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まずは自分

私には2つの転機が訪れようとしています。
祖父との別れと、新しい家族との出会い。
対称的なこれらの転機が同時にやってくることに、さすがに戸惑いを隠せませんが、ひとつひとつ乗り越えていこうと覚悟を決めております。

明日は婚約者のご家族へのごあいさつ。
緊張していたのですが、なんだか腹が据わってきました。
受験とか留学とか就活とか、本番が近づくといつもこんな感じ。
自分でも大したものだと思います。
でもたぶん今夜はぐっすりとは眠れないかな。

一方、祖父は依然として危ないながらも、生きています。
果たして”懸命に”とか”頑張って”という前置詞が付くのかどうか。
父曰く「低空飛行でも安定している」とのこと。
頑固な祖父らしいといえばらしいな、と思います。

ただでさえひとつひとつが重いのにそれが同時に来るという事、そして回復しているとはいえまだ服薬治療を行っている今の自分に起こるという事。
大変ですが、これを乗り越えられたら立派なもんだと思います。
それに、祖父のことはどうすることもできませんから、そういうものと割り切るしかありません。

ところで、Twitterでこんな画像を見つけました。

言い得て妙だなと思います。
まず自分が満たされないと、家族や友人にまで気を配る余裕もなくなる。
まずは、自分なんだと。

家族にもよく、「あんたはあんたのことをまず考えや」と言われます。
どうも私はまず周りのことを考えてしまいがちなので、自分のグラスが空であると気付けないことが多い。
利他主義と言えば聞こえはいいですが、外面や評判を気にしての矮小な動機であることも少なくありません。
その帰結が抑うつ病や不登校であったかなと思うのです。

これは確かに人にやさしくできるといった良い面もあるんですけど、結局は周囲に心配も迷惑もかけてしまうし、何より自分が幸福感に乏しくなるという点で、(行き過ぎると)良くないなと思います。

また、特に職場でそうですが、一度「気の利く人」「優しい人」というような評判、悪く言えばレッテルがついてしまうと、私に余裕がない時もそれを演じなければならなくなる。
そうならないように、自分を殺さないように、ということは、休職を通じて得た知見ですが、実践できているかはわかりません。

少し脱線しましたが、まずは自分を満たすことが大事という事。
自分が満たされていない状態での他者への奉仕は、いわば自己犠牲であり、「あなたの人生それでいいの?」ということになります。
そういうところに価値を置く人もいますので決して否定しませんが、私に関してはもう少し自分を大事にしてもいいのかなと思う次第。

とまあなんか偉そうに書いてきましたが、こういうことを考えられる/考えてしまうことが私なりの気の紛らわせ方なのかな。
思考を停止してしまうと不安や寂しさが雪崩のように押し寄せてしまう気がします。
明日の夜は少しは安眠できるかしら。

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じとめん
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