『ブラタモリ&アースダイバー』総論
地形散歩のすべてはここからはじまった。
上記はNHKの『ブラタモリ』が始まる3年前にタモリさんが中沢新一氏の著書『アースダイバー』と出会った頃の鼎談の冒頭部分です。『ブラタモリ』がパイロット版として初めて放送されたのが2008年12月、タモリさんはその前から坂道研究家である山野勝氏と2000年に「日本坂道学会」を結成し、2004年には『タモリのTOKYO坂道美学入門(講談社)』を出版するなど坂道の魅力に着目した先駆者の一人でした。そんなタモリさんに衝撃を与えた東京の歩き方が『アースダイバー』なのです。私、新之介が地形歩きを始めたきっかけも『アースダイバー』。さらに『大阪高低差学会』を発足するきっかけも、中沢新一氏の激励の言葉「新ちゃん、大阪の地形を盛り上げてよ」でした。『アースダイバー』とは何なのか? そんな疑問に、アースダイバー式まち歩きを実践している新之介が解釈する『アースダイバー』を簡単に解説しておきたいと思います。
『アースダイバー』とは縄文時代の地形や風景を妄想し、その痕跡を探し歩く歩き方。今から約6000年前、海水面が現在よりも数メートル高くなった時代がありました。いわゆる縄文海進といわれた時代で、東京では武蔵野台地の内陸部まで海水が侵入し、鹿の角のように枝分かれした谷には岬のような突端部がいたるところにできたと思われます。そんな縄文海進の時代の地形図に遺跡や古墳、神社や墓地をプロットした地図がアースダイビングマップ(この記事の見出し画像)。その海岸線をたどっていくと遺跡や古墳、神社や墓地などが海岸線や突端部に点在していることに気づきます。そこからその土地のなりたちを考察したのが中沢新一氏の『アースダイバー』なのです。「はじめての中沢新一。」の記事で興味深かったのは「土地の記憶」という『ブラタモリ』で名言となったワードがすでに使われていること。ここにタモリさんの先見性を感じました。ここからは私の推測になりますが、タモリさんはこの頃から江戸時代だけでなく縄文時代の地形も妄想するようになっていったのではないかと考えられるのです。
その証拠が『ブラタモリ』の1回目と2回目の放送で垣間見ることができます。2008年『ブラタモリ』パイロット版「原宿(表参道)」の放送では、江戸時代の古地図に囲まれた会議室で、タモリさんは久保田祐佳アナに向かっていきなりこのような発言をします。「我々はだいたい5000年ぐらいの歴史のある町の上に住んでるんですよ」と。まさに縄文時代の話をしているのです。久保田アナはただ笑うしかありませんでした。この回は普段のタモリさんの町歩きの様子も垣間見ることができるのですが、当時は暇さえあれば江戸時代や明治時代の古地図を片手に町歩きをしていたようです。つまり、タモリさんの町歩きのベースは古地図歩き。『ブラタモリ』の原点もこれに集約されます。この回でタモリさんが暗渠好きであることも発覚します。明治神宮の南池から流れる川に沿って竹下通りへ、さらに横道にそれてブラームスの小径をめぐるタモリさん一行。かつての川の痕跡を探しながら楽しそうに歩くタモリさんが印象的でした。路地を歩いて川跡の埋もれた石積みの隅っこをカメラはアップにする、かなり画期的な町歩きの番組だったとつくづく感じる回でした。2009年に始まったレギュラー版の第1回の舞台は「早稲田」。前半は沖積層や地層、地形というワードが飛び出し、町歩きから地形歩きへと発展する兆しが現れています。後半の椿山荘の高台からの風景を眺めながらタモリさんはこんな発言をしています。「だいたい台地の“へり”の方に遺跡とかがあるんです。縄文の遺跡とか、弥生もそうなんです。当時はそのへんが海だった。海がダーッと見えて向こうの台地が見える。そうするとすごいいい景色ですね。縄文時代は」とタモリさんの妄想がさく裂していました。まさに『アースダイバー』です。「やっぱ高低差はいい!」と、高低差ファンであることも盛んにおっしゃっていました。この回を見た時に確信したのは、タモリ流町歩きとは、江戸時代や明治時代の古地図を片手に当時の風景を妄想しながら当時の痕跡を探し、失われた川の痕跡をたどり、台地の上からは縄文時代の風景を妄想する。タモリさんも番組で言ってましたが「散歩が冒険」。これらが『ブラタモリ』の番組作りの土台となって発展していくことになるのです。
『ブラタモリ』と『東京スリバチ学会・大阪高低差学会』の変遷年表
上記は『ブラタモリ』が誕生する前から、私事で恐縮ですが新之介が『ブラタモリ』の案内人に抜擢されるまでの流れを時系列で表した年表です。ある意味、地形ブームが起きる変遷といえるかもしれません。私にとって年表の中で外せないのが中沢新一氏と「東京スリバチ学会」の皆川会長との出会い。新之介が『ブラタモリ』に出演した時のエピソードなどもここに記しておこうと思います。
上の画像は『アースダイバー』に触発されて自作した大阪のアースダイビングマップです。当時は大阪の縄文マップを作るには情報が少なく、唯一地形の高低差がわかる地形図が国土地理院のデジタル標高地形図でした。それに梶山彦太郎氏と市原実氏による古地理図を重ねて縄文海進の時代の地形をつくったのが左で、右は航空写真の画像を重ねています。
上の画像は実際に町歩きに使うための詳細なアースダイビングマップです。縄文時代の海岸線がわかりますが、この地図に沿って海岸線を歩くと、海食崖の痕跡が各所に残っていることがわかります。最初にアースダイビングマップを持って歩いた時は言葉では言い表せないほどの興奮を覚えました。
ひとりでアースダイビングをしながらブログにアップする日々を過ごしていたところ、思わぬところから連絡がありました。中沢新一氏が『大阪アースダイバー』を出版するので、その出版イベントにゲストで参加しないかというお話でした。もちろん快諾し中沢氏ともお会いすることができました。実はここからいろんなことが起きだすのです。中沢氏は大阪で複数のイベントをされて、最後の打ち上げの場に私も呼んでくださいました。私は最も端に座っていたのですが、中沢氏は自分の前に来るように言われ、名前に同じ「新」がつくので「新ちゃん」と親しみを込めていろんな話しをしてくださり、そこで「大阪の地形を盛り上げてよ」という言葉をかけていただいたのです。「中沢の苗字も使っていいよ」とも言ってくださり、そこからどうしようかとずっと考えていました。
幸い私にはツイッターで知り合った仲間がたくさんいたので、彼らとも相談してグループをつくることにしました。グループの名前を考えるにあたってネットで調べている時に「東京スリバチ学会」の存在を知ります。次の瞬間にはタモリさんが口癖のように言っていた「高低差」という言葉が浮かび、直観的につくった名前が「大阪高低差学会」でした。そこから準備を始め、2013年2月1日に結成のホームページを立ち上げました。下記はその時のブログです。
大阪高低差学会を立ち上げると、ツイッターを中心に拡散されて「東京スリバチ学会」の皆川典久会長とも知り合うことになりました。皆川さんは、お仲間が多い方で東京スリバチ学会との合同フィールドワークをしようと声をかけてきただき、実施した時の写真が下です。
「新之介さん、本を書かない?」と声をかけてくださったのも皆川さん。『東京「スリバチ」地形散歩』シリーズと同じ洋泉社から出版されました。地図の作製は杉浦貴美子さん、とても素敵な地図です。洋泉社はその後宝島社の吸収されて解散することになります。
当時はこのような本が珍しくて出版社もびっくりするくらい売れました。そして2か月後にブラタモリのディレクターから連絡が入ったのです。下記は出演当時に書いたブログです。
上の写真は当時の台本です。私は2回分の出演だったのでマーカーを引きながらセリフを覚えましたが、タモリさんのセリフ部分はほとんどが「リアクション」だけで当然現場では台本通りに進みません。撮影当日は、難しかったし反省だらけ。でもとてもいい経験になりました。『ブラタモリ』の放送は終了し地形や地質を楽しむタモリさんの姿を見ることはブラタモリの特番などがあった時しかないかもしれませんが、タモリさんの功績は計り知れないものがありますね。
さて、そんな経験を活かして新之介はというと、自分でブラタモリっぽい企画の台本をつくって出演をしたりもしています。近鉄さんがありがたいことにそんな企画を採用してくださいました。タレントは出演していませんが、内容はそれなりに作り込んでいます。下記に『近鉄沿線ぶらり凸凹地形さんぽ』の「伊勢志摩編」と「奈良吉野編」をリンクしています。どれも約10分程度ですが結構ガチの地形散歩です。お時間があるときによろしければ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?