というか損失、損害を自ら被ることにしかならなかった。

何百もの世帯が、ダバック地区を離れ、ホアビン省内の地方に住み、貧困から逃れるために南部に引っ越して事業を始めなければならなかった。残された家族は、貧困と飢えに直面しなければならなかった。

一番つらいのは、家を建てるスペースも制作スペースもないこと。

水稲栽培から林木や果樹などへの生産方法の変更にも、多くの手間と時間がかかる。

収穫量と生産性は不安定でしかない。
ホアビン省が、再建された初期 (1991年) には、ホアビン湖の集落の貧困は、非常にストレスが多く、大きいものだったことは間違いなかったそうだ。

〜 次回に続きます 〜

新年あけましておめでとうございます。
昨年もとてもお世話になりました。
私は、またまだ伝えていきたいことがどんどん出てきますが、お一人でも関心を寄せてお読み頂けることに、本当にお陰さまで、励みになりました。

本当にありがとうございます。
みなさんのご健康と良い一年になりますことを心よりお祈りします。

今年もどうぞ宜しくお願いします。

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