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家にあったストロングゼロを飲んだけれどあまり酔うことができずに、不完全燃焼な気持ちで熱いコーヒーをすすっている12月30日午前三時。 毎日が猛スピードで過ぎて行って、あっという間に2021年が終わってしまいそう。心が日々に追いつかないまま今になってしまった。ただでさえ私は昨日のことすら覚えていないことが多いのに、今までに無かったほどの年末の地獄の慌しさで今年の記憶がほとんどない。最近はnoteの更新もめっきり減った。私はnoteを始めた頃から、「書かなくても大丈夫になり
日本酒をのんだいつかのとき、間のある風味の心地よさに思わず言葉を呑み込んだ。声をあげてはいけないと思った。 この風味が頭のてっぺんからつま先まで抜かりなく行き渡るように、ゆっくりと鼻から息を吸って、つま先まで滑り込むのをしずかに待った。 𓈒.𓈒.𓈒.𓈒 日本酒ソムリエ検定 sake diplomaの資格を取得してから半年以上がたった。 試験がおわった頃から、日本酒と過ごした日々のことを綴り、たくさんの音を閉じこめた海辺の貝殻のようにその想いをぎゅうっと抱きしめてい
ご無沙汰しております。皆様いかがお過ごしでしょうか。 僕は「言うなよ!絶対に言うなよ!」っていう相手の申し出を完全にフリだと思ってあっさり公の場で言ったら普通に大事件になり、今お相手の方から怒涛の如く寄越される着信をひたすらシカトしている優雅な昼下がりでございます。逆佐亭 裕らくと申します。今日は名前だけでも覚えて帰ってください。あと、皆様も金輪際、僕には秘密は打ち明けないでください。 さて。note学園まとめ記事の第三弾です。 「えっ、この企画まだやってたの?」 なんて言
お手入れコンテンツを読んでくださった方から「パンツも同様にお手入れして良いのでしょうか?」というご質問をいただきました。 基本的にはパンツも同様にお手入れしていただいて問題ありません。 foufouのパンツにはセンタープリーツのあるものが多いですが、これを残すか残さないかでお手入れの方法が変わります。また、履いた時の印象も変わってきます。 センタープリーツを残したままお手入れすれば、ピシッとメリハリのある印象で履いていただけますし、逆にセンタープリーツを残さずにお手入れ
書きたいことはたくさんあるはずなのに、言葉にするとなんだかうそに思えてしまう。 この頭のなかをぜんぶそのまま文字に起こせたらいいのにと思えば思うほど、指先をすり抜けて液晶画面に浮かんだときにはもう、くるくると草原を走り回っていた裸のあの子たちはいつの間にかドレスアップしてしまっている。 温度のある言葉がすきだ、と思う。 温度のある言葉を使いたい、と思う。 昔から江國香織さんの編み出す言葉がそれはそれは大変に好みで仕方なくて、そのおおきな理由のひとつに「漢字とひらがなの
ちょうど去年の今日、こんなnoteを書いていた。 あれから一年、私は変わらず「お茶」をやっている。意外だ。飽き性だから、やめているかと思っていた。 スタンスはなにも変わらない。私は夜中に文を書くだけ。noteを書いていることは、友達にも恋人にも言っていない。もしかしたらバレているかもしれないけれど、今のところ直接問われたことはない。そっとしておいてくれているのかもしれない。実際のところは私も分からない。 書かなくても大丈夫な日が早くきますようにと思いながら書き続けて三年
締め切りがなければ、夢を叶えることができないのだとしたら、世の中には夢を叶えることのできない人が多いだろう。 だけど、その締め切りという名のチャンスは、決して一度きりしか訪れないわけではなく、自分が自分自身で諦めるまでは、何度だって訪れる。 ゴールテープが夢の締め切りだとする。 でもそのゴールテープは、新たな夢へのスタートラインでもある。 夢を追い続ける人生。 ゴールテープを切っても、まだ続くのが人生なのだとしたら、夢だってなんどもカタチを変えて、私たちの人生の中でずっと続
大学4年生の夏休み、私は1カ月間、ホームステイをした。 私が住んでいた家から車でわずか20分の所にある、母方の祖父母の家がホームステイ先だ。 当時、私は大学3年生のうちに就職先が決まり、大変不規則な生活を送っていた。昼夜逆転する体内時計。それを正常に戻すために全く寝ない日を設ける。そんな日々を定期的に繰り返し、気付けば人生最後の夏休みが目前に迫っていた。(社会人にも夏休みはあるけど、学生の夏休みは特別だからね。) 「このままではいかん・・・!私の時間を取り戻さねば・・・!
「妊娠したの」 ガツン、と頭を殴られた気がした。 一発KO。 ワニワニパニックのワニより、脳天を強く撃ち落とされる。 人間、予想外で受け止め切れないほど衝撃的なことを言われると、「あ」と「う」の中間の音が喉の奥に引っかかって、なかなか出てこないのを初めて知った。 というのも、私にそう告げたのは、長年の幼なじみでも友達でも、年若い後輩でも無く、実の母親だったからだ。 ちなみに、私は30をとうに超える一児の母であり、私と母は30以上歳が離れている。 つまりそういう事だ。
わたしはオタクになり得ないタイプの人間だ。 すごく好きなものに対する「好き」を爆発させられないタイプ。 例えば、好きなアーティスト。 そのアーティストが発売してきた曲は、シングル、表題曲だけじゃなく、アルバム収録曲のいわゆる「マイナーソング」までほとんど知っている。CDが出たら必ず買うし、配信されたらitunesで購入してダウンロードする。 SNSでは、そのアーティスト関連のアカウントをフォローして、何となく情報を追い、どこかの番組に出ていたら録画までするかは別として、チェッ
芸人さんのラジオが好きだ。 ライターの山田です。 ラジオはテレビなどの映像を伴うコンテンツよりもマイナーで、時代遅れのカルチャーかもしれません。 それでも私は声を大にして言いたい、「ラジオがたまらなく好きだ」。 ラジオにしかない魅力、話術だけで0から作り上げる世界にいつでもワクワクさせられています。「ラジオはテレビに劣る」なんてことは決してないのです、むしろ情報が制限される分、そこにはより演者の力量、そして人間性が色濃く滲み出る。声だけで笑わされて、そして時折とんでも
“人肌恋しさ”でいったら、わたしの右に出る者はまずいないと思っている。 「好きな人とふれあうことが好き」という生理的欲求にも近い思いは、大なり小なり多くの人が持ち合わせていることだろう。 しかしながらわたしのそれは、彼らの健全なものと並べるのが申し訳ないほどに途方もなく大きく、笑えないくらい深刻で、日常生活にも支障をきたしてやまないレベル。 「ふれあうことが好き♡」というよりも「ふれていないといよいよヤバくなる」と表したほうが、おそらく正しい。 ひとりの夜は、ベッドに入
ラジオを聞くのが好きだ。夜中にイヤホンで一人で聴くのも良いし、カーラジオから垂れ流しながら長距離を運転するのも良い。最近だとネットラジオをTwitterなんかで実況しながら聴くのもとても面白い。 私がラジオと出会ったのは、中学2年生の頃だった。年末の忘年会で父親が景品で貰って来たポータブルラジオを譲り受けたことがきっかけだったと思う。 それまではラジオの印象といえば、家族で車に乗って出かける際にカーステレオから流れる『日高晤郎ショー』という番組だった。この『日高晤郎ショー
最初に物語を書き始めたのは、確か小学生の時だった。でも、何か表現したいことがあってとか将来作家になりたくてとかでもないし、頭に物語が溢れてくるような天才でもなかった。 ただ、自分が人よりもちょっとだけ書くことが得意なことは知っていたから、その得意分野で誰かに褒められたかったからだ。 正直、物語の内容なんてどうでもよかった。ただ、上手だねぇとかすごいじゃん!って褒められたいがために書いていた。だから、あの頃書いた物語の内容は覚えてないし、書いてて楽しかったかって聞かれると正直