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文語文法を徹底してたたきこまれたおかげで高校2年で徒然草の原文をあじわいつつ読了できた
(2023.11.21加筆)
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はじめに
高校へたどりつくには家から1時間20分ほどかかった。当時の読書の大半はこの車内で立ったままつり革につかまりながら。おかげで喧騒のなかでも本の世界に入れるように。
なかでも古典の文のリズムは路面電車のコトンコトンの車輪のひびきと相性がよく、つかのまの至福のときだった。
きょうはそんな話。
ひと月に2,3冊
小中学校とちがい、高校へ通うのはたいへん労を要した。片道1時間20分。徒歩~バス~路面電車~徒歩。ときならぬ渋滞にまきこまれると20分、30分とかんたんに延びるのでそのぶんの余裕をみなければならない。おかげで5時には起き、30分で身支度して家を出ていた。それでも丘の上の校舎までかけ足でギリギリ遅刻をまぬがれることすらあった。
部活は休日は年に数度しかなく遅くまであり、家に帰りつくのはは午後8時から9時のあいだ。そんな時間に追われる生活だったので乗りなれた交通機関の乗車時間は自由かつ貴重。すきな読書や英単語をおぼえるのにもっぱらつかう。
車内での読書に慣れ、コンスタントにページを読みすすめると、ページ数÷2≒乗車時間(分)だとわかった。ああ、きょうは渋滞しているなとか、8時にはたどりつけるぞとか目安になった。
古典の授業
高校の古典の担当の教師は、本人の話ではわかいころは筑豊の炭鉱ではたらいたとのこと。そのためかはわからないがたいへん気が荒く、たずねたことに瞬時に生徒がこたえられないと平気で手が出てきた。
始業でその教師が教室にはいってくると、それまでの空気とはうって変わりぴーんとはりつめた緊張感がおわりまでつづいた。そうしたなかで文語の文法を(文字どおりに)徹底的にまなんだおかげで2年のはじめには、ことば(単語)ひとつひとつを品詞分解して正確に解釈できるまでに。
おかげで日本史の資料の解釈も容易に。古文・漢文はともに入試までにはほぼ満点を確保して得点源にしていた。
徒然草との出会い
あるときふとたち寄った書店で徒然草の文庫本をみつけ原文で読んだ。数十ページ読んだところでもっとはやく読んでおくべきだったと後悔。原文のまま喧騒の車内のなかでも内容をほぼ把握できた。あじわいつつあっさり車内で読み終えた。
吉田兼好の鎌倉時代の末から南北朝時代にかけての文。何度読みかえしただろう。至福のときだった。平安時代の文章とくらべるとそれ以降の文章のほうが読みやすい。もちろんのちの江戸時代にも平安の文を模した擬古文などもあるけれども。もっとはやく気づいていたらさらに難解な源氏物語などを読みすすめる時間を車内で確保できていただろうに。
リズムのよさ
こうした現代にのこる古典の多くは名作ばかり。もちろんそのため連綿と書き写され、受け継がれてきた。読んでいてここちよい。いいなあとおもえるところはくりかえし読む。これは万葉集や古今和歌集などの和歌にもいえる。ポンポンあいだにはいる母音のひびきがいいし、これが日本語の特徴かなとかんじとれる。
鎌倉時代には文字が読めない多くの民衆に対して吟じて聞かせるような芸や語りがあったのだろう。琵琶法師はなかでも有名。平家物語などはまさにその代表例かもしれない。いま生徒たちに学習サポートの教室でおしえていてもそうかんじる。生徒たちはそれをすこしでもかんじとってくれているかな。
おわりに
車内でのまがりなりの読書だったが、貴重な時間だった。やっぱり感性をみがくのはわかいうちがいいとおもう。いいものにたくさんせっする機会をあたえられるだけあたえたい。そのときはいまひとつわからなくても、いずれのちになってじんわりとそのよさがわかるときがおとずれることも。
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