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「自分が無い」と話す友

中学からの付き合いで、以心伝心でき、
休職中もよく支えてもらった親友がいる。
彼にも悩みがあるのだろうが、それは滅多に表に出さない強い奴。

そんな彼と話した際、「俺には自分が無いねん」とこぼしていた。
いつものように、冗談めかして。
彼にとっては普通の世間話だったと思うが、私には少し引っかかった。

「自分が無い」とはなんだろう?

聞くと、「俺の話とかネタ(大阪人なのでよくボケたりツッコむ)は全部受け売り。オリジナリティが無い。その日の話し方も、直前まで観ていたYouTubeとかに影響される。俺が俺として話すことってあんまりない。」
というのだ。
まあ確かに彼は芸人のネタやYouTuberのマネをよくするけど、そこまでの事だろうか、と思った。
(別に彼に芸人並みのトークスキルや面白いネタを求めてはいないのだ。)

その時は「なにしおらしいこと言うてんねん。お前はお前やろ」と、無難に笑い話として終わった。

時間が経った今、改めて思う。

「自分が無い」とはなんだろう?

彼の言うように「オリジナリティ」が「自分」なのか。
はたまた「意志」とか「信念」とかを指すのか。
「意見」があれば「自分」なのか。
そしてそもそも「自分」ってあったほうがいいものなのか?

今の世の中、誰しもが誰しもを模倣しやすい環境にある。
それはインターネットをはじめとするメディアの発達によりもたらされた。
確かに彼は、その影響をもろに受けているとは思う。
では、彼のように、周囲の影響を受けすぎることで「自分が無い」と思ってしまう方は多いのだろうか...?

私は、別にそこから学び取ったり、周囲を笑わせたり、何か身につくのであれば、受け売りでも何でもいいと思うんだけどなあ。
現代はまさにnoteもそうだが、”個人が主役の時代”なのだし、
人様に迷惑をかけなければ自由に生きていける。

そもそも、人は最初は周りから影響を受けて徐々に「自分流」を形作っていく、というのが自然だと思う。
守破離という言葉もあることだ。
だから、彼の言う「自分が無い」というのは、若い彼にとっては(同い年です)ある意味当然なのだろうと思う。

彼としては、そんな重い意味で発した言葉ではないとは思うのだが、
もし同じようなことで悩んでいる方が多いのであれば、現代病かもな、とも思う。
私も心を病んだ時には、「自分探し」と銘打って旅に出たりしていた。
でも、「自分」って探すものじゃなくて、自分自身とながーく向き合って徐々に醸成したり、それこそ周囲の影響から自ら取捨選択していく過程において形作られるものだと思う。
だから、「自分が無い」と焦る必要なんかないと思います、友よ。
と、今度会ったら言ってやろう。

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じとめん
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