表(SNS)に出していることと、実際の状況は違うこともあるから
馳せられる人であること。
いろんな投稿を拝読しながら
よく後になってわかる一つとして、
「表(noteやSNS)」に出していることと
「実際(リアルな日常や感情)」は違うこともあるということ。
もちろん、一致しているケースもありますが
人は意外と、またリーダーさんの立場の方ほど
顔で笑って
こころで泣いて
そんな状況が、実は山ほどあられるのだとお見受けいたします。
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空元気は、いらない
泣きたいときは、泣いてもいい
休みたいときには、身体を休めたっていいし
人の数だけいろんなリアルがある中で、
その文字下に広がる部分で人は
いったいどれだけの人と繋がれるのだろう…
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SNSは、その時に見せてもいい一部分を表にあらわしているだけ。
noteもきっと、どんな人もすべてではない。
この謙虚さをもてるとき、わたしたちは馳せる(思いやる)こともできるし
逆に、強くなれるときもある。
みんな、少なからず一緒なのだと思えると
人は孤独にならずに済むし、
どんな煌びやかに見えても、それはあくまで「表」だけなのだと悟るとき
ほんとうの安らかな吐息を吐かせてくれる。
***
わたし自身は、顔(note)で笑って、心(ウラ)で泣いてがないよう
いつも素直を心掛けてきた。
また逆に、個人的なことは脇において、ニュートラルに書ける強みも
同時に育ててきた。
みんな、きっとそうなのではないでしょうか?
そしてそれは、「どちら」も育てることで
確実に己を守る力にもなれるし
同時にまわりをも守れる力になる。
「制御」を学べるのも、noteもいいところ。
自由だといっても、どこまでかはそれぞれの立場や裁量にゆだねられていて
noteというキャンパスでは、時に逆にわたしたちを不自由にもさせますが
どう、生きるか。
何を、書くか以上に
もっとも大切な姿勢な気がしています。
そして、何を書いているか以上に
「姿勢」こそが伝わるのではないか、とも感じています。
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だから、もし書くのに迷ったら
「姿勢」から正すこと。
そこも、大切な気がしています。
きっと、そこから見えてくるものもあるはずですよ。
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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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