日本に帰国したら食べたいものリストにいつも上がってくるのがミスドのドーナッツ。エンゼルクリームとハニーファッションが食べたい。 私のミスド人生は保育園に通っている頃から始まった。 当時通っていた保育園、最寄駅、駅前のミスドは全て実家から徒歩圏内にあった。そのせいか、保育園の3時のおやつで時々ミスドのドーナッツが出た。Dポップの半分。小さい丸いドーナッツ3個ずつ。 3個ずつだから、Dポップの箱に入ったままのときと、銀のお皿に入ってる時があった。Dポップの箱の方が人気だった
私の母の地元、つまりおばあちゃんの暮らしている地域に大あんまきというお菓子がある。あんこをどら焼きの生地みたいなもので巻いたのもなのだけれど、どら焼きとは少し違う。 小さいころたくさん食べたということはないけれど、いつもとても身近なものだった。 *** 大学生になって千葉で一人暮らしをするようになり、一年くらい経ったころだったと思う。なんとなく母からの連絡にも返事をしていなかったり、お正月にも実家に帰らなかったりして母が私のことを心配していた時期があった。 母が自分の
「料理はほとんどしないです。家にいるときは、外食かデリバリーで済ませています。」 大学生の頃から一人暮らしで、社会人になって海外で暮らすようになってからも「家で料理はする?」と聞かれるたびにこう答えていた。 健康にもいいし節約もできるよと周りにどんなに言われても頑なに自炊することを拒んできた。10年以上ほとんど自炊をせずにいた。住んでいる部屋のキッチンは全くと言っていいほど使っていなかった。 それなのにここ6ヶ月くらい、家で何かを作って食べる習慣ができてきた。家でさっと
眠りから目が覚める。 大体毎朝6時頃に起きる。目覚ましのアラームを使わなくなって1年くらい経った。夜9時くらいに寝るようになって、お酒もあまり飲まなくなってから目覚ましのアラームが全く必要なくなった。 毎日たいてい気分よく目覚める。アラームでスヌーズ設定をしていたのに起きれなかった時の自分を懐かしく思う。 近くのスーパーで買った生搾りオレンジジュース(ベトナムではとても安く手に入る)を朝起きてすぐ飲む。酸っぱさと甘さと少しの苦味がいい。 それから自由帳を取り出して、頭
"いつの間にか、こんなに遠くまで来た" パリの地下鉄で、仕事にいく途中にふと思った。 *** 2年くらい前に出張でフランスのパリに3ヶ月滞在することがあった。はじめてのパリで右も左も分からず、でもすることは決まっていたので(仕事)流れに身をまかせていた。 出張先のオフィスはパリの中心から少し離れた西の方にあって、出勤には地下鉄と路面電車を使っていた。 フランス語はほとんど話せなかったけれど、表記はアルファベットで少し語彙を覚えれば地下鉄や路面電車を乗り継いでオフィス
「知(とも)のところに遊びに行こうよ」 3年くらい前、今は広島に住んでいる弟がまだ福岡に住んでいた頃、姉に誘われた。 確か春だったから3月か4月。さっそく日程を決めて一泊二日、飛行機で愛知から福岡に遊びに行った。 弟が博多駅まで車で迎えにいくよと言ってくれた。 「シルバーのミライースだって」と姉。 車種に疎い私は、ミライース?なんか格好良さそうな名前。いい車に乗ってるんだなと勝手に予想していた。 で、何の根拠もなく格好良さそうな来る前を駅前で探した。 そしたら姉
ベトナムのホーチミンには暑い夏とめちゃくちゃ暑い夏の二つの季節しかない。雨季と乾季。年間平均気温は28度くらい。 小さい頃から夏の季節が圧倒的に好きで、常夏の地域で暮らすのが夢の一つだった。ホーチミンで仕事をすると決まった時は、常夏だ!ととても嬉しく思ったのを覚えている。 ホーチミンに住み始めたばかりのころは毎日暑い暑いと言いつつ、常夏を思う存分楽しんでいた。終わらない夏。最高だなぁと思った。 12月になってももちろん暑いから(乾季の始まりの時期)、クリスマスも年末年始
「ギフト フォー ユー」 と嬉しそうにいいながら、その店員さんはBetagenというロゴの入った小さなグラスをくれた。 まただ。 近所のコンビニで、少したくさん買い物をすると(800円くらい)何かくれる時がある。軽く家の中を見回すと、タダで貰ったものたちがすぐ目につく。 Betagen (乳酸菌飲料)の小さなグラス、ハイランズコーヒーの赤いマグカップ、クッション、プラスチックの水筒、巨大な水筒。 私はひとりの時「ギフト フォー ユー」と言われても「使わないのでいらない
シュワッと結構な幅で高く飛んだ。 鼻スプレーを試しに空中で発射してみたら思ったよりも高く飛んでびっくりした。それから薬草っぽい、なんとも好きに慣れない匂いがした。 風邪を引いてくしゃみと鼻水とせきが止まらず、ついに鼻の奥の方が腫れて鼻呼吸がほとんどできなくなった。 ということを同居している彼氏にいったら、薬局に言って何かあるか探してくる、と言ってくれたのでお願いすることにした。 鼻腔拡張テープとか、胸に貼る咳止めのシートみたいなのを買ってきてくれるのを予想していた。で
「ポカリスエット飲みなさい」 小さい頃、風邪を引いたり胃の調子が悪くなったりすると、お母さんは必ずポカリスエットを買ってきて、たくさん飲むようにしつこく言っていた。 だから私にとってポカリスエットは病気の時に飲むもの、というイメージが染み付いている。大人になってからは二日酔いの時にお世話になっている。 久しぶりに風邪を引いた。数日頭痛が続いたあと、夜にくしゃみと鼻水がとまらないなと思ったら次の日は高熱が出て体が痛いほどだった。 くしゃみと鼻水が止まらないことを除けば、
ちょっと気分転換に、と台湾の台北に二泊三日で旅行したことがあった。 ベトナムは旧暦の正月を”お正月”としているのでこの時期に2週間くらいの仕事の休みを取れる。 その年は実家ではなく友達に会いに少しだけ東京に行こうと思っていて、その予定に合わせて台湾に数日泊まることにした。 それは2月で、台北はホーチミンから来た人間にとってはすごくすごく寒かった。気温は10度から15度くらいだったと思う。 私は台北のホテルのバスタブで温かいお湯に浸かりながら、ストレス、もの悲しさ、人恋
私はセネガルのダカールに行ったことがない。 なのになぜ、懐かしのセネガル・ダカールなのか? それは私が高校生だった頃までさかのぼる。私が高校2年生の時、落ち着いていそうで結構な年のおじさんS先生が地理の教科担任になった。 そして一番初めの授業を受けたあと、すっかり地理という教科とS先生のファンになっていた。 彼は例えば世界各地の気候や地形を説明する時、とっても楽しそうに、それが当たり前に面白く興味を惹くことであるというふうに興奮しながら説明する。 「ここの地域の土は
小学校に入る前まで、今の実家と違う賃貸に住んでいた。 山の一角、坂の上にある平屋の一戸建てで、坂の途中に駐車場があった。それより上に登るには車が通れない細い坂を登らなくてはいけなくて、だから毎回車で出かけても最後は家族みんな徒歩でぞろぞろと坂を上がっていた。 細い坂の脇にみかんの木が沢山あって、その持ち主のおじさんに会うとたまにみかんを持たせてくれた。私たち兄弟はその人をみかんおじさんと読んでいた。 細い坂を登り切ると大きい木と一緒に家があってそれが私たちのお隣さんだっ
朝ごはんを食べる前に屋上にある全長10メートルくらいのこじんまりとしてプールに入る。 ちょっと面倒くさいと思いつつ、ぼうっとした頭で外に干してある水着をとって着替える。タオルと部屋の鍵を持って階段で屋上に上がる。(屋上のひとフロア下の6階に住んでいて、エレベーターを使わずにプールに行けるところが気に入ってる。) よく晴れた日の次の日は、起きたばかりでも気持ちよく感じるくらいの水温。曇りがち、雨が降り続いた日の次の日のプールはすごく冷える。震えながら、覚悟して一気に入る。
“生きているうちに、好きな人には好きと言って、ありがとうと伝えて、会いたい人には会って、したいことをして、余計なことにいらいらせず、本当に大切だと自分が思うことに心をくだこう” というのが今のところの私の基本方針で、これは10年以上前から変わっていない。 このことを思い出すたびにノートに書いて、自分の心に留めておくように努力はするんだけれど、日々の生活でそんなに大切でないことに気をとられてついつい忘れてしまう。 生きているうちに: なんとなくでも人生の終わりを意識するよ
「外を歩く時はバイクやひったくりに気をつけて。」 ベトナムに来たばかりのころ、ぼーっと何か他のことに気を取られていて急に飛び出してくるバイクに気づかなかったり、スマホをリュックの外のポケットに入れていて、よく一緒にいるベトナム人の同僚たちに注意されていた。 でも、彼らが教えてくれなかったベトナムの道を歩く時に気をつけるべきことはまだある。 突然飛んでくる屋台飯の残りもの 屋台飯でいろいろなものが食べられるベトナム。例えばフォーを食べ終わった後にそのお店のおばちゃんがお椀