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『ブラタモリ&アースダイバー』総論

地形散歩のすべてはここからはじまった。

糸井  あ、中沢くんだ。
中沢  こんにちは。
タモリ あ、どうも。
糸井  こんにちは。きてくれてありがとう。『アースダイバー』タモリさんが、すごいおもしろがってまして。「タモリさん、食いつくぞ!」と思って、送ったんだけどね。
中沢  おもしろかったですか?
タモリ すごくおもしろかった。
糸井  『アースダイバー』のまえがきのコンセプトは、血わき肉おどったよなぁ。
タモリ うん。なんで、あんなにワクワクするんだろうねぇ。

中州産業大学&ほぼ日刊イトイ新聞 presents「はじめての中沢新一。」より (2005.09.20)

上記はNHKの『ブラタモリ』が始まる3年前にタモリさんが中沢新一氏の著書『アースダイバー』と出会った頃の鼎談の冒頭部分です。『ブラタモリ』がパイロット版として初めて放送されたのが2008年12月、タモリさんはその前から坂道研究家である山野勝氏と2000年に「日本坂道学会」を結成し、2004年には『タモリのTOKYO坂道美学入門(講談社)』を出版するなど坂道の魅力に着目した先駆者の一人でした。そんなタモリさんに衝撃を与えた東京の歩き方が『アースダイバー』なのです。私、新之介が地形歩きを始めたきっかけも『アースダイバー』。さらに『大阪高低差学会』を発足するきっかけも、中沢新一氏の激励の言葉「新ちゃん、大阪の地形を盛り上げてよ」でした。『アースダイバー』とは何なのか? そんな疑問に、アースダイバー式まち歩きを実践している新之介が解釈する『アースダイバー』を簡単に解説しておきたいと思います。

『アースダイバー』とは縄文時代の地形や風景を妄想し、その痕跡を探し歩く歩き方。今から約6000年前、海水面が現在よりも数メートル高くなった時代がありました。いわゆる縄文海進といわれた時代で、東京では武蔵野台地の内陸部まで海水が侵入し、鹿の角のように枝分かれした谷には岬のような突端部がいたるところにできたと思われます。そんな縄文海進の時代の地形図に遺跡や古墳、神社や墓地をプロットした地図がアースダイビングマップ(この記事の見出し画像)。その海岸線をたどっていくと遺跡や古墳、神社や墓地などが海岸線や突端部に点在していることに気づきます。そこからその土地のなりたちを考察したのが中沢新一氏の『アースダイバー』なのです。「はじめての中沢新一。」の記事で興味深かったのは「土地の記憶」という『ブラタモリ』で名言となったワードがすでに使われていること。ここにタモリさんの先見性を感じました。ここからは私の推測になりますが、タモリさんはこの頃から江戸時代だけでなく縄文時代の地形も妄想するようになっていったのではないかと考えられるのです。

その証拠が『ブラタモリ』の1回目と2回目の放送で垣間見ることができます。2008年『ブラタモリ』パイロット版「原宿(表参道)」の放送では、江戸時代の古地図に囲まれた会議室で、タモリさんは久保田祐佳アナに向かっていきなりこのような発言をします。「我々はだいたい5000年ぐらいの歴史のある町の上に住んでるんですよ」と。まさに縄文時代の話をしているのです。久保田アナはただ笑うしかありませんでした。この回は普段のタモリさんの町歩きの様子も垣間見ることができるのですが、当時は暇さえあれば江戸時代や明治時代の古地図を片手に町歩きをしていたようです。つまり、タモリさんの町歩きのベースは古地図歩き。『ブラタモリ』の原点もこれに集約されます。この回でタモリさんが暗渠好きであることも発覚します。明治神宮の南池から流れる川に沿って竹下通りへ、さらに横道にそれてブラームスの小径をめぐるタモリさん一行。かつての川の痕跡を探しながら楽しそうに歩くタモリさんが印象的でした。路地を歩いて川跡の埋もれた石積みの隅っこをカメラはアップにする、かなり画期的な町歩きの番組だったとつくづく感じる回でした。2009年に始まったレギュラー版の第1回の舞台は「早稲田」。前半は沖積層や地層、地形というワードが飛び出し、町歩きから地形歩きへと発展する兆しが現れています。後半の椿山荘の高台からの風景を眺めながらタモリさんはこんな発言をしています。「だいたい台地の“へり”の方に遺跡とかがあるんです。縄文の遺跡とか、弥生もそうなんです。当時はそのへんが海だった。海がダーッと見えて向こうの台地が見える。そうするとすごいいい景色ですね。縄文時代は」とタモリさんの妄想がさく裂していました。まさに『アースダイバー』です。「やっぱ高低差はいい!」と、高低差ファンであることも盛んにおっしゃっていました。この回を見た時に確信したのは、タモリ流町歩きとは、江戸時代や明治時代の古地図を片手に当時の風景を妄想しながら当時の痕跡を探し、失われた川の痕跡をたどり、台地の上からは縄文時代の風景を妄想する。タモリさんも番組で言ってましたが「散歩が冒険」。これらが『ブラタモリ』の番組作りの土台となって発展していくことになるのです。

『ブラタモリ』と『東京スリバチ学会・大阪高低差学会』の変遷年表

2000 「日本坂道学会」発足
2003 「東京スリバチ学会」発足
2004 『タモリのTOKYO坂道美学入門(講談社)』出版
2005 『アースダイバー(講談社)』出版
2005 ほぼ日刊イトイ新聞で「はじめての中沢新一。」を公開
2008 『ブラタモリ』パイロット版放送(久保田アナ)
2009 『ブラタモリ』レギュラー版・第1シリーズ放送(久保田アナ)
2010 「東京スリバチ学会」が『タモリ倶楽部』出演(研究成果)
2010 『ブラタモリ』レギュラー版・第2シリーズ放送(久保田アナ)
2011 『ブラタモリ』レギュラー版・第3シリーズ放送(久保田アナ)
2012 国土地理院より基盤地図5mメッシュ標高が公開
2012 『大阪アースダイバー(講談社)』出版
2012 『東京「スリバチ」地形散歩(洋泉社)』出版
2013 「大阪高低差学会」発足
2014 『森田一義アワー 笑っていいとも!』放送が終了
2014 「東京スリバチ学会」が『タモリ倶楽部』出演(地形スイーツ)
2015 『ブラタモリ』レギュラー版・第4シリーズ放送開始
関東地方以外での撮影が始まる・桑子アナ(2015.04~2016.04)・近江アナ(2016.04~2018.03)
2016 『大阪「高低差」地形散歩(洋泉社)』出版
2016 『ブラタモリ』「大阪 #53」「大坂城真田丸スペシャル #54」放送

上記は『ブラタモリ』が誕生する前から、私事で恐縮ですが新之介が『ブラタモリ』の案内人に抜擢されるまでの流れを時系列で表した年表です。ある意味、地形ブームが起きる変遷といえるかもしれません。私にとって年表の中で外せないのが中沢新一氏と「東京スリバチ学会」の皆川会長との出会い。新之介が『ブラタモリ』に出演した時のエピソードなどもここに記しておこうと思います。

大阪の自作アースダイバーマップ(2012)

上の画像は『アースダイバー』に触発されて自作した大阪のアースダイビングマップです。当時は大阪の縄文マップを作るには情報が少なく、唯一地形の高低差がわかる地形図が国土地理院のデジタル標高地形図でした。それに梶山彦太郎氏と市原実氏による古地理図を重ねて縄文海進の時代の地形をつくったのが左で、右は航空写真の画像を重ねています。

住吉大社周辺のアースダイバーマップ(2012)

上の画像は実際に町歩きに使うための詳細なアースダイビングマップです。縄文時代の海岸線がわかりますが、この地図に沿って海岸線を歩くと、海食崖の痕跡が各所に残っていることがわかります。最初にアースダイビングマップを持って歩いた時は言葉では言い表せないほどの興奮を覚えました。

ひとりでアースダイビングをしながらブログにアップする日々を過ごしていたところ、思わぬところから連絡がありました。中沢新一氏が『大阪アースダイバー』を出版するので、その出版イベントにゲストで参加しないかというお話でした。もちろん快諾し中沢氏ともお会いすることができました。実はここからいろんなことが起きだすのです。中沢氏は大阪で複数のイベントをされて、最後の打ち上げの場に私も呼んでくださいました。私は最も端に座っていたのですが、中沢氏は自分の前に来るように言われ、名前に同じ「新」がつくので「新ちゃん」と親しみを込めていろんな話しをしてくださり、そこで「大阪の地形を盛り上げてよ」という言葉をかけていただいたのです。「中沢の苗字も使っていいよ」とも言ってくださり、そこからどうしようかとずっと考えていました。

ここから「大阪高低差学会」がはじまった

幸い私にはツイッターで知り合った仲間がたくさんいたので、彼らとも相談してグループをつくることにしました。グループの名前を考えるにあたってネットで調べている時に「東京スリバチ学会」の存在を知ります。次の瞬間にはタモリさんが口癖のように言っていた「高低差」という言葉が浮かび、直観的につくった名前が「大阪高低差学会」でした。そこから準備を始め、2013年2月1日に結成のホームページを立ち上げました。下記はその時のブログです。

大阪高低差学会結成(2013.02.01)

太古の時代、大阪平野の大部分が海の底であったといわれています。その中心に半島として存在していたのが上町台地。生駒山麓には縄文時代から大阪先住民(大阪アボリジニ)が住んでおり、彼らにとって上町台地は太陽が沈んでゆく神秘的な聖地であったと考えられます。その後上町台地は、政治・行政、信仰、文化の中心地となり、大阪の都市としての発達の基礎をなす土台となりました。上町台地自体を見ることは難しいですが、地形データで見ると、それはまるでオーストラリアのマウント・オーガスタスのように雄大な姿をしている。また、エアーズロックのようにスピリチャルな何かを感じさせてくれる場所でもあります。上町台地は、我々大阪人にとっては、母なる台地・マザープラトーなのです。

「大阪高低差学会」発足について

中沢新一氏の「大阪アースダイバー」が出版されたこともあり、大阪でも上町台地のような高低差のある地形に関心が集まっています。東京では地形を楽しむための著書も多く、それを楽しんでいる人達も多いと聞きます。タモリさんの「日本坂道学会」や「東京スリバチ学会」はその代表例ですね。

「大阪でも地形を楽しむ人達が増えてほしい。何かやってよ。」

とは、中沢さんとお会いした時に私にかけてくれた言葉。そういうこともあり、「大阪高低差学会」というほとんど前者のパクリのような名前の会を発足することにしました。といっても難しい研究などできるはずがありません。上町台地を中心にみんなで楽しく大阪の高低差を研究できればと思っています。できれば、各々が高低差や上町台地に関するテーマを見つけて研究していただけるとうれしい。そしてそれを発表する場があり、シンポジウムのようなことができればと考えています。さらに、高低差を歩く「大阪アースダイバーツアー」みたいなものも企画したいと考えています。

このブログは頻繁に更新する事はないかもしれませんが、
定期的に調査結果のような記事をアップする予定です。

大阪の地形や上町台地に関心のある方。
大阪アースダイバーに関心のある方。
いっしょに大阪の高低差を楽しみませんか。

母なる台地をアースダイビングしましょう。


新之介

母なる台地と大阪高低差学会について

大阪高低差学会を立ち上げると、ツイッターを中心に拡散されて「東京スリバチ学会」の皆川典久会長とも知り合うことになりました。皆川さんは、お仲間が多い方で東京スリバチ学会との合同フィールドワークをしようと声をかけてきただき、実施した時の写真が下です。

FWのあと飛田の百番で大宴会の懇親会をしましたね

「新之介さん、本を書かない?」と声をかけてくださったのも皆川さん。『東京「スリバチ」地形散歩』シリーズと同じ洋泉社から出版されました。地図の作製は杉浦貴美子さん、とても素敵な地図です。洋泉社はその後宝島社の吸収されて解散することになります。

『凹凸を楽しむ 大阪「高低差」地形散歩』洋泉社

当時はこのような本が珍しくて出版社もびっくりするくらい売れました。そして2か月後にブラタモリのディレクターから連絡が入ったのです。下記は出演当時に書いたブログです。

2016年10月26日のブログ「十三のいま昔を歩こう」の記事

「ブラタモリ」が大阪にやってきた。
最初に連絡をいただいたのは真夏の7月。はじめてお会いしたディレクターさんは女性の方で、炎天下の中を午前中から日が暮れるまで上町台地を中心に、空堀商店街や真田丸跡、通天閣などを2日間ご案内しました。歩数を確認すると25,000歩と30,000歩。よく歩きました。その後、8月後半にもう1人のディレクターさんが加わり、その方もご案内しました。その時は1日でなんと38,000歩。今回は私以外にも大阪の歴史をずっと研究されている方々も案内人として出演されます。ブラタモリの台本はこのディレクターさん達が自分の足で歩き、調べ、様々な方とお会いして話を聞き、作り上げています。プロデューサーの方々は、その台本をさらに良くするためにアドバイスをし、撮影から仕上げまでのすべての責任を持たれています。

この番組の特殊なところは、出演者のタモリさんや近江さんには一切何の情報も伝えていないこと。撮影現場はいい意味でかなり行き当たりばったりです。しかし、その裏では、スタッフの方々がどのような展開になっても対応できるようにフル対応しているのです。タモリさんや近江さんは見ないのですが、我々にはかなり緻密な台本が用意されています。でもこれはあくまでもロケ台本で放送用の台本とはまた違うもの。このロケ台本は、ディレクターさんが責任を持って仕上げます。私もチェックさせていただきましたし、他の案内人や関係者も見られているので、いろんな人がいろんな意見を言いますが、それをまとめあげるのもディレクターさんの重要な仕事です。

この台本の凄いところは、「タモリさんはここできっとこういう反応をする」「おそらくこう答えるから案内人はこのセリフを…」「これはきっと知ってるのでこれにしよう」など、タモリさんの行動や思考を理解していないと書けない台本になっています。書き上げるには「タモリ脳」が絶必。しかもよくできている。おそらく台本どおり進めばこんな面白い話はないのですが、そんな風に行かないのが「ブラタモリ」のいいところ。タモリさんがもっと面白くしてしまうのです。

台本がある程度できてからは、カメラマンさんを含め他のスタッフの方とロケハンをします。案内人の都合をすべて合わすのは難しいので数日に分けて歩かれていました。台本は生き物みたいなもので、どんどん変わっていきます。また、ディレクターさんによって台本の作り方や撮影現場での対応が異なります。私は幸運なことに2人のディレクターさんと接することができましたが、おふたりともそれぞれ違うディレクションをされます。戸惑うこともありましたが違うからいい。おふたりとも素晴らしいディレクターさんでした。

撮影当日は、タモリさんや近江さんが現場で感じるままに進行するのでかなり行き当たりばったり。綿密な台本もその通りいったかどうかはご想像におまかせします…。

撮影は平日の昼間なので、タモリさんを見つけて「タモリさ~ん!」ってなるのですが、トラブルはまったくありませんでした。私は客観的に撮影現場を見ていましたが、現場に着くとプロデューサーを含めてスタッフが自然に散らばるのです。そして少し離れたところから何も起こらないように一般の方に注意喚起をします。それも一般の方が気を悪くしないように。自然に各々がそのような行動をしている現場力は凄かった。最強チームを見た感じがしました。

肝心の私のパートですが、台本自体も前日まで修正や追加が入り、結局私はセリフがあまり覚えられずカンペ頼りに。しかしタモリさんの立ち位置によってはカンペが見えないことも多々ありました。もちろん撮り直しなし……ううっ

タモリさんには2日目の撮影が終わってからはじめてご挨拶させていただきました。とても素敵で優しい方でした。『大阪高低差地形散歩』を進呈したら「愛読してるよ」と言ってくださった。ううっ…感激だ。
ということで、私が出ているカットは編集のマジックに期待したいと思います。

#53、#54とも、大阪を「ブラタモリ」らしい切り口で紹介しています。
大阪の町の印象が変わるといいなぁ

「ブラタモリ」の裏側は現場力を持った最強チームが作っていた。
ブラタモリの台本

上の写真は当時の台本です。私は2回分の出演だったのでマーカーを引きながらセリフを覚えましたが、タモリさんのセリフ部分はほとんどが「リアクション」だけで当然現場では台本通りに進みません。撮影当日は、難しかったし反省だらけ。でもとてもいい経験になりました。『ブラタモリ』の放送は終了し地形や地質を楽しむタモリさんの姿を見ることはブラタモリの特番などがあった時しかないかもしれませんが、タモリさんの功績は計り知れないものがありますね。

さて、そんな経験を活かして新之介はというと、自分でブラタモリっぽい企画の台本をつくって出演をしたりもしています。近鉄さんがありがたいことにそんな企画を採用してくださいました。タレントは出演していませんが、内容はそれなりに作り込んでいます。下記に『近鉄沿線ぶらり凸凹地形さんぽ』の「伊勢志摩編」と「奈良吉野編」をリンクしています。どれも約10分程度ですが結構ガチの地形散歩です。お時間があるときによろしければ。



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