見出し画像

文学者にとってのスピノザ 「閃光」としての哲学

 スピノザほど文学者に愛されている哲学者はいない。と、思えるくらいに、スピノザは世界中の文学者に読まれている。代表的なのはゲーテやハイネであり、フローベールである。ボルヘスもスピノザに2篇の詩を捧げている。日本でいけば、大江健三郎がまさにそうである。

 大江はノーベル文学賞受賞後、小説を書くことをやめて、スピノザ研究に専心したいと宣言していたほどである。以降に書かれた『宙返り』という作品。この小説で扱われる「教団」の教義はスピノザに由来する(※1)。

 フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは次のように表現する。

作家でも、詩人でも、音楽家でも、映画作家でも、画家でも、たまたまスピノザを読んだ者さえも、それも本職の哲学者以上に、スピノチストになっていることがありえる。ここには「プラン」の実践的な理解がかかっているからだ・・・スピノザはきわめて精巧で体系的な、学識の深さをうかがわせる並外れた概念装置をそなえた哲学者であると同時に、それでいて、哲学を知らない者でも、あるいはまったく教養をもたない者でも、これ以上ないほど直接に、予備知識なしに出会うことができ、そこから突然の啓示、「閃光」を受けることのできる稀な存在であるからだ
※強調引用者

『スピノザ 実践の哲学』ジル・ドゥルーズ 鈴木雅大訳(平凡社)

 
 ドゥルーズのこの説明には説得力がある。なにより、私自身、作家を志している半ば、スピノザ思想に出会ってしまい、その啓示としての「閃光」を受けたためである。私は作家になりたかったので、小説をひたすら読んでいたのだが、教養とはほど遠い学生生活を送っていた。哲学の知識もなければ、なにひとつ専門的に勉強したものがない。

 にもかかわらず、スピノザについては、直感的に「これだ!」と思えたのである。『エチカ』を読んでそう思った。今考えたら、とても理解しながら読んでいたとは思えないくらいの「初心者」であったが、スピノザの言葉が、私の心を掴んで離さなかったのである。

 第二次世界大戦後に活躍したアメリカの作家、バーナード・マラマッドの代表作『修理屋』に、次のような一節があるのだが、当時私がスピノザに受けた衝撃を見事に語ってくれている。

あんな思想にぶつかったら、誰だって魔女のほうきに乗っかったような気になります。あれを読んでからの私は、もうそれまでの私とは同じ人間ではありませんでした・・・

『修理屋』マラマッド(ハヤカワ・ノヴェルズ)

『スピノザという暗号』の著者である田島正樹氏も、なぜスピノザは、文学者やアマチュア思想家に愛されているのかと不思議がっている。ひとえに、スピノザは、哲学の知識がある専門家や玄人からすれば、その伝統からはずれたところにあり、専門家であればあるほどスピノザには「のれない」のだという。スピノザよりもライプニッツのほうが玄人には好まれ、哲学史に熟知したハイデガーがスピノザを無視していた理由は、そういったスピノザの「アマチュア感」にあるのではないかと田島氏は推測する。

 確かにスピノザの哲学は、<哲学>をしている人たちを躓かせるのは間違いないであろう。なぜならスピノザは、アリストテレスも、スコラ哲学も、デカルトも、ホッブズの政治論といったものも、あるいは聖書のようなものでさえも、大胆な読み替え、概念用語の再定義、そこからの新たな概念創造という形で、いまでいう「脱構築(deconstruction)」、テクスト批評(critique)を試みているのであり、それ自体が彼の戦略であり真骨頂でもあるからだ。これら哲学史の伝統的なもの、既成概念からは、むしろ意図的に逸脱していたと考えられ、スピノザの偉大さはこのような異質性<アノマリー>にこそある。

 このように、哲学史的な文脈からは外れたところにいるスピノザは、その後の哲学者たち自身からは、さんざんな扱いを受けたり、かと思えばとてつもなく大きな影響を与えたり、ときにトラウマとしての衝撃を与えたりと、けっして一筋縄ではいかないスキャンダラスな存在であったわけだが、なぜか文学といった芸術の領域では、その愛好者が多いのである。

 スピノザ研究者である上野修氏と鈴木泉氏は『週刊読書人』(2023年1月6日号)で、スピノザと文学者たちの関係について次のように語っている。

鈴木:フローベールは哲学にもかなり精通していたでしょうけども、学者ではなく在野の文学者という立場でみて、スピノザをどこか特権的な存在としてみていたようです・・・ですから〈プロ〉の、プロパーな哲学者とスピノザは得てしてすれ違いを起こしがちで、むしろ文学者のような人たちと、思いがけない邂逅を果たしてきたわけで、そこを見るときに、まさに哲学史における〝彗星〞のような存在だったと言えるでしょう。

上野:フローベールはきっとスピノザ哲学の異様さをよく理解していて、他の哲学とは明らかに違う、何か別格のものと見ていたようですね。

『週刊読書人』(2023年1月6日号)

 私は文学者がスピノザを特権視したがる理由が感覚的にわかる気がする。スピノザの思想は「神」から始め、「神」への愛で終わる。自己完結的であり、ひとつの宇宙を創造しているような巨大な哲学体系が、まさに「完全」に思えるのである。「真理」と思えるのである。
 
 むろんスピノザは、この「神」こそが「真理」であるということを、大胆にも「証明」という形で示すわけだが、それは文学者が己の作品にこめる思い、自身が築き上げたい理想と、見事にリンクするからではないだろうか。作家はまさに、言葉によって、もう一つの、あるいは自分だけの「世界」を構築したいものである。

 上記が、正しい分析になっているかはわからないが、とかくスピノザに魅了された文学者たちは、多い。そのひとつひとつをすべて挙げることはできないが、代表的なものを紹介していきたい。作品の中にスピノザに関することが出てくるもの、言及されているものらの紹介である。以下は、東京堂書店の連続企画<思想史の虚軸 スピノザ>第4回「スピノザと文学」の小冊子を参照にしている。

◆ゲーテ『詩と真実』(岩波文庫)
ドイツ観念論の呼び水となったスピノザ哲学をめぐる汎神論論争の登場人物たちがスケッチされている、自伝的作品。ゲーテもまた、18世紀ドイツでのスピノザ哲学受容をめぐっての汎神論論争の当事者であった。本作の第三部、第四部にスピノザへの言及があり、スピノザへの影響の深さがうかがえる。

「しかし私を彼[スピノザ]にひきつけたものは、あらゆる文章から輝き出てくる完全な無私の精神だった」

「私はこの読書に熱中し、自分自身を振り返ってみて、いままで世界をこれほど明快に見たことは一度もなかったような気がした」


モーム『人間の絆(上・下)』(新潮文庫)『サミング・アップ』(岩波文庫)
イギリスの小説家、サマセット・モームもまたスピノザに傾倒する文学者であった。その代表作『人間と絆』のタイトルは、『エチカ』第四部冒頭の一文からとられている。回想的エッセイ集『サミング・アップ』では、スピノザに寄せる敬愛をうかがわせる記述が散見される。

「ダンテ、ティッツィアーノ、シェイクスピア、スピノザといった過去の偉人に敬意を表すよい方法は、尊敬することではなく、彼らが同時代人であるかのように親しみの態度で接することである」


◆ボルヘス『記憶の図書館』(国書刊行会)
2篇の詩をスピノザに捧げているボルヘスによる、スピノザへの敬愛をうかがわせるインタビューを収める。

「暗喩からも神話からも自由に/硬いレンズを磨き続ける。/その総ての星をちりばめた神の無限の地図を」

◆ジュネ『恋する虜』(人文書院)
作中唐突にスピノザの名が口にされる。
「おれが自分で認める守護聖人はユダヤ人、スピノザさ」


 その他にも、冒頭で紹介した大江健三郎小島信夫中島敦、ミステリー作家の法月綸太郎、有栖川有栖の作品においても、スピノザの名が言及される。アイザック・バシェヴィス・シンガーの『不浄の血』には、ずばり「スピノザ学者」という短編が収められている。ヴァージニア・ウルフにも数カ所、スピノザに言及した箇所があるようだ。SF小説の巨匠、フィリップ・K・ディックもしばし作品の中でスピノザに言及しているというのだから驚きだ。(※2)

 このように、スピノザの「閃光」を受ける文学者は多い。それらは、哲学を勉強したいからスピノザを読むとかではおそらくあるまい。どちらかというと、直感的に、想像的に、スピノザ思想を己の創作のための立体地図として、羅針盤として、ときに血肉そのものとして受けとるのである。

 それは文字通り、神の啓示に導かれたかのようにひらめいて高まる精神の働き、インスピレーションでもあり、スピノザから受け取る「力」であり、それが己のコナトゥスにより、自身の創作に向かわせているのではないだろうか。作家は、言葉において、何よりもこのこのコナトゥスを表現するのである。

 スピノザについて書いているnoter、結城保典氏の記事を引用する。

スピノザによると、意志とは意識された衝動であり、衝動とは自己の本質を保存しようとする努力、すなわちコナトゥスである。したがって文学作品は、創作者の本質力であるコナトゥスを表現する意志である、と私は思う。そのために言語という表象を用いるのである。

「文学の力」結城保典氏のnoteより(※3)

 スピノザ哲学は確かに啓示としての「閃光」でもあるが、同時に魔法としての「風」であり、そしてなによりも情動や衝動が解き放たれるような「力」でもあるのだ。そしてその衝動が、文学者においては、<創作への意思>ということになるのだろう。


「参照」
※1 【追悼 大江健三郎さん】山内久明 光り輝く緑の大樹[『図書』2023年11月号より]

※2 東京堂書店の連続企画<思想史の虚軸 スピノザ>第4回「スピノザと文学」の小冊子

※3 「文学の力」結城保典氏のnote 


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集