最近流行の「ネドじゅんさん」の本を読んでいました。 エレベーター呼吸も実はこっそりやっています(笑) この本を読んでいたから、ではないと思うのですが その中の「二段階上のものを望む」という項を読んでいて 閃いたことがありました。 実は私、物質が大好きで、特に「上等のもの」が好きなんです。 だから、昔は現実に関係なく「いいもの」を選んでいました。 しかしだからって特にめっちゃお金持ちになれたかというと 全然そういうことはなく、むしろ、「あの時無駄遣いしたからかな」と思っちゃう
映画「室井慎次 敗れざる者」の公開に伴って 今日のYouTubeには、番宣の動画がたくさんあがっていました。 柳葉敏郎さんが舞台あいさつでお話されているものとか テレビ番組に出られてお話されているものを 見ました。 私は「踊る大捜査線」をドラマで見ていた世代で 柳葉敏郎さんが演じる室井慎次もかっこいいと当時は思っていました。 コメディタッチな部分もあって 個性的な人たちが活躍する楽しいドラマでした。 で。その、柳葉さんが面白いことを語っていらっしゃったんですね。 見ている
こんばんは。久しぶりの投稿です。 実は、アメブロも始めて、そちらのほうでは日々のセルフケアについての発信をしています。 こちらではちょっと真剣な話を書いていきます。 先日、学生時代の仲間と会いました。 教育を専門とするところで一緒だった人たちです。 私は、子どもが不登校してたり、私が鬱になったりで 逸脱していない家庭の話は聞きたくない時期が長かったものですから できるだけ会わないほうを選んでいました。 が、そろそろシングル生活も落ち着いてきたので 限られた時間でなら会っても
五山の送り火が終わって 朝晩が涼しくなりました。 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。 さて。 子育てをしていて、特に不登校問題などに首を突っ込んでいると 「昔はよかった」伝説を聞かされることがよくあります。 大家族だったからよかった 核家族じゃないからよかった 自然がいっぱいだったからよかった・・・ その伝説を聞かされるたびにうんざりする自分を顔に出さないようにするのが大変でした。 それって100年前から言われてないですか。 今の若い人たちが考えている昔というのは「
暦の上では秋だそうです。こんにちは。 この夏は気温が35度以上になることが毎日続いていて 新しい体に生まれ変わるしかないのでは?と ダメージ受けてる50代です。 さて。 Xで不倫を叩く人をよく見かけます。 「結婚している女」です。 私はそもそも結婚という制度が苦手なのですが その理由が「妻という立場になれば何を言っても許される」と思われているからでもあります。 (これ全部書いてから気づいたんだけど、もしかして「不倫していた過去があって嫁という立場の人間が羨ましかった現妻
先週イベントが二日続いた そのあともすぐに休めず 昨日ついに夕食後には目を開けていられなくなった。 ゆっくりできる平日は貴重である さて 「母親をやめた」話を書いたけれど その前段である「世話をすること」「境界線」について つらつらと書いてみたい 私が「誰にもわかってもらえない」という気持ちを抱いたのは どうやら小学生の頃で 今でいう「ヤングケアラー」に近い日常を過ごしていたからだと思う 見た目にそれとはわからないし、貧しくもなかったから 余計に「誰もわかってくれない」の
今から4年前、私は子どもたちを手離して一人暮らしを始めた。 そして、「母親としてやるべきこと」から自分を解放した。 25歳で子どもを産み、31歳の時に産後鬱で寝込んだ。 共働きだったが、学校とそりが合わない子供たちだったため 両立は不可能となり(鬱はよくなっていたけれど、無理することはできなかった)専業主婦になった。 もともと「子育ては無理かもしれない」と自らの気質を理解してはいたけれど、子育てしたことに悔いは全くない。 それでも、子育ての前に自分のキャリアを構築してきた
こんばんは。 ちょっと奥さん、聞いてくださいよ。 40年経ってやっと気づけたことがあるんですよ。 びっくりですよ。 この話が誰かの参考になれば幸いです。 そもそも友達がいないわけじゃなかったのに 孤独感を募らせてばかりいた子ども時代。 思春期ってそういうもんよという人もいるでしょうが ずっと付き合っていける友人を私は作りませんでした。 その答えの一つがわかったのです。 40年前、通っていた中学校はとても荒れていました。 いわゆる校内暴力全盛期でした。 毎日が緊張の連続
昨日から何度も書き直しているのだけれど まとまらない。 さっきも筆が進んでさあ投稿だと思ったら 「これ、やばくね?」と自分に検閲が入った。 今の日本では発言を気にしなければいけないところはままあるから。 というわけで、改めて。 久しぶりのブログです。 結論 「制度から出ても生きていける支援が大事」「どう生きるかが大事」です。 今の支援ってどうしても「制度に適応できる人間にしよう」になってしまっていて、さらに生きづらい人を生み出しているのではないかと 私は思うのです。
アラフィフの一部の人にはわかると思うのですが 昔から「生きづらい人へのアドバイス」として 「男に頼ることを覚えろ」というのがありまして。 久しぶりに、そういうことを言う人に出会ってしまいました。 私は、感情や言葉が表に出ないことで、ストレスを抱えてしまう傾向にあり、自分でもずいぶん研究し、練習してきました。 そもそも、言葉がなくても通じる人たちと一緒にいれば問題ないですし(超能力だとか察してほしいとかではなく、黙っていても心地いい関係ということです)自分自身、それほどのこと
怒りは悪くない 私ほど「怒り」という単語に囚われてきた人間はいないんじゃないかと思う。 「あなたの怒りは病気を引き起こす」と呪いの言葉を吐かれたほど、表面上の私からはわからない怒りが溜まっているらしかった。 そもそも喜怒哀楽が激しいはずで、子どもの頃からパニックを起こしていた(あれがパニックだったと気付いたのは大人になってからだったが)。 でも、その感情は誰にも受け取られず、スルーされ、「ここで生きていくなら自分の感情を味わうよりも、他人を観察しなければならない」と深く心に
カウンセリングを受けています一年前からカウンセリングを定期的に受けるようにしています。 理由は、自分自身のことを語る時間が欲しかったから。 自律神経の狂いや更年期らしき症状で精神科医にも毎月通っているのですが、それと同じタイミングで、体調管理の一つとして捉えています。 これがとてもよかった。最初の目的は「話を聞いてほしい」でしたが そこはプロの臨床心理士さんです。 今は、毎回新しい気付きを得られるし、きちんとした枠組み(時間通りに終わる)があるので、その淡々とした感覚に慣れ
1.学校とか教育とか私が日本の学校に対して疑問を持ち始めたのは中学生の時だった。 学校図書館で『ミュンヘンの小学生』(子安美知子著)を読んだ。 こんな学校に行ってみたいなと思った。 小学校ではいじめがあり、体罰をふるう教師がいた。 中学校は校内暴力まっさかりで、おちおちトイレにも行けなかった。 教師は誰もかれも血が通っていないように見えた。 私は成績が良かった。ただそれだけで、教師もクラスメイトも、私を誤解した。 学歴重視だと言いながら、学校で幸せなのは ・学校に疑問を持