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「光は宇宙からくる手紙である」 見ることと光学のはじまりをめぐって

【連載】眼鏡と身体の現象学―あるいは見ることと見えにくさをめぐって― #1

#1 光学のはじまりと眼鏡の誕生


光は宇宙からくる手紙である。何万光年、何億光年という遠い星からはるばる私たちの目にとどけられるただ一つの通信は、光である。この通信を読みとるのは、いちおう私たちの目の力ではあるが、生まれながらの目だけではどれだけのものを知りえただろうか・・・眼に見えない世界を目のまえに現出させる魔術。すべてこの一塊のガラスのしわざである。

『レンズ』復刻版 岩波写真文庫 田中長徳セレクション

 (一)

 眼鏡をかけてモノを見るとはどういうことか? これが問いの出発であった。私たちは日常生活において、目でモノを見ること、世界を認識すること、他者を認識すること、それらを当たり前のように受け入れている。小難しい哲学における認識論とか視覚論などは、考えることや本を読むことが好きな方は日常的に意識しているかもしれないが、そうだとしてもやはり、無意識的な時間の方が圧倒的なはずである。そんなことでいちいち立ち止まっていては、まともな日常生活は送れないからだ。だが、たまにはそういったことを考えてみてもいいのかもしれないと思った方は、ぜひ本記事にお付き合いいただければと思う。

 もしかしたら私のこの問いは、人間にとってそんなに本質的な問いではないかもしれない。答えを探し求めても結論にたどりつかないような類のものかもしれないし、すでにどこかの有識者が本に出していて、結論の出ている話なのかもしれない。しかし私はこの問いによって、私なりに目でモノを見るということ、視力の悪い人が眼鏡をかけてモノを見るということ、あるいは眼鏡をかけないことによる「見えにくさ」、クリアでない世界の認識をめぐって探究してみようと思う。

 私にとってこの「見ること」と「見えにくさ」という目の問題は、私自身が緑内障という目の病気を患っているため切実なのだ。「俺の目が黒いうちは」ではないが、今まさに書きたいテーマの一つなのである。

 考察にあたり、まずは目で見るという視覚の仕組みの発見と、眼鏡そのもの歴史をたどっておく必要があろう。本章ではまず、いくつかのWebサイトや文献を参照しながら、それらの概略を示しておこうと思う。目で見るという視覚の仕組みの理解には光学の歴史が関わり、眼鏡の発明はレンズの歴史に関わっている。

 まずは前者の、視覚の仕組みと光学の発展について。

 われわれが目でモノを見るという視覚の仕組みは、光の受容と脳の情報処理の複雑なプロセスによって成り立っている。物体から反射した光は角膜を通って目に入る。外界の情報を収集するのが目の役割で、その構造はカメラの構造原理とほぼ同じようである(実際は目の方がはるかに複雑な処理が行われている)。

 目の視細胞で捉えた光や色はただちに電気信号に変換され、脳がその情報を処理することで映像といった形で認識する。視覚は、目と脳の連携によって得られるものであり、目はいわばセンサーの役割を果てしているといえる。目から映像を取り込むだけでは認識はできない。目で捉えた情報を、脳内で処理し、それを見ることではじめて「認識」に至るのである(参照※1)。

 人類に限らず、生命におけるこの目と視覚の獲得は、生命の進化史における最大の革命の一つといってもよいだろう。この目の獲得こそが、わわわれ生命の活動範囲を広げ、互いに見る‐見られるという関係において、捕食‐被食の生存競争が繰り広げられ、被食者側は捕食者の視覚をいかに欺き、捕食されることからいかに逃れるかで自身の身体の形や色彩を進化させてきた。生命の多種多様な急激な進化、いわゆる「カンブリア爆発」は、目の誕生こそがそのトリガーであったのだという(『眼の誕生』アンドリュー・パーカー)。

 今でこそ、視覚における目と光の関係性、その仕組みについての理解は科学的な常識になっているものの、そもそも人類は、この見ることにおける目と光の関係について、いかにしてその認識を手に入れたのだろうか。

 モノを見るためには光が必要だという認識は、人類の歴史の中で徐々に形成されていったものと思われる。われわれは経験的に、明るいところではモノが見え、暗闇の中ではモノが見えないということを知っている。モノを見るには目を開けていることが必要だが、目を閉じていればモノは見えない。このような当たり前の感覚を出発点とし、古代の人々は目と光に何らかの関係性、視覚の原理があるのではないかと考えたようだ。

 『光と色と』というWebサイトの記事「古代の人々が考えた視覚」によると、紀元前1300年頃に書かれたとされる古代エジプトのトリノ・パピルスという古文書には、太陽神ラーの「私こそ眼を開くものである。その眼を開くと光がある。その眼を閉じると闇が訪れる」という言葉が記されているのだという。これはラーが目を開くとは日の出を、眼を閉じるとは日の入りを意味しており、古代エジプト人にとって、光は太陽神ラーの眼差しだったということだ。太陽と目を関連づけた神話は古代エジプトに限らず、世界中にたくさんあるようだ。日本神話に登場するアマテラスオオミカミは、古事記においては、天地開闢の最後に生まれたイザナギの左眼から生まれと記されている。アマテラスオオミカミは太陽神である。

 太陽、光、目の関係性は、古代より直感的に捉えらていたものと思われる。だが、この頃はまだ、世界の仕組みや成り立ち自体が神々によってつくられているものと考えられていたため、その認識も神々の力に結びつけられた神秘的、神話的想像力によるものであった。古代ギリシャにおいても、世界は神々によってつくられていると考えられていた。だが、ギリシャは地中海沿岸で都市が発展すると、異文化交流が進み、それまで自分たちが信じてきた価値観、神話の世界観が崩れていく。ギリシャ哲学は、そのような混乱の時期によって出現する。神話的想像力にかわり、自然の光で、普遍的な知、真理を探究するという動きである(参照※2)。

 このような中で、ものを見るためには光が必要だという認識を最初に理論化したのは、エンペドクレス(紀元前5世紀)といわれている。エンペドクレスは「四元素説」を提唱し、のちの哲学にも影響を与えた古代ギリシャの自然哲学者である。彼は感覚の起源に関する考察を行い、「目が自ら光を放ち、その光が物体に当たることで視覚が成立すると考えた(外送理論)」。この時代はまだ光に関する科学的な知識も十分でなかったし、人体についてもよくわかっていなかった中である。彼らは身近な現象や体験から、視覚の仕組みについて考えたのであった。

 しかし目が光を放つという考えは、暗闇の中でモノが見えないことの説明ができなかった。彼らも、モノを見るためには、太陽などの光源の光が必要であることを知ってた。しかし、その光だけで視覚が生じるとは考えなかった。そこで、彼らは、モノが見えるというのは、目の中から出た光と、太陽などの光源から出る光の相互作用によるものであると結論づけている。

 今でこそ、「目が光を放つ」というこの理論は、どこか滑稽に思えてしまうのだが、このエンペドクロスの外送理論は、のちにプラトンやユークリッド、プトレマイオスなどにも支持されている。外送理論に対抗した考え方としては内送理論があり、内送理論は、外部から眼への流入物を受動的に受けとった結果として視覚を説明する。この内送理論を展開していたのは、デモクリトスやエピクロスなどの原子論者に加え、アリストテレスがいた。ただ、いずれの理論も不合理な点があり、現象の説明能力では劣っていた(参照※3)。だが、このような古代ギリシャの哲学者たちによるさまざまな視覚に関する活発な議論が、視覚の仕組み解明につながる土台を作っていたことは間違いないであろう。

 中世になっても外送理論が優位な状況だったようだが、現代の視覚論にも通ずる、光の流入に基づく視覚論の端緒は、11世紀のイスラム圏の科学者アルハーゼン(イブン・アル=ハイサム)によってであった。アルハーゼンはアラビアの数学者であり、物理学者、天文学者でもあり、中世最大の科学者、「近代光学の父」とも称されている。アルハーゼンは、実験を通じて光の原理を考えた。実験でデータを集め、データから推論して原理を求めるという、いわば現代の科学の手法の走りともいえるものだ。アルハーゼンは鏡やレンズについても実験を行い、光の屈折や反射の原理をいくつも発見している。そして、外送理論の「眼から発する放射物によって物が見える」とは反対の立場に立ち、物の放つ光を受けて目の中に像が結ばれると考えた。つまり、物が見える現象を解明した最初の科学者なのである(参照※4)。

 アルハーゼンはのちにこれら光に関する研究をアラビア語の著作『光学の書』にまとめる。アルハーゼンが発表した理論には、光に関するさまざまな理論が網羅されていたようで、その中には光学レンズと視力にかかわる理論もあった。適度にカットされた光学レンズを使うと視力が助けられる可能性を最初に唱えている他、球面鏡、凹面鏡などの原理を明らかにしたとされる。このアルハーゼンの著作が翻訳され、ヨーロッパに伝えられることで当時のヨーロッパ人に大きな影響を与えることになる(参照※5)。

 イギリスの科学者ロジャー・ベーコンは、この『光学の書』の強い影響下の中で、レンズの拡大作用についてを、主著『大著作』の中で述べている(12世紀)。ベーコンは光や目について多くの実験を行い、さまざまな光学器具も作り、レンズを通して文字を見ると「文字は大きく、はっきり見える」とその効用を示した(参照※6)。

 そしてこれら科学者たちの光に関する探究、実験によるレンズの効用の発見が、のちにヨーロッパ各地での眼鏡の開発につながっていくのである。次回はその眼鏡とレンズの歴史をたどっていくが、ここまでの概略の中で、イスラム圏の科学者であるアルハーゼンの存在と、彼の光と視覚に関する原理の発見がいかに偉大なものであったかがわかる。こうして人類は、目と光の関係、視覚の仕組みの正しい認識に近づいていったのである。


 つづく


<参照情報・文献>

※1『なぜ見えるのか?目の仕組みを解説します』ひらばり眼科Webサイト
※2『古代の人々が考えた視覚』光と色とWebサイト
※3「外送理論」についてのWikipediaより
※4『光の屈折を実験で解明した科学者 イブン・アル=ハイサム』Webサイト
※5『【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第一回』Webサイト
※6『メガネスーパー・メガネ(レンズ)の歴史』Webサイト


<前回までの記事>

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