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生きていくためのコンパスたち

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「人生とは」「生きるとは」 分からないことだらけの命題に少々の光を。
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#自分と向き合う

”挫折”を知らない君へ

週末に友人と興味深い議論をしました。 ずばり、”挫折”について。 私は高校では不登校、社会人では休職など大なり小なり”挫折”と呼べる経験をしていて、そのたびに周りの人に「どっこいしょ」と起こしてもらっています。挫折を通じて、自分の弱さや周囲の愛を知り、身のほどを知ることや、背伸びするタイミング、自分のキャパシティなど多くのことを学び得ました。だから、私は挫折が人生を豊かにするのだろうと信じて疑っていません。 一方、件の友人は「挫折をしたことがない」という悩みを持っているそ

立ち止まって, 色を纏う

おはようございます。  atom.です。 以前に、こんな記事を書きましたが、 実際に授業で行っていた、 自分の色を探す方法を 具体的に記述していきます。 ちゃんと取り組むと 1時間ほどかかるのですが、 あまりに多くの選択肢があって、 考える暇もない忙しい日々の中で そんな時間があっても良いと思い、 今回の内容を決めました。 走り続けることに疲れた貴方に 新しい選択肢を1つ提供できていれば幸いです。 BGM紹介ロザリーナ 『何になりたくて、』 はじめに 大学生

まずは自分

私には2つの転機が訪れようとしています。 祖父との別れと、新しい家族との出会い。 対称的なこれらの転機が同時にやってくることに、さすがに戸惑いを隠せませんが、ひとつひとつ乗り越えていこうと覚悟を決めております。 明日は婚約者のご家族へのごあいさつ。 緊張していたのですが、なんだか腹が据わってきました。 受験とか留学とか就活とか、本番が近づくといつもこんな感じ。 自分でも大したものだと思います。 でもたぶん今夜はぐっすりとは眠れないかな。 一方、祖父は依然として危ないながら

”意欲”とも”焦り”ともとれる何か

毎日出勤して仕事をすること。 その対価としてお金をいただくこと。 こうして毎日noteで何かを発信すること。 周囲の人々と関わりを持つこと。 なんだか、ようやく”普通”に戻れたかな、と最近思えるようになりました。 今の日本の現状を考えたら、実は”普通以上”の営みができているのかもしれないな、とも。 心を病んだ者として、ここまで戻ってくるには相応の時間と努力、覚悟が必要であったと、今では振り返って思います。 でも、世の中にはもっと頑張っている人がたくさんいる。 人の命を救っ

#70 実は『心が弱い』と思っている人は、"めっちゃ強い"とぼくは思う。

2021年11月24日(水) こんばんは。 BRUNOのヒーターが可愛くて、 愛用しすぎて汗かきまくっている、よしです。 「脱うつ」のために 『毎日note』を習慣にしています。 『音声note』と『つぶやきnote』も発信中です。 自分も読んでくれた人にも 少しでも共感と心が少し軽くなったり してくれると嬉しいなと想い今日も綴ります。 今日は身体のことというよりかは 書きたいことを書いていくスタイル。 体のことは昨日のある事件でちょっとしんどい。 とりあえず書くぞ!

ピークを維持しようとしなくていい

休み明け。しかもしばらく次の休みが見当たらない。今日は仕事用のパソコンを開いただけで100点満点の月曜日です。 シルバーウィークに楽しい時を過ごし、心は充足していますので、しばらく充電は保てるかなと思いますが、すでに調子のピークは過ぎた感があります。 こういう時、どうしても自分の調子をベストに保とうとしてしまいます。だってその方が日々を精力的に生きられるし、イヤーな仕事だって乗り切れるし。 でも、人の心には(そして多分身体にも)調子の波はつきものです。良い時もあれば悪い時

"もう無理"な時の3つの心構え

不登校、留学、就職、休職、異動。 私にはいろんな転機がありました。ネガティブなものも多くありました。その時々で程度は違えど、心を病んだり過剰に緊張したり、バランスを保てずに崩れた時もあります。 そんな時はいつも、周囲が優しく見守ってくれましたので、今も私は元気に生きられています。このように、周囲に頼るということは極めて大切です。 しかし、最終的に自分の心を守れるのは、自分しかいません。 今日は、「もう無理だ」となってしまった時、どのような心持ちで臨めばいいのか、3つのポ

2人の自分と、幸せの4因子

私の中には自分が2人いる。 「俯瞰的な自分」と「主体的な自分」。 何かを選択するとき、何かを決断する時、 2人は私を差し置いて、激しく主張をぶつけ合う。 「俯瞰的な自分」は、いつも慎重。 その道を進めば何が起こるか、経験から予測できる。 一方の「主体的な自分」は、 「やりたい」「かなえたい」を前面に出す本能型。 アクセルを踏みたがる「主体的な自分」を、 「俯瞰的な自分」がなだめる。 私自身はその葛藤にもまれながら、 いつもだいたい慎重論に身を傾ける。 言い方を変えると、自分

173日前のあなたへ

やっぱりnoteには素敵な出会いがたくさんある。 今日も、共感オブザイヤーとでもいうべきクリエイターさんの文章と出会った。できるならスキボタン連打したいくらい。 私が休職を開始したのが2020年9月25日なので、この方はその1週間ほど前の出来事をつづられている。 実家から一人暮らしの家に戻ってきたとき、そこにあったのは休職前の自分からの手紙で...という話。 とてもとても共感したので誠に勝手ながら引用させていただいた。 この話にインスパイアされて、私がnoteとは別につけ

「自分が無い」と話す友

中学からの付き合いで、以心伝心でき、 休職中もよく支えてもらった親友がいる。 彼にも悩みがあるのだろうが、それは滅多に表に出さない強い奴。 そんな彼と話した際、「俺には自分が無いねん」とこぼしていた。 いつものように、冗談めかして。 彼にとっては普通の世間話だったと思うが、私には少し引っかかった。 「自分が無い」とはなんだろう? 聞くと、「俺の話とかネタ(大阪人なのでよくボケたりツッコむ)は全部受け売り。オリジナリティが無い。その日の話し方も、直前まで観ていたYouTu

「ラクに生きる」ということ

25年と5ヶ月生きてきて、酸いも甘いも多少は経験してきたけれど、「生きる」ということをしんどくさせているのは、いつも自分だったように、今は思う。 いつも家族や友人によく言われるのは、 「力を抜いて」「ボチボチやりや」「無理するな」 であるのだが、これはつまり私が、 「力みすぎて」「ガツガツしてて」「無理してる」 ことの裏返しなんだと思う。 現に私は高校生で不登校に、社会人で抑うつ状態にそれぞれなって、完全に参る経験をしてしまっている。 これはなぜか。 いくつか理由が見当た