机上の空論と、空の机 「机上の空論」の意味をポジティブな言葉に変換してみる
自分の考えやアイディアに対し、人から「机上の空論」と言われ、いい気持ちがする人はほとんどいないであろう。
「机上の空論」とは、理屈は通っているが、実際にはまったく役に立たない議論や計画のことを指すため、相手のアイディアや計画を揶揄したり、否定したりする場合に用いられることが多い。似たような言葉には、「砂上の楼閣」「絵に描いた餅」「絵空事」「捕らぬ狸の皮算用」などがある。
では、この「机上の空論」の反対の意味を持つ言葉があるのだろうか。ちょっと調べてみる。
ひとつは、「三現主義」という言葉があるそうだ。意味は、
・経営や問題解決において「現場」「現物」「現実」の3つの視点から問題を分析し、組織の課題解決や改善につなげる考え方
・実際に現場で現物を観察し現実を認識する
・さまざまな業務に適用できる汎用性の高い考え方
ということだ。三現主義は、実践に則した考え方なので、「机上の空論」の対義語になるのだが、「君の考えは三現主義だね」とはあまり言わない気がする(笑)。
他にも「案ずるより生むが易し」「不言実行」などもある。これらはいずれも、理論よりも実践、行動、経験が大事という意味合いになろう。
理論的なものよりも実践的、経験的な方が重んじられるということはよくある傾向だ。実践の方が、より直接的な効果、結果が得やすいからなのだと思う。私の会社も、どちらかというと実践的な「現場」にいる人間の方が、立場的には強かったりする。
しかし、私は、理論や思考についても重視したい。ドイツの心理学者のクルト・レヴィン(1890-1947)が言うように、「実践なき理論」は空虚である(=机上の空論)が、「理論なき実践」もまた盲目であるからだ。
短期的な結果だけ、足元だけを見ていては、遠いところ(理想とするところ)へは行けないということだ。理論は実践を支える基盤となり、実践は理論を検証し深化させる手段となりうるわけで、理論も実践も相互補完関係にあることが理想である。
しかし「机上の空論」とは、現場や実践的なものからの乖離があまりに激しいがために、否定的な意味合いで使われるのであろう。
では、中身のない非現実的な理論に対して、もっとポジティブで肯定的な「中身のある理論」という意味合いで使われる言葉はないのだろうか。
どうやら、「地に足がついた考え方」という表現がそのような意味にあたりそうだ。「君は、地に足がついているね」これはよく耳にする。けれども、なんだか面白みがない。
「地に足がついた」というのは、現実をしっかりみた、着実な、誠実な、という肯定的な意味合いなのだろうが、現実的ゆえに、創造性に欠ける印象がある。
「机上の空論」は、理想でしかないもの、非現実的なもの、という意味合いで使われるように、どこかファンタジー的な要素もあるということだ。この「机上の空論」が内包するファンタジー的な要素を持ちつつ、かつ、実践的でもあるというような言葉はないのだろうか。
ここで私は、「机上の空論」に対して、「空の机」という言葉を提案したい。
たんなる言葉遊びでしかないのだが(笑)、ここに私なりの意味を込めていくので、しばしお付き合いいただきたい。
ここで留意したいのが「空」をどう読ませるかである。「から」「くう」「そら」と読むが、どの読み方を採用するかでだいぶ意味が異なってしまう。順番に説明を試みる。
⑴ 空(から)の机
⑵ 空の(くう)の机
⑶ 空(そら)の机
その前に「机」の意味を確認しておく。ここでさす机は「本を読み、字を書き、また仕事をするために使う台」とする。知と仕事の作業場である。英語ではdesk。table、「飲食物を盛った器をのせる台」のことではない。
さて、「机上の空論」に対し「空の机」。前者は頭の中で考えられたこと、理論的、抽象的なものであるのに対し、後者は「机」=作業場という具体的な事物、モノ、あるいは空間である。「現場」と呼んでもよいかもしれない。
⑴の空(から)の机だと、どのようなものを想起させるだろうか。「からっぽ」の机、アイディアがない、意見がない、理論がない、何も生まれない作業場という感じに捉えられるため、相当ネガティブな印象になってしまう。
ちょっと違う見方をすると、シンプルさとミニマリズムの象徴と捉えることで、不要なものを排除し、大切なことだけに集中するなどの意味での「空(から)の机」とすることもできなくはないが、これだと「机上の空論」の対義語としての意味を付与することはできなそうだ。
⑵の「空(くう)の机」だとどうだろうか。「くう」という読み方は仏教的な「空(くう)」を想起させるため、より哲学的な深い意味になってしまいそうだ。
机そのものが実体をもたず、時と共に変化するものであることの象徴と捉えることもできるであろうし、深淵な概念を含む、多層的な意味を持つものになることであろう。これでは、「机上の空論」の対義語としては、かけ離れてしまう。
では、⑶「空(そら)の机」はどうだろうか。
「空(そら)」は、そのままわれわれの頭上にある空。自然や外の世界を想起させる。理論という自分の内側で行う机上の作業が、自然という外側とリンクしている、拡がっていくというイメージを持つことができる。
「空(そら)」を、空間の拡がりそのものとするならば、その拡がりは無限である。あるいは、空はしばし夢や想像の世界を想起させる。「現実を超えて想像力が自由に飛べる場所」として捉えることで、物理的な制約を超えた創造的な思考が拡がる空間を意味するかもしれない。
そんな無限の拡がりと可能性を持ったアイディアが生まれる作業場=空の机。クリエイティビティな仕事をする人たちの作業場。アーティストの仕事などもこのイメージに入ってくるかもしれない。
あるいは、「空」という「自然」そのものを相手にした作業場、実践のフィールドワーク、という捉え方もできるかもしれない。「自然科学者や冒険家は「空の机」で仕事をしている」といったように。
どうやら、この「空(そら)の机」がいちばんしっくりきそうである。
ただし、「机上の空論」が考え方や意見、アイディアという抽象的なものに対し、「空の机」は具体的な事物を指すものになっているので、「中身のない理論」の反対語としての「中身のある理論」という意味合いにはなっていない。
「机上の理論」=「実践なき理論」に対して、「理論ある実践」という意味としての「空の机」ということになる。
これは前者の机上と、後者の机では、意味が統一されていないので、強引な読み込みになっていることは否めない。もちろん、これはちょっとした思い付きなので、理にかなっているかどうかは差し置いている。
「机上の空論」が持つ意味をそのまま入れ替えるのであれば、本来は「空論の机」になるだろう。それは⑴の「空(から)の机」=何も考えが生まれない作業場、非現実的な考えの作業場、という意味となる。
しかしこれでは、同義語になってしまうので、反対語を作る意味でも、 ⑶は空を「から」ではなく、「そら」とし、空論=非現実的な考えを「空想的」「創造的」とすることでポジティブなイメージに置換してみた。
使用例としてはこんな感じだろうか。
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