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Han Kang(한강)の小説を読もう : The Vegetarian / Heavy Snow

現代韓国文学の盛り上がり

 ここ数年、アジア文学がアツい!!という話が、アジアのみならず英語圏の読書家たちの間でもよく話題にあがるようになった印象がある。その中でもとりわけ大きなムーブメントになっていたのが、家族社会、ジェンダー、苛烈な競争社会、経済格差などをテーマとして扱った現代韓国文学だった。私の知る限り英語や日本語、中国語など他の言語圏への翻訳も活発に行われており、世界的に話題になっているジャンルというべきだろう。今年はHan Kang(한강)さんがノーベル文学賞を受賞したこともあり、身近な書店でも韓国文学を大きく取り扱った棚が出現するようになった。とりわけ、日本の読者には、自分たちと類似した社会問題を扱った作品として注目されている部分もあるだろう。

Heavy Snow

 以前、Cheon Myeong-kwanの"Whale"について読書日記に書いたことがあったけれど、私にとって、興味がありつつもまだまだ未開拓だったのが現代韓国文学の世界。ここまで話題になっちゃあ…読まないと嘘でしょ…!という気持ちでいたら、the New YorkerにさっそくHan Kangによる短編が掲載されているのを発見した。

 なんでも、来年1月に短編集の英語訳が出版されるので、その中からの一作を抜き出したものだという。"Heavy Snow"は、ジャーナリストの主人公が長年の友人の頼みを受け、猛吹雪の中、友人の故郷の村へ向かう話。ささやかな言動や生き方から滲み出る友人の人生への諦観や痛み、危うさが、二人称視点で繊細に描写される。
 この作品でとてもよかったのが、首都ソウルから離れた地方の言語や生き方へのリスペクトを感じる描写だった。ソウルに拠点を置く若い女性である主人公の視点からは遠いところにある、チェジュの島の風土に結びついた言葉、そこで生涯を過ごす人々。主人公は友人に教わった言葉で年老いた女性とコミュニケーションを取ろうとするが、その努力は必ずしも受け入れられるわけではない。バスの運転手は主人公にだけソウルの言葉でお堅く話しかけるし、行き先を案内してくれた人の言葉も全て聞き取れるわけではない。急激な思想や文化の変化を遂げた社会では、離れた世代間や文化間のコミュニケーションはほとんど不可能に見え、可能になったとしても、どこか他人行儀で浅いものになってしまう、という感覚は、日本でもよく感じるものだ。それでも、目の前にいる人の顔には、長年の苦労や人生、人格が刻まれているのであり、決して存在しないかのように扱われてはいけない。この様子が、丁寧に、過剰に飾り立てるようなこともなく、それでいて敬意をもって表現されていることは、とても好ましく感じた。

東北はもうじき初雪の季節
雪に閉ざされた世界の夢みたいな景色の描写も素敵だった

The Vegetarian (菜食主義者)

 こちらもHan Kangによる中編小説の英語訳。翻訳はDeborah Smithによるもの。夫の視点で妻の様子を描く二人称小説で、時々差し込まれる妻の視点によって物語が立体的に補完されていく構成になっている。ほどほどに"普通"の人生を構成する機能の一つとして"普通"に見える女性を妻とした男だが、ある日「夢を見た」という妻が全ての肉食をやめ、自分の言うことを一切気に介さなくなる。言うことを聞かない妻に対し、怒りと共に困惑する夫だったが、妻の行動はどんどん不可思議になっていき…というあらすじ。夫は典型的な、妻を「自分の世話をし、家をきれいに保つ家政婦」として扱う人だが、夫の視点ではそれは全く「当たり前のこと」として描かれ、自分の欲求を満たすために、抵抗する妻をレイプすることすら正当化されている。一方で、ちらちらと見え隠れする妻の視点では、夫は自分でシャツにアイロンをかけることもできず、不満があれば大きな声で怒鳴りつける、大きな子供のように見えている。妻の視点がわずかながら、段階的に明かされていくことで、妻の不可解な行動が全て、精神的に社会的に殺されてきた自分自身を、過激で自傷的な方法であっても生きなおそうとする無意識の抵抗であることが分かってくる。
 "The Vegetarian"でとても興味深かったのが、妻を家の機能の一部として捉えている夫はもちろんのこと、妻の両親や、妻自身も、自己を"家"の一部という認識から切り離せずにいるところ。妻の行動がいわゆるイエ社会への抵抗ということを考えれば妥当だが、妻の菜食主義は自身のみにとどまらず、夫と暮らす家全体で遂行されなくてはならない、と表現されている。自分の食事だけを自分で決めて他者から切り離す、自分や他者を独立した、尊厳のある個人として捉える、という感覚は、強い家族社会の中では難しいのだろう。激昂した父親に無理やり押さえつけられ、肉を食べさせられそうになった妻が玄関に向かって逃げようとするシーンは特に印象的だ。初めは玄関に向かっていた妻は立ち止まり、家の外に逃げるのをやめ、代わりにナイフを拾い上げて自傷し倒れる。物理的な家の外に逃げ出したところで、社会ぐるみで自分を支配する「家」からは、どうやっても逃げられない、ということを悟ったように見える。家庭外で自立するすべがない子供が追い詰められて死を選ぶように、暴力的な家の中から逃れようのない彼女にとって、死は唯一の逃げ場になるのだろう。
 この作品は、現実の社会を題材としながら、夢というどこか魔術的な要素を取り入れることで、意識化されていない社会問題がストーリーを動かす原動力になるよう構成されている。プロットの中でとりわけ面白いのが、終盤、妻の変化や家庭内の事件に疲れ切った夫がうたた寝をした時、妻の悪夢と共通した要素を持つ、肉食の夢を見るところ。生々しい殺人と血肉の夢を見た後の男は、それまでの無関心な夫から変化し、初めて妻に対して親しげな呼び方をするシーンがある。これは、自傷を経た妻も、夢を見た夫も、元の自分自身とは異なる人間になっていることによって生じたシーンだが、これが夢という非現実の事象を介して展開されているのが面白い。逆に言えば、閉鎖的でハイコンテクストな「家」のあり方が強すぎるコミュニティでは、無意識から湧き上がる夢のようなものの力なしに大胆な変化を描くことが難しい、ということかもしれない。

ほうじ茶飲みながら読みました
何となく ものを食べながらは読めなかった

 ここで紹介したHan Kangの作品は、どちらも短く、またスルスルと内容が入ってくる読みやすさと展開の引力があってとてもおすすめ。("The Vegetarian"については、犬が酷い目にあって殺される描写が少しあるので苦手な人は注意…) 翻訳を読んでいるので原文の良さを間接的にしか感じられないのが歯痒いけれど、翻訳の的確さもあってか、とにかくピッタリとはまる表現の連続によって、短い文章の中で美しく作者の意図を読み取ることができる。

 最近はわりに重めのテーマを扱った現代文学ばかり読んでいたので、少し前に森見登美彦の「熱帯」を読んだ時、そういえば現実逃避としての楽しい小説というのも良いものだったな…と久々に思い出したりした。韓国文学は扱う問題の苛烈さもあって"重め"の作品が多いけれど、時折箸休めのように挟む現実逃避的な要素のある作品によっていい感じのインターバル走をしている気分。これを読んで辛いと思うからこそ、読むことが大切な体験なのです。


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