第12話 甲斐、怪々(かい、かいかい)

 人の心ほど 不可思議ふかしぎなものはない。
 昨日まで同じ かまめしを食べていた者同士が、釜が こわれてなくなると心が離れ、同じ ぜんを囲んだ 団欒だんらんもやがて性質が変わり、ついには対立を生じるものか。一方は釜を しんで同じ釜を作ろうとする者、もう一方は釜の事など忘れ別の うまそうな飯にありつこうとする者──── 信玄しんげん亡き後の武田家臣団がそれだった。
 人の心というものは、その時の取り巻く 環境かんきょうによって白くもなり赤くもなり、 えんによって青くも黒くも黄にも 変現へんげんする 奇々きき 怪々かいかい妖怪ようかいにも て、 だれが味方で誰が敵か──── うそをつく事は誰でもするし、嘘をついていない者でも信じられない事もある。結局、最後の最後に振る舞うその人の行動にのみしか、人の 真実しんじつは見えないものだ。
 ──── ふもとから のぞめば美しいお 椀形わんがたの標高七八〇メートルの 要害山ようがいさんがあり、東西を流れる川は下流で合流して 相川あいかわとなる。その川の 扇状地せんじょうち扇子せんすで言えば かなめの少し下(北)辺りに武田氏の 居館きょかん 躑躅つつじさきはあり、一辺およそ二 ちょう(二百メートル弱)のほぼ正方形の敷地は へい水堀みずぼりとで囲まれ、その周辺は家臣団の屋敷が建ち並ぶ。
 城下は扇状地に沿って北へ延び、およそ二町間隔で南北を走る五本の みちは、それぞれ商人や職人の住む町へ続く。〝路〟と言っても ぐ延びているわけでなく、途中で折れ曲がったクランクがあったり、 つじわざとずらしていたり、それは敵の侵入を警戒して 遠見とおみができないようにするための仕掛けであるが、 やかた周辺には武田氏の 氏神うじがみである 八幡はちまん 神社じんじゃ諏訪すわ 南宮なんぐう神社の他に いくつもの寺社が点在し、その付近には商職人が住んでいて、城下北側の町人街の東には毎月三日に いちが立ち、また西には八日に いちが立ち、その日はお祭りのような騒ぎを見せる。いずれにせよ 甲斐かい府中ふちゅうはいつでも 繁昌はんじょうの地であり、武田家臣団の 内部ないぶ 異変いへんに気付くはずもない町人たちは、今日も城下を にぎわせているのであった。
 そんな府中の〝 青善あおぜん〟という 旅籠はたご屋に 逗留とうりゅうしている 伊織いおり 智月ちげつ組の〝ののう 巫女みこ〟は、毎日依頼の絶えない忙しい日々を送っており、今日も大工だいくちょうに住む大工の何某なにがしという棟梁とうりょう女房にょうぼうから死口しにぐちの依頼を受けて、お雪とおぼろはその家へ行っており、行ったついでにその後は周辺の家々を回る予定だったし、智月は清音きよねと花をともなって、武家屋敷が建ち並ぶ区内にある諏訪すわ勝右衛門かつえもんという男の妻に呼ばれて出掛けているし、伊織も伊織で何かと宿屋への出入りが忙しく、あやは一人で留守番るすばんである。人が多ければそれだけ巫女の需要じゅようも多いというわけだった。

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8,372字
学術的には完全否定されている”女忍者(くノ一)”の存在を肯定したく、筆者の地元長野に残る様々な歴史的事実を重ねながら小説にしています。 無論小説ですので事実と食い違う点も出てくるとは思いますが、できる限り史実に忠実になりながら、当時の息遣いが感じられるようなものにできればと思っています。 伝えたいのは歴史に埋もれたロマンです。

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