風通しのいい生活

風通しのいい生活

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移ろいゆく日々、日常を慈しむための空間をつくる

約5か月前、5年間務めた会社を退職した。 毎晩通った通勤路にあるアパートの階段の蛍光灯は、わたしが通っているあいだにチカチカと命を燃やし果て、また新たな命を灯すことを覚えていた。 はじめてこの地に降り立ったときは18歳だった。 自転車の空回りするチェーンの音に耳を塞ぎ、泣きながら見上げた関山越しの満月を鮮明に取り戻す。この地を歩いていた頃の生活におけるあれこれも、そこいらの景色に巻き付くようにしてまざまざと呼び覚まされる。 つやつやと光る金色の菜の花を横目に自転車を走らせた

    • 秋夜の店先

      日が暮れたころ、いそいそと湯を沸かしお茶を淹れ、本を抱えて外のベンチに腰かける。 ふくらんだ半月はいっとう明るい。 いつも忙しない休日も、隣町で花火大会があるからか夜になってお客さんがめっきり途絶えた。 最後のお客さんをお見送りしたときに吸った外の空気を忘れられずに、飛び出すように外に出た。 3軒ほどとなりにある中華屋さんから聞こえる鍋を振るう音。四方の草野から鳴く虫の聲。お店からほんのり漏れるBGM。偶に聞こえる、列車が線路を通る音。今日は加えて花火が上がる。秋風は音が

      • 揚げ浸しに浸りっぱなし -吟ずる台所-

        蓮根は宇宙人に似ている。 茄子と蓮根の揚げ浸しを仕込んでいる最中、蓮根を半月切りしていたらこちらを見られているような感覚に居た堪れなくなってふいと目を逸らした。 お店を始めてから早4か月。 我が店では、日本茶も日本酒も全時間帯で提供しているからこそ適した「こつまみ」という名のちょこっと小腹を満たせるようなちんまりとしたお食事を提供している。 素材をめいっぱい活かし、見た目も、味わいも胸踊るひと皿であることが第一。最も生き生きとした瞬間の食材を用い、ピンとくる繰り合わせが見

        • 呼吸のゆく末

          猛烈に人に会いたい欲がむくむくと湧いてきて、どうしようもなくなるときがある。 わたしにとって同居人や家族以外の人と会うことは、大層おおごとである。周りもみんな社会人になってより、予定を繰り合わせることが難しくなった。 予定が数週間後に控えた頃、遠足を待ちわびる子どものように、その日までに必要な心づもりをチェックリストにして、心が先走りすぎて、過ごすときを勝手にイメージしている。友人が思っているよりも相当はしゃいで右往左往している。 時間を設けてくれたことに、毎度菓子折りを持

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        移ろいゆく日々、日常を慈しむための空間をつくる

          さながら呼吸

          言葉を連ねるとき、わたしは限りなく独りである。 深く息を吸い込み、ちりちりと舞う空気の息遣いに耳を傾ける。 道行く人々に目を向けると、彼らの生活の声が聞こえてくる。苦しいも楽しいもなんとなくわかる。それくらい五感が研ぎ澄まされる。 心に浮かんだわだかまりも、溶け切らないもやもやも、自分のなかでころころ転がして、受け止められるかたちまで持ってゆく。 そうしてようやく、愛せる言葉で文章が書けるようになる。 すべては言葉から派生している。 なんてことはない、我々は語らねば生きて

          さながら呼吸

          暮らしの体温

          湯に浸る素肌が艶めかしい。乳白色の平たい腹の中心で、ちいさな気泡が臍からヌッと浮かんできて湯気に紛れた。 水面をゆれる鱗のような影が、湯にほどけそうな素肌にうつる。 生白くぼやけるように光っていて、不確かな世界に迷い込んだイルカの亡霊みたい。 我が身ながら、美しいなあと思う。 誰もいない露天で、思い切りのばした生身の素肌があんまり白く透き通っているもんだから、すっかり見蕩れていた。 全く別人のカラダ、 いつもこうであればいいのに。 てっきり海こそ生命の還る場所かと思って

          暮らしの体温

          ひだまりのように笑うおばあちゃんへ

          拝啓 日中の空には早春の息吹が感じられる頃となりましたが、いかがお過ごしですか? 窓から差し込む陽の光がやはらかく、ついほのぼのとまどろんでしまいます。 最近になって、昔のことをよく思いだすようになりました。 うつらうつらした頭のまま、お父さんがわたしたちを運んできてくれた車から降りて、大きな荷物を抱えながらカラカラと扉を引くと、 ひだまりのようにやさしいおばあちゃんの笑顔に頭がぱぁっと晴れて、離れていた時間を確かめ合うように抱き合うどの瞬間も、大切な宝ものとしてずっと胸に

          ひだまりのように笑うおばあちゃんへ

          雪降るチャーハンも悠々と

          一昨日まで墨汁の滴る毛筆を立てて、気の向くままに書き初めていたものだが、もうすでにお正月が待ち遠しい。次のお正月はまだであろうか。 朝から身体が跳ねるように軽いのだ。 1年間で埃が被るように音もなく溜まっていった疲れやこわばりを、圧倒的な吸引力でごっそり吸いとられた感じ。 きっと休まれたのは身体よりも心のほうで、今なら開かずの瓶となっているディルピクルスと何時間でも格闘できそうな気がしている。 一から拵えたおせちは、料理をするたのしさを改めて実感させてくれた。 お水をたぷ

          雪降るチャーハンも悠々と

          今夜もおいしい栗料理を

          からりと抜ける空を泳ぎながら、秋の訪れに目を向けていた。 当分乗らなかったマウンテンバイクに跨って見慣れた空を掻き分けていくと、おおきな栗の木が何本も生えた栗畑がある。 例によってそばまですいすい向かうと、スーツ姿の男性が慣れない手つきで毬栗にスマートフォンのレンズを向けている。 陽がぐっと力強く射しこむ下で、ぴんと四方八方に伸びた毬。中心には、傷ひとつないつるりとした栗の実が大事そうにくるまれていて、ちょびっとでも触れたもんなら、こちらに向かって毬が飛びかかってきそうだ

          今夜もおいしい栗料理を

          わたしだけの桃源郷

          例によって焙じ茶を淹れていると、いつかみた佇まいが脳裏に映し出されることがある。おぼろげで、すこしでも油断してしまえば、ついうっかり消え入りそうに儚い。そう、夢幻のような。 「はて、これは映画の一場面であったか」「はたまた夢でみた幻想であったか」 うつくしい記憶はみなそうだ。 現実だと気がついてしまえば、そこでみた情景のすべてをありありと映し出す。 踏みしめた土のやはらかさ。立ちのぼる珈琲の湯気のゆらめき。雨の日に窓を打つ水滴の形。ひとつとしてなくなることはない。 4

          わたしだけの桃源郷

          日本酒をすきになったとき、くるおしいほどにきゅうっとした

           日本酒をのんだいつかのとき、間のある風味の心地よさに思わず言葉を呑み込んだ。声をあげてはいけないと思った。  この風味が頭のてっぺんからつま先まで抜かりなく行き渡るように、ゆっくりと鼻から息を吸って、つま先まで滑り込むのをしずかに待った。 𓈒.𓈒.𓈒.𓈒  日本酒ソムリエ検定 sake diplomaの資格を取得してから半年以上がたった。  試験がおわった頃から、日本酒と過ごした日々のことを綴り、たくさんの音を閉じこめた海辺の貝殻のようにその想いをぎゅうっと抱きしめてい

          日本酒をすきになったとき、くるおしいほどにきゅうっとした

          『ひいては閑日月のなかに』② 5/7~5/14

          つづき。Twitterには4日ごとに載せています。 5月7日(金)  会社に「山田さん」がいる。  はじめて彼からの電話を取ったとき、「山田です、おつかれやまです」と言われた。ユーモアのある人なんだな、と思った。(おもしろいかどうかは別として)  しかし、長く働いているうちにわかったことは、山田さんは至って真面目な人だということだった。淡々と仕事をこなし、軽口を叩くでもない。「駄洒落」という言葉から程遠いところにいるような人だ。   初めは、山田の「山」につられて言ってしま

          『ひいては閑日月のなかに』② 5/7~5/14

          『ひいては閑日月のなかに』 ① 5/1~5/6

          日々のことを書くことにした。目標は5月末まで。 続くかどうかわからないけれど、継続は力なりって近所のおっちゃんが言っていたので。  はじめに  「ひいては」からはじまる並びの違和感に、可能性をぎゅうっと詰め込んだ。ほかに、もうひとつ対象がないとつながらない言葉の前に、味気ないなにかがあったのか。〝閑日月のなかに〟、うんと特別でゆたかななにかがあるのか。  その答えは、明日唐突に転がり込んでくるのかもしれないし、あるいは人生のおわりまでずっとさがし続けているかもしれない。  

          『ひいては閑日月のなかに』 ① 5/1~5/6

          今年も、たんぽぽ綿毛のドライフラワーをつくる。

          ぽかぽかと陽のひかりが足元を照らすなか、黄色く鮮やかに彩るたんぽぽのとなりで、一足先にゆらゆらと春風をまつ。 繊細で、儚いたんぽぽの綿毛をみるたび、どうしてずっとこのままでいてくれないのだろう、と思っていた。白くてまるっこいふわふわのすがたは、ちいさな生きもののようで、愛らしい。きりとした白色でない、ふっくらとしたやはらかな白色。 持って帰りたくて大事に抱えていても、気がついたら、頭のつぶれたちっちゃなてるてる坊主のようなすがたになってしまう。 1年前、何が何でも「まっしろ

          今年も、たんぽぽ綿毛のドライフラワーをつくる。

          陽だまりのなかできらめく餃子をみる

          まだ2月だというのに、すっかり溢れでてきた春の陽気にうつらうつらしている。 最近はずっとあたたかい。お昼休憩の時間になると、上着を羽織って文庫本、財布、携帯とカメラをポケットに潜めて自転車に跨る。両手でふわっと掴めそうなあたたかい風が頬をなでるのを感じた。 東京の夜からひかりが消えてしまったから、陽だまりのなかで風切ることにした。全身が、まばゆい陽をいっぱいに吸い込んだやさしい風に包まれる。 自転車をこぎながら、ゆっくりと鼻から春を吸う。太陽と花から漂う、ほの甘い香り。

          陽だまりのなかできらめく餃子をみる

          かわらない日常から消えた夜のひかり

           東京の夜がすきだった。ちっとも孤独を感じさせないひかり多き東京の夜。道知れず、ふらっと小道に入っても、灯りのついた拠り所がかならずある。あたたかい人たちの幸せをみて、あたたかい料理をたべた。  東京の人が冷たいなんてうそだ。赤ちょうちんの垂れた暖簾をくぐったそのとき、孤独からは程遠く、あたたかいを体現したような湯気にもくもくと包まれる。みな各々の居場所で、各々の料理を飲み下す。誰も急いていない。ぽつりぽつりと、静かに声が聞こえてくるのを待っている。見知らぬ人の煩悶をみて、

          かわらない日常から消えた夜のひかり