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自分でない自分を評価されること

映画「室井慎次 敗れざる者」の公開に伴って
今日のYouTubeには、番宣の動画がたくさんあがっていました。
柳葉敏郎さんが舞台あいさつでお話されているものとか
テレビ番組に出られてお話されているものを
見ました。

私は「踊る大捜査線」をドラマで見ていた世代で
柳葉敏郎さんが演じる室井慎次もかっこいいと当時は思っていました。
コメディタッチな部分もあって
個性的な人たちが活躍する楽しいドラマでした。

で。その、柳葉さんが面白いことを語っていらっしゃったんですね。
見ている方もいらっしゃると思いますが
「室井慎次を演じるのはつらかった」と何度も語っていらっしゃいました。
今やっと言えるようになった、ということかもしれません。
そもそものご自分がやりたい演技とは違うということ
そして、そのキャラの役のせいで、わいわいしている仲間に入れなかったということ
そのようなお話だったかと思います。

そうだったのか~という感想とともに、「わかるなあ」とも思いました。
わかる、というのとは少し違うかもしれませんが
「自分が好きではないキャラクターが有名になってしまって勝手にイメージが独り歩きしてしまう」のは、あまりうれしくないことだという点に関して
理解できる部分がありました。

この社会では、生まれ落ちた順番でイメージされるキャラクターというやっかいなものがあります。
私の場合長女、というキャラクターが与えられました。
私は本来、不器用でおっちょこちょいで、もし末っ子として生まれていたら
からかわれてしまうか、守られるか、どちらかになったのだろうと思いますし、ひとりっこであれば、両親に心配されてきたかもしれません。

しかしながら、長女であったために、親からも守られることなく、妹や弟からは「お姉ちゃんなのに失敗多い」と思われ、そのくせ、「長女だからしっかりしているね」とか言われていました。

私が本来の自分自身の性質を思い出したのは、40歳を過ぎてからです。
それも離婚してからです。
それまで、「なぜ私はしっかりしていないのに、しっかり者だと言われなくちゃいけないんだ、でも、それはできない自分が悪いのかもしれない」などと思い悩んでいたのです。

鳥かごに閉じ込められているような感覚もずっとありました。
窮屈な服を着ているような気がしていました。
それがなんなのか、わからないままに。

しっかり者で、なんでもできそう、と思われていたため(自分でそういうキャラを演じなきゃいけないと思い込んでいたため)に
一緒に遊ぼうと気軽に声をかけてくれる友達も減っていきました。
失敗してはいけないと必死になっていたために、寄り付きにくい人格として
外からは見られていたのかもしれないなあと思ったりします。

それぐらい「自分でないキャラを演じて生きていく」のはしんどいんですよね。

そっちを評価されたいんじゃないんだ!って叫びたくても
もう幼い頃から身に着いてしまっていて
それ以外の自分を出すのは恐怖でしかないので言えず。

中身を理解しない大人たちからの「プラスの評価」が全くうれしくなくて
大人は信じられない、と思ってました。

だから、その反動で、子どもたちが勝手なレッテルを貼られないよう
守ろうとして子育てをしてしまったのは、ちょっと反省ポイントです。

大人の、子どもへの期待というのは恐ろしいもので
期待されるぐらいなら放置されたほうがいいのでは?と
思えるほどです。
勝手な思い込み、勝手な期待、それらの弊害たるや、大人になってもそれに支配されてしまいますから。

「うちの子がこんなにいいことを言いました」というSNSとか読んでしまうとうっかり毒を吐きそうになるので大変です。

親の脳内で見ている子どもと、子ども自身は全然違う。
その自覚がないって恐ろしい。

あ、それは「子どもをかわいいと思うこと」とは違います。
そこ、勘違いしないでいただきたいのですが
「私の子どもがこんなにいいことを言いました」と言ってるのは、親が子供の発言を利用して自分自身をアピールしているのが見え見えなんですよね。
でも、「うちの子はかわいい」と確信しているのは、自分のアピールではありませんよね。(そういうケースもあるかもだけど・・・)
子どもを信頼することと、子どもの発言を利用することは違うので。

自分でないキャラクターで生きていると、いつか限界が来ます。
私は、小学生の時に何度かものすごい癇癪を起こして家族から冷たい目で見られたのですが、たぶんそれは「我慢の限界」だったのではないかとにらんでいます。
その時に「ここでは何をしても私自身がありのままで認められることはないのだ」となんか悟ったような気がしていて、そこから心を開かないようになっていったみたいです。

いろんな経験を経て、昨年バイクで頭を打ったあと、痛くてずっと寝ていた時に「これが本来の自分」というものに触れた瞬間がありまして(言葉にできない、不思議すぎて)
その日からどんどん自分を思い出して、肩の力が抜けた人との付き合いができるようになってきたのです。

長女役なんてやりたくない!と決意したのは実は子どもの頃だったんですけどね。役を降りようとしても、学校の先生からの視線とか、周りの見る目は全然変わらなかったので、まあ、実家を離れないと無理だったのでしょう。

自分でないキャラクターの服を着ていると
本当に疲れます。疲れてしまって体にも影響が出ます。
それが私の中年期に一気にやってきて
ぼろぼろになってました。

今もまだその体の不調を味わっているところです。

才能やらやる気やらがどんなにあっても
自分ではないものに乗っ取られていたらまったく意味がないわけです。
何をしても、何を作っても「自分じゃないみたい」としか思えない。
自信も持てない。

ある場所で、たまたま十数人集まった人全員が第一子長女だったことがあって
長女であることから逃れるために○○してますとか、今まさに長女の性格を変えたいと思ってますとかほとんどの人が言ってて
ちょっと感動しました。

同じ苦労をしている仲間がいることがわかって
安心したのかもしれません。

役者さんは撮影が終われば素の自分に戻れるけれど
それでも「室井役はキツイ」と言わしめたぐらいなのだから
「ありのままで」いられる人間関係がどれだけ大切か
わかるのではないかと思います。

ちょうど今。
音楽サークルで「レリゴー」練習中。タイムリーだな!

#室井慎次 #敗れざる者 #評価 #ありのままで #LET IT GO





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