第2話 求女川(もとめがわ) 

 祢津のやかたの東側を流れる川がある。 
 石垣の下はすぐ河川敷で、現在はコンクリートにせばめられた窮屈きゅうくつな流れだが、当時は川幅が何メートルもあるほどの大きな清流だった。水源は湧き水だそうだが、その流れは今も昔もおよそ三キロほど流れて千曲川へとそそぎ込む。
 川の名を〝求女川もとめがわ〟と言うのは、祢津の当主が武田信玄に臣従しんじゅうした先代の元直もとなおの時、ここ祢津に訪れた信玄にまつわる一つのエピソードが残されたからである。
 元直には里美姫みさとひめという美しい娘がいた。つまり現当主常庵じょうあんの妹であるが、女にして馬を自在に乗りこなし、風を切って野山を駆け巡る勇美な姿に信玄はすっかり心酔してしまう。
 ある夜、この川をはさんで祢津の舘から、暗闇に光るほたるの淡い光のような、どこまでも澄んだつづみ音色ねいろが聴こえた。信玄は、すぐにそれが里美の打つ鼓だと知り、
 「我が武士もののふの心に、深く忍び入るその鼓の音は里美姫でござろう? わしは其方が恋しくてならん。どうか一目でいいから、その美しい姿を見せておくれ!」
 すると鼓の音は止み、やがて舘の石垣の上に一人の女が姿を現わした。里美に違いない。
 「今のお言葉が誠なら、私は甲斐の躑躅ケ崎つつじがさきの雪の野を、どこまでもあなたと一緒に歩いてゆきたいのです!」
 里美は高ぶる心のまま石垣を飛び降りたと同時に、信玄は冷たい川の水をって二人は川の中央で抱き合った────。
 当初彼女は〝祢津御寮人ねつごりょうにん〟と呼ばれるが、二人が結ばれて間もなくの頃、里美を引き連れて諏訪氏を滅ぼした信玄は、暫く彼女を諏訪の上原城に住まわせたので、以降〝諏訪御寮人すわごりょうにん〟と呼ばれるようになった────というのは筆者の説であるが、こうして天文十一年(一五四二)十二月、里美は正式に甲斐の信玄の許へ嫁ぐ。やがて信玄との間に勝頼かつより伸清のぶきよをもうけた里美姫は、その後二十代の若さでこの世を去った────。

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学術的には完全否定されている”女忍者(くノ一)”の存在を肯定したく、筆者の地元長野に残る様々な歴史的事実を重ねながら小説にしています。 無論小説ですので事実と食い違う点も出てくるとは思いますが、できる限り史実に忠実になりながら、当時の息遣いが感じられるようなものにできればと思っています。 伝えたいのは歴史に埋もれたロマンです。

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