【分野別音楽史】#06-6「ジャズ史」(1980年代)
『分野別音楽史』のシリーズです。
良ければ是非シリーズ通してお読みください。
◉「新伝承派」
ジャズ史では通常、70年代のフュージョンを経て、80年代には【ビバップを志向する若手の登場により伝統的なモダンジャズへの揺り戻しが起きた】というふうに取り上げられます。その代表的なミュージシャンが、トランペッターのウィントン・マルサリス、そしてその兄でありサックス奏者のブランフォード・マルサリスです。彼らは新伝承派と名付けられました。
◉この地点でのフュージョンの視点整理
しかし、このような面だけ取り上げられて終了するジャズ史の「結末」は、2020年代現在の豊かな「コンテンポラリージャズ」の状況を知っていると非常に疑問が残ります。
この時期のジャズから現在のジャズまでつながる系譜が存在するはずなのに、関係性がまったく見えてこないし、さらに言えば、ジャズではない側の「フュージョン」の80年代の隆盛を体系的に知ろうとしても、何も見えてきません。
どうしてこのような事態になってしまったのかというと、つまるところ、70年代~80年代のジャズ評論がフュージョンの登場によって「お手上げ」になってしまい、評論家たちにとって一番耳馴染みの良い、ビバップという往年のスタイルを演奏する若手の登場だけに飛びついて紹介してしまったのではないでしょうか。
実際のこの時期のジャズ・フュージョンは、様々なフュージョンサウンドから、ポストバップのようなアコースティックジャズまでがグラデーションのように並存していた、と捉えるべきだと僕は考えています。
「フュージョン」という音楽の意味するところは、実にさまざまな方向性が煩雑にくくられてしまっていますが、まず、70年代のフュージョンにおいて確立したいくつかの方向性を確認すると
これらの各スタイルが80年代においてもそれぞれ引き続き演奏されたうえに、さらに80年代に新しく発展したジャンルもフュージョンにおいて取り入れられていったといえます。特に、ヒップホップとの融合と、ブラック・コンテンポラリーやAORといった大人向けのR&B路線が顕著だといえます。
◉スムースジャズ
70年代のフュージョンでも、ジャズに極めて近いスタイルから全くジャズではなくなってしまったようなサウンドまで存在していましたが、同じように、80年代においてジャズから離れていったサウンドとして、特に大人向けで耳心地の良いブラコン路線・AOR路線のものが、80年代後半ごろからフュージョンに代わる言葉として「スムースジャズ」と呼ばれました。
フュージョンとの境界線はありませんが、あえて分類するとすれば、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、ケニーG、シャカタク、ステップス・アヘッド、ジェフ・ローバー、ザ・リッピントンズ あたりが特にこのようなサウンドに該当するでしょう。
このようなサウンドと同じ括りにされがちながらも、スムースジャズ的というより、どちらかというと70年代のフュージョンから続く「ソウルやファンクのスタイル」を大切にしたフュージョンバンドとしては、スパイロ・ジャイラが挙げられます。
ちなみに、同じくソウル・ファンク路線として登場していたバンド「スタッフ」のドラマーであったスティーヴ・ガッドもソロ活動を始め、同じくセッションドラマーのハーヴィー・メイソンと人気を二分しました。「西のハーヴィー・メイソン、東のスティーヴ・ガッド」などと呼ばれていました。
◉マイルス卒業生たちと80年代フュージョン
ところで、1940年代からジャズの第一線で活躍し続け、新しいサブジャンルを産み続けたマイルス・デイヴィスですが、1975年から1980年の間は健康状態の悪化により、休養期間に入っていました。そして、1981年の復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』ではフュージョン色を強めたサウンドを打ち出してみせました。
バンドメンバーは、当時それほど有名ではなかったフュージョン系の若手が起用されましたが、彼らはこの後フュージョン界の重要ミュージシャンとして成長していきました。またしても「マイルスバンド卒業生」による活躍となっていったのです。それが、ベースのマーカス・ミラー、ギターのマイク・スターン、サックスのビル・エヴァンス(※ピアニストとは同姓同名の別人)です。
マーカス・ミラーは、スラップベース(チョッパーベース)の奏法で世界的ベーシストとなりました。また、多様な楽器や打ち込みもこなし、プロデューサー、編曲家としても活躍しました。
マイク・スターンは、マイルスバンドでは歪ひずんだロックギターサウンドを演奏していましたが、ソロデビュー後はビバップ的なアプローチを織り交ぜていきました。ジャコ・パストリアスやデイヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカーらとともに作品をつくり、マイケル・ブレッカーのバンドやステップス・アヘッドにも参加しました。
ビル・エヴァンス(Sax)は、マイルスの他にもハービー・ハンコック、ジョン・マクラフリン、ミック・ジャガー、ランディ・ブレッカーなど数々のミュージシャンと共演して活躍し、1984年にはマハヴィシュヌ・オーケストラの再結成にも合流しています。
ちなみに80年代マイルスはその後、打ち込みトラックを用いたスムースジャズやポップ路線にも接近していきました。アルバム『Tutu』では、全編打ち込み・プロデュースをマーカス・ミラーが行っています。
さて、かつてのマイルス卒業生であり、70年代の活躍から既にフュージョンの最重要プレイヤーとなっていたハービー・ハンコックは、1983年のアルバム『フューチャー・ショック』において、ヒップホップの手法を大胆に導入しました。このアルバムによって、DJスクラッチが一般的に広く認知されることになり、ジャズ界だけでなく、クラブミュージックやヒップホップの発展にも大きな影響を与えたのでした。
◉ジャズ寄りのフュージョンサウンド
70年代は主に「リターン・トゥ・フォーエヴァー」として活躍したチック・コリアは、80年代以降はドラマーのデイヴ・ウェックルとベーシストのジョン・パティトゥッチとともに、「チック・コリア・エレクトリック・バンド」と「チック・コリア・アコースティック・バンド」を結成し(どちらも同じメンバー)、エレクトリックにもストレートなジャズにも挑戦していきました。圧倒的なテクニックと楽曲で話題を集めました。
ブレッカー・ブラザーズやデイビッド・サンボーンらのホーン奏者らも引き続き活躍を続け、スムースジャズへも影響を与えていたほか、ベーシストのジャコ・パストゥリアスや、ギタリストのパット・メセニーといった、70年代に登場した新星プレイヤーらがそれぞれ活躍を広げていました。
ジャコ・パストゥリアスは80年以降、ソロ活動としては自身のビッグバンドを率いて活躍しました。1981年の2ndソロアルバム『ワード・オブ・マウス』のタイトルから、「ジャコ・パストリアス・バンド」または「ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンド」としてもライヴを行いました。
パット・メセニーは自身の「パット・メセニー・グループ」で、ブラジリアンやジャズの要素を併せ持った独特のフュージョンとして、複雑ながら透明な空気感のあるサウンドを展開しました。
ドミニカ共和国からやってきたミシェル・カミロは、サルサのようなラテンジャズを基調とした超絶技巧によって一躍有名になりました。
ギタリストのジョン・スコフィールドは、ジャズ・フュージョン系のミュージシャンとしてセッションやソロで活躍しました。フュージョン的なギターの音色を奏でながら、音楽内容としてはビバップのようなオーソドックスなアコースティックジャズを演奏して評価されました。
ミシェル・ペトルチアーニ、フレッド・ハーシュ、マルグリューミラー、ケニー・ワーナーといったピアニストたちは、フュージョンの影響下にありながらも、完全にアコースティック路線のジャズミュージシャンとして活動しました。また、サックス奏者のケニー・ギャレットが最重要なポストバップ奏者として登場しました。
(ちなみにケニー・ギャレットやジョン・スコフィールドも、マイルスバンドに参加したマイルス卒業生なのです。)
従来のジャズ史の物語に無理やり当てはめるとすれば、彼らは「新伝承派」と括ることができるのでしょうが、新伝承派という分類が持つ「フュージョンの反動からのビバップへの揺り戻し」という意味合いでの物語で語るにはかなり無理があるでしょう。
「60年代後半から脈々と継続していたポストバップの動き」
「70年代~80年代を通じてフュージョンからアコースティックジャズまでが混合して成長していた中での、一番“ジャズサイド”の動き」
として見ることで、実態が捉えやすくなります。そして、このようなサウンドが、現代ジャズの一番直接的なルーツとなっているのです。ここから、オーソドックスなジャズ史では語られない、「コンテンポラリー・ジャズ」と呼ばれる系譜が開始していきます。
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