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強くなりたい

アラフィフの一部の人にはわかると思うのですが
昔から「生きづらい人へのアドバイス」として
「男に頼ることを覚えろ」というのがありまして。

久しぶりに、そういうことを言う人に出会ってしまいました。
私は、感情や言葉が表に出ないことで、ストレスを抱えてしまう傾向にあり、自分でもずいぶん研究し、練習してきました。
そもそも、言葉がなくても通じる人たちと一緒にいれば問題ないですし(超能力だとか察してほしいとかではなく、黙っていても心地いい関係ということです)自分自身、それほどのことだとは思っていなかったのですが
人生の困難に直面した時に話を聞いてもらおうとすると、「あなたは頼れない人だ、甘えられない人だ、だからしんどくなるんだ」と言われることが多々、本当に多々!ありました。
そして、「甘える練習をしましょう」と言われ「例えば、”荷物を持って~”と言ってみるとか♡」・・・うん・・・昔なら・・・それもわかる・・・とか思ってました。

長女だしな、親に頼られるだけで、頼ったことあんまないしな。
間違いないんだけど、なんだかな・・・。

そう、その相談した人に対しても「言えない」(笑)

で。久しぶりにそういう話になったんですよ。
「うおーまたきたか・・・」と心の中で突っ込みながら「そうですよね~」といい子ちゃんの返事をして終わった後で気が付きました。

だいたいさ、荷物を自分で持てないってなんだよ。ペットボトルの蓋、開けれないってなんだよ。頼るとこそこ?

例えば、私が彼に言いたいことが言えない、子どもたちにも言えないとして。それは違うのです。
愚痴をたれ流したらあとで自己嫌悪に陥るのは明白だし、相手をどうやってもコントロールすることにしかならないことも言いたくない。
アイメッセージを使えというのも流行ったけど、コントロールする意図があったら一緒です。使っても使わなくても。

昔から、私が人に頼れない理由はいろいろあるけれど
ひとつには「私が何もできなさ過ぎた」というのがあります。
はさみがうまくつかえない。お箸がうまくもてない。跳び箱飛べない。忘れ物取りに走って帰ることはしょっちゅう。
だから、常に「ごめんなさい状態」で生きてきて。
「いつか普通になりたい、誰にも頼らなくていいくらいになりたい」と思ってました。←ってことを忘れてた、今まで

親があんまり助けてくれなかったんで、それもあるかもしれないけれど、「できなくても助けてもらう愛想の良さがあれば」と言われるかもしれないけど、私は「できるようになること」が自分にとって最大の防御だと思いました。頼ることで馬鹿にされたことも一因になってるかもしれません。

でもね、やっぱり強くなりたいと思いました。
助けられる側じゃなくて助ける側になりたい。
荷物ぐらい軽々運びたいし(子ども抱えられるんだから)、農作業を軽々としている祖母はかっこよかったですし。
なのに「生きづらい」と弱音を吐いたら「男に頼る練習をしよう、人に頼れるようになろう」と言われたことが、ずっとずっと嫌だったのです。

これが、私が男なら、そんなことはアドバイスにもならないはずです。
せいぜい「休め」だし「筋トレしたらどうかな」だと思うし、男も甘える練習したらいいとは思うけど、それはオプションのひとつだと思ってくれる気がするのです。
甘え上手な人だなあ、俺はちょっと違うなあ、くらいで済む。
でも、女性だからか?「”荷物持って~”とか言いたいでしょ、そこからちょっとずつわがまま受け入れてもらうんだよ」と言われちゃう。言いたくないし・・・って言えなかった過去・・・。

私のわがままはそこじゃない。私にできないことがあっても、非難しないでほしいとか、黙って見守ってほしいとか、そういうこと。
変な踊りを勝手に踊りだしても馬鹿にしないでほしいとか(笑)
体調がすぐに悪くなるけど、愛想つかさないでほしいとか。

だから、やっぱり。
強くなりたい。
丈夫になって一緒に遊びたいし、ひとつでもできることを増やしたいし
そのための練習を一緒にできたらいいなあと思う。
心を穏やかに保つことで、楽しい時間を増やしたいし。

「甘えることを覚えたら人間関係うまくいく」というわけのわからない「常識」を取っ払いたい。
言いたいことが素直に言える人だけが幸せになれるなんていう世界もなくしたい。

黙っていても通じあう空気を大事にしたい。

人は、頼って頼られて自立するという考え方はわかります。
そこもある。
だけど、その考え方を利用してカルトっぽくなっちゃう家族もある。
嫌でも抜けられなくなったりする。

ああ、そうだ。抜けたかったから、強くなりたくて、甘えたくなくて、頼りたくなかったんだね。

甘えられないってことは人を信頼してないということだと決めつける人もいるけど、そういう雑な人間観察もやめてほしい。男尊女卑の中で生きてきた女性たちは、それこそ男に甘えられず、家事や育児や介護をしてるけど、人を信頼していないわけではない。

今より20年前から、「甘えることができて素敵なパートナーに巡り合いました!」的な宣伝をしてセラピーをやってるスピさんがたちがたくさん出てきて、「甘えられないこと=かわいそうなこと=おひとりさま」みたいな風潮があって、すげー不快でした。当時は若かったので、「不快だ」と思うこともできないような圧があってしんどかった。

結婚もしていたし子育てでひっくり返っていて、実家に頼れないし、私はこれ以上倒れるわけにいかないし、夫は子供みたいだし、しんどかったんだけど、当時私が欲していたのは、「甘え方」ではなくて「共に頑張る人の存在」だったんだなと思います。
スターウォーズのレイア姫に憧れていたことを思い出しました。

女性にとって、悩みの解決法が「甘え」だけじゃなく「修行」があってもいいんじゃないかな。ともに切磋琢磨しあう友情があってもいいんじゃないかな。
知恵を出し合い、乗り切っていける仲間がいれば、男に甘える練習をしなくたっていいような気がします。

不登校の親の会が楽しかったのは、そういうとこかもしれないね。

子供が巣立った今、そういう場所をまた探している。
ともに生きていこうって。







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