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ののうの野

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【初回のみ有料】磐城まんぢう書き下ろし小説『ののうの野』を不定期掲載しています。 時は戦国、かつて信州祢津地域に実在した”ののう巫女”集団にスポットを当て、戦乱に巻き込まれていく…
学術的には完全否定されている”女忍者(くノ一)”の存在を肯定したく、筆者の地元長野に残る様々な歴史…
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#真田昌幸

第12話 甲斐、怪々(かい、かいかい)

 人の心ほど 不可思議なものはない。
 昨日まで同じ 釜の 飯を食べていた者同士が、釜が 壊れてなくなると心が離れ、同じ 膳を囲んだ 団欒もやがて性質が変わり、ついには対立を生じるものか。一方は釜を 惜しんで同じ釜を作ろうとする者、もう一方は釜の事など忘れ別の 旨そうな飯にありつこうとする者──── 信玄亡き後の武田家臣団がそれだった。
 人の心というものは、その時の取り巻く 環境によって白くもな

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第11話 沼田、攻略完了

 三月に入って北条方は、昌幸に取られた小川と 名胡桃の両城を奪い返そうと、 北条 氏邦に三千余騎の兵を与えて攻撃を開始させたが、 地の 利に 長けた真田方のゲリラ戦法の前にあえなく大敗を 喫し、激怒した氏邦は、沼田の南 利根川と 吾妻川の合流点にある 白井城の 長尾 憲景と戦略を立て、白井と沼田の二方面からの侵攻を計画した。
 ちなみに真田昌幸は〝 安房守〟とも言われるが、これは、このとき攻めて来

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第10話 〝御館の乱〟の大津波

 越後の上杉の動きを探っていた吾妻衆 伊与久采女が、真田昌幸の所に異変を報せに飛んで来たのは、翌天正六年(一五七八)三月半ばの事だった。このとき昌幸は信濃にあって、思わずも、
 「死んだか!」
 と、惜しみだか喜びだか悔やみだか希望だか分からない声を挙げたのは、それもそのはず、故主君武田信玄長年の、宿敵だか盟友だか判断のつかない、かの上杉謙信の訃報だったからである。
 これにより時代は大きく動く。

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第7話 沼田城

 上野国沼田の西に位置する吾妻の、岩櫃城は海野幸光とその弟輝幸が守護して郡代を務めているが、もとよりこの兄弟は吾妻郡羽根尾を領する羽尾氏の血を引く国人衆で、信玄の勢力拡大によって昌幸の兄信綱の調略で武田氏に降ってより、
 「もとを正せば我ら、滋野一族の海野氏の子孫だ」
 と自称して海野を名乗るようになっていた。
 岩櫃城は一応信綱支配の城という事にはなっていたが、長篠の敗戦もあって、武田に領地を押

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第4話 雲井丸

 鷹狩りは戦国武将のステータスである。
 織田信長をはじめ、豊臣秀吉、徳川家康など、〝鷹狩り〟と称して野山に出掛けたのは、猟を通して軍事演習を兼ねたり、その土地の様子や民情を探るための視察や巡見の意味もあり、特に秀吉などは自分の権勢付けの政治的パフォーマンスとして大規模な鷹狩りを行なった。
 古くは朝廷を中心とした貴族の権威権力を示す単なる遊びとして栄えており、鷹は朝廷からの御預り物として非常に貴

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於北のまつ

『城郭拾集物語』信濃国(長野)真田屋敷と真田氏本城(松尾城/真田山城)より

 信州信濃は戦国以前より細かな国人衆割拠の国である。
 室町前期には足利将軍から信濃国守護に任命された小笠原長秀による統治が始まるかに思えたが、その就任直後、反発した村上氏を中心とした中北信(地理的に信州の中央部と北側に位置する地元の呼び名)の細かな国人衆が決起した。その中に小県の真田氏も〝実田〟の名で見える。そして応永

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