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ののうの野

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【初回のみ有料】磐城まんぢう書き下ろし小説『ののうの野』を不定期掲載しています。 時は戦国、かつて信州祢津地域に実在した”ののう巫女”集団にスポットを当て、戦乱に巻き込まれていく…
学術的には完全否定されている”女忍者(くノ一)”の存在を肯定したく、筆者の地元長野に残る様々な歴史…
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#武田勝頼

第16話 手弱女振(たおやめぶり)

 真田信綱の娘 清音の武術科への転入は、祢津家当主の常庵にして拒むものでなく、昌幸に相談すればむしろ「そうか!」と、当然そうなるだろうと読んでいたかのように喜ぶものだから、すんなり希望が叶った清音はその日より巫女修練道場の舎営に移り、さっそく道着を着せられ武道場に連れて来られて、武術科指南頭の割田志乃の面前に正座した。いわゆる面接というわけだが、道場の壁際には師範級の者たちだろうか、みな同じ道着を

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第13話 相模の方(かた)様

 巫女の一日は未明の水垢離から始まる。それは旅歩きをしている時も同じで、水で身体を清めたあと、巫女たちは組頭巫女の対面に正座し、祭文を復唱してから口授で教えを受ける。そしてようやく朝餉を食し、食事が済むと神事舞太夫はその日の口寄せ回りの予定を伝える。依頼がなく時間が空く時などは、こちらの方から飛び込みで家々を訪問し、今で言う訪問販売的な事をして仕事を取ることもままある。
 翌朝、巫女らを集めた丸山

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第12話 甲斐、怪々(かい、かいかい)

 人の心ほど 不可思議なものはない。
 昨日まで同じ 釜の 飯を食べていた者同士が、釜が 壊れてなくなると心が離れ、同じ 膳を囲んだ 団欒もやがて性質が変わり、ついには対立を生じるものか。一方は釜を 惜しんで同じ釜を作ろうとする者、もう一方は釜の事など忘れ別の 旨そうな飯にありつこうとする者──── 信玄亡き後の武田家臣団がそれだった。
 人の心というものは、その時の取り巻く 環境によって白くもな

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第5話 勝頼の苦悩

 天正元年(一五七三)四月十二日、武田信玄は死ぬ間際、
 『わしが死んだら三年間は、絶対わしが死んだ事を外部に洩らすな。わしは隠棲した事にし、その間、四郎(勝頼)には陣代を申しつける。武田家の家督は、四郎の息子信勝が十六になったら譲る。某の弔いは無用、具足を着せて諏訪湖へ沈めよ──』
 これが遺言となった。この意味については後ほど触れるが、この物語(『のゝうノ野』)の始まりの天正四年は、信玄が没し

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第2話 求女川(もとめがわ) 

 祢津の舘の東側を流れる川がある。 
 石垣の下はすぐ河川敷で、現在はコンクリートに狭められた窮屈な流れだが、当時は川幅が何メートルもあるほどの大きな清流だった。水源は湧き水だそうだが、その流れは今も昔もおよそ三キロほど流れて千曲川へとそそぎ込む。
 川の名を〝求女川〟と言うのは、祢津の当主が武田信玄に臣従した先代の元直の時、ここ祢津に訪れた信玄にまつわる一つのエピソードが残されたからである。
 

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