古事記が封印した女神の謎① ~シャーマニズムのルーツ?白山姫~
・古事記が隠した出雲王国と女神の謎
奈良時代の712年、太安万侶によってつくられた古事記は、日本で一番古い歴史書。しかし当時の権力者・藤原不比等により古事記の作成において、いろんな制限が課せられ、安万侶は日本の真の古代史を書くことができず、ジレンマに陥っていたとされます。
古事記作成では、不比等により、神武朝以前に存在した「出雲王国」について書くことを禁じられます。ですが、かろうじて「出雲王国」を史実でなく、神話として古事記に挿入することを許されました。現在、神武天皇系列の人々が「天津神」としてまつられ、それ以前の、出雲系先住民を「国津神」としてまつっているのは、この安万侶が書いた古事記がもとです。しかし古事記にはほかにも封印された神々がいました。その一つが白山姫です。
・謎多き女神・白山姫
白山姫は、全国約三千社にのぼる白山信仰の祭神である、石川県の白山比咩(はくさんひめ)神社のご祭神であり、「菊理媛(ククリヒメ)」という名前で、『日本書紀』に登場します。
白山姫は古事記には登場せず、日本書記のみ、一度だけ登場した謎の多い女神。それにも関わらず、日本全国三千社の白山神社があり、中でも岐阜県は最多の395社。そして石川県に299社の白山神社があります。
日本書記に登場する白山姫はこの一つの内容のみです。
この際、白山姫がイザナギに言った言葉が、「水で禊(みそぎ)をして、黄泉の国に行った穢れ(けがれ)を清めたら良い」というもの。白山姫は、イザナギに黄泉の穢れを水で清めた方がいいといったのかもしれません。
白山神社の「白山信仰」は水への感謝がルーツであり、白山姫はケガレ(穢れ)を祓う神格を持ち、同時に、死者(イザナミ)と生者(イザナギ)の間を取り持つシャーマン(巫女)のルーツともされます。
神道は祓い清めを大切にします。いわば、祓い清めの役割を担っていた、巫女(シャーマン)のルーツが白山姫なのかもしれません。
また白山姫は、イザナギの兄弟で、イザナミとイザナギの間に生まれたアマテル(天照)を、最初に産湯にひたした女神であり、アマテルの叔母にあたります。
・日本とシュメール文明とのつながり
白山姫の正式名は菊理媛(くくり姫)。「くくり」は「括る」にもつながり、現在「和合の神」「縁結びの神」として信仰されています。
ところで最近、ヘブライについて調べていましたが、ヘブライがシュメールと関係あることがわかり、今度はシュメールついて調べてみました。
シュメール文明とは約紀元前3000年、中近東のメソポタミアで都市文明を最初に生み出した人々。シュメールは日本語は関連が深いです。日本では熊本県の阿蘇でシュメール文字が彫られた石が見つかっっています。
下記のサイトが発見されたシュメール文字についてです。↓
https://kumamoto.guide/spots/detail/11921
また山口県でもシュメール文字のペトログラフが見つかっています。ペトログラムとは、岩に刻まれた彫刻や描かれた岩絵のこと。これは山口県角島で見つかったそうです。↓
また古代、日本では天皇を「スメラミコト」と言っていましたが、この天皇はシュメール語源とも言われています。
シュメール人の宗教は自然を「神」とする多神教(アミニズム)であり、王を「神」とする点など、信仰に日本の神道との共通点が多いです。
前置きが長くなりましたが、この白山姫こと、くくり(菊理)姫をシュメール語にすると、「クル」は山や冥界(異界)をさす言葉。
黄泉のイザナミと、現世のイザナギを仲裁した「くくり姫(白山姫)」は、「クル」という「異界」に橋渡しをするシャーマンのような巫女だったのかも? そしてこの「クル」がなまって「ククル」姫になった可能性があります。
ちなみにシュメール語で、エドは「下る」を意味します。古代、朝廷の都は京都にあり、そこから関東に行くことを人々は「下る」と言っていました。
東京の江戸(エド)は、関西の人にとって「下っていく場所」。この江戸の語源の「下る(エド)」もシュメール由来なのかも?と思ってしまいます。
・中国の女神・西王母と白山姫は義姉妹
また白山姫は、西王母の義姉妹。西王母とは中国で古くから信仰されてきた女神であり女仙。
太古の昔、国常立尊(くにのとこたち‐の‐みこと)が世界を巡って、西の国であった中国で夏王朝を建国します。国常立尊は日本神話に登場する神。『日本書紀』においては、初めての神とされ、日本神話の根源神として一部神道・新宗教で重要視されています。
一説によれば、中国の名前の由来は、縄文期、縄文系が治めた「中つ国」がルーツ。夏王朝は長年、フィクションだと思われてきましたが、最近、夏王朝の遺跡が発掘され、中国でも実在した古代王朝だと信じられるようになりました。その夏王朝を統べたトクヨンヌ(国常立尊の子孫)の血筋が西王母であり、縄文期、この西王母は日本にやってきます。
一説では、中国にわたった縄文系民族(トクヨンヌ)は夏王国を統治しますが、中国は日本と風土が異なり、十分な野菜を取ることができず、肉食をします。(当時日本では肉食は禁忌に近く、菜食が好まれていました。)
肉食の影響もあり、人々は短命になっていき、困り果てた西王母は再び日本にやってきて、教えを請います。その際、白山姫と義姉妹になった、というもの。そして豊受大神から教えを受けた西王母は中国に帰ります。
※現在、この豊受大神は、伊勢神宮の外宮にまつられています。(内宮でまつられているのは天照神)
・中国、朝鮮王家のルーツは縄文系だった?
支那(シナ)とは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理の名称で、英語で中国をさす「チャイナ(China)の語源です。
中国は、日本の天皇が中国をさして「シナ(支那)」と呼ぶときは、「本朝(日本)こそ真の中華」ということを意味するため、古くから中国政府は日本の天皇が「支那」と呼ぶことを警戒してきたそうです。
その理由は、さきほどの夏王国をはじめ、古代の中国王朝のルーツが日本にあるから。このことが書かれた古文献も、奈良時代、禁書とされこの世から消えました。
古代、縄文人は日本のみならず、朝鮮や中国にも王朝をつくっていました。しかしこれらについて書かれた古文献は禁書として焼かれたり、かろうじて残った古書も、権力者により偽物とされます。
話が飛びましたが、古事記作成の折も、たくさんの古文献が焼却されました。これら貴重な古文書を焼いたのは、藤原不比等と言われています。ではなぜ縄文史が書かれた書物が焼かれたのか?
それは奈良時代、日本が新羅・唐の連合軍との戦で負けたから。この負けた戦が、「白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)」です。
不比等らは中国に遠慮して、これら夏王朝を建国した縄文系民族のことを隠したのかもしれません。そしてもう一つ隠したかったのが、白山姫をはじめとする女性シャーマニズム。
・封印されたシャーマニズム
天智天皇と藤原鎌足がはじめた律令制度は、日本全土に自分たちがつくった法律をいきわたらせ、統治することが目的でした。それはのちに、天武天皇や不比等に受け継がれ、より巨大な権力を朝廷が持つことにつながってきます。その律令制度は、強固な軍事力を持つ唐を目指したものであり、男性パワー優位の世界でした。
そんな中、古くから女性が担っていたシャーマニズムとしての祭祀や役割をそぐことで、不比等らは女性たちを男性を補佐するような役割に変えていきます。
もしかしたら祭祀面における女性シャーマニズムを失わせ、「女性」を、男性にとって庇護(ひご)する存在に変えていったかもしれません。また律令制度導入後も、女帝は何度か存在しましたが、実権は男性が握っていました。
不比等らがつくりたかった世界。それは縄文史をリセットし、日本を律令制度のもと、(自分たちが治める)朝廷をトップとする国に作り直すことでした。そして不比等は、古事記の作成を通して朝廷の裏の権力を握ることとなり、平安期に入ると、藤原氏は天皇を上回る実権を持ち君臨します。
こうして振り返ると、奈良時代はそれまでの縄文系世界からの脱却であり、新たな時代のスタートでした。そして日本は、古代、中国王朝のルーツが縄文であることを忘れ、「オシテ」文字をはじめとした縄文文字も封印します。
しかしその封印のいくつかは近代に解かれました。昭和天皇が在位中、伊勢神宮の書庫から、(縄文の)神代文字をいくつか選んで取り出し、知人に世に広めるよう託します。いまだ縄文の神代文字と呼ばれるものは偽物となっていますが、日本の神代文字に酷似したものは世界中で発見されています。
古事記ではじまった縄文や女神の封印・・。それは皮肉なことに、藤原氏を頂点をする貴族たちの時代のはじまりでした。それは華麗な宮廷文化を創り出しますが、一方で日本のスピリチュアルニズムは大きく変わり、平安時代の神道の再設定へとつながっていきます。
《参考文献・サイト》
・ホツマタエ・カタカムナ・先代旧事本記
著者:エイヴリー・モロー(ヒカルランド社)
・https://ameblo.jp/starless43/entry-12534911239.html