随筆(2021/9/1):ファッションを無から生成するとファッションゴミになりがちだということと、伝統的価値観が価値観ゴミの防波堤であること(前半)
1.自宅作業が一段落ついたので、やり残していたことや、いつもはやらない珍しいことを、いろいろやっていた
1.1.例えばメンズカジュアルファッションの基礎知識について調べていた
自分の頭でファッションについて考えると、ゴミが出力されるので、ググって「ファッション メンズ 基礎知識」で出てきたページを上から見ていた。
今の金沢市は、まだ土日に往来を歩ける感じではないが、いつかは出歩けるようにしたい。
そうなるとメンズカジュアルファッションで行くことになる。
しかし、今の俺のメンズカジュアルファッションの解像度は低い。
おそらく、基礎知識の文法があり、それを押さえておくと、土日の往来で社交でやれることは大幅に広がるだろう。
少なくとも「変なやつが来た」という警戒態勢を取られるタイミングははるかに遅くなる。あるいは、警戒態勢を取られなくなる。取られたらそこで社交は吹き飛ぶからな。
(これ、行き着くところまで行くと、職質やカツアゲの原因になるし、バイトの際に採用されない理由にもなる。俺はもう全部基本関係ないが、人によっては死活問題だ)
1.2.メンズカジュアルファッション初心者向け定番パッケージを試す
ということで、メンズカジュアルファッション初心者向け定番パッケージというやつがあるはずで、調べていたのです。
何も楽しくない、どちらかというと苦手意識のあることを、自発的にやる!
たましいに自由意志が伴っている!
『寄生獣』のミギーが「心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!!」と言ってたやつですね。
ということで、
・どうやら「ザ・ふつう」というジャンルが存在し、「ノームコア」というらしい
以下の3点でやれば良いようだ。
・「肩幅に合った」「白」の「無地」の「Tシャツ」
・「穿いたらウエストに指2本分の余裕のある」「デニムのジーンズ」
・「スポーティでない、見るからにおしゃれ用の」「(コンバース・ナイキ・アディダス・プーマ・ニューバランス等の)定番ブランドの」「スニーカー」
そして、
・ノームコアの場合、「Iライン」にする。つまり、上半身の幅と下半身の幅が見かけ上同程度であるようにする
そんな訳で、これを踏まえて、
・もし似たようなやつで、今着ているのがあったら、サイズを記録する
・いつものを着てお店に行って店員に相談し、「あと何cm縮めた(伸ばした)方が良いか」訊き、足し算引き算で適正なサイズのものを買う
・「は? ちげーよバカじゃねーの。こうだこう」とマウンティングを兼ねたアドバイス罪行為をやりたがる人がしゃしゃり出てきたら、その時点で内容の正しさの如何にかかわらずパーフェクトリーガン無視する。
舐め腐ってからでないとコミュニケーションの出来ない人が、舐め腐っている相手に、首尾一貫して責任を持って導いてくれるとはおよそ思えない。あくまで外野からのいい加減なクソみたいなアドバイス罪の域を出ないままだろう。
そんなものを真に受けていたら、いのちぼうにふっちゃうよ
だいたいこの辺の路線で、近々やっていきます。
1.3.処世上は、定番のパッケージ、便利ですね
処世上は、定番のパッケージ、便利ですね。
何せ「自分の足りない頭で考えた結果、本当にどうしようもないゴミが残る」ことだけはなくなる。
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オタク男性はふつう、メンズカジュアルファッションの基礎知識の文法に、1ミリも興味がない。
が、お外には服を着ていかねばならないことくらいは流石に分かっている。
しかし、何一つやりたくもないことのために、脳のリソースを余儀なく奪われるのは、心の底から呪わしい。
(こんなもん、「勉強を楽しめ」「お前の性指向なんかどうだっていいから、さっさとマゾになれ」と言ってるのと同じくらい不愉快ですよ)
なので、真面目にやる気はまるでなく、その辺のものや思いつきのもので間に合わせてしまいがちだ。
・よく見かける「サイズの合っていないチェックのネルシャツ」とか、
・「サイズの合っていない、特に腹回りに余裕を持たせ過ぎたジーンズ」とか、
・なんとなくかっこよさそうな、つまりお外で適応的と判断された(特にメンズカジュアルファッションの文法上の根拠はない)「バンダナ」とか、
・適応のことはすっ飛ばして傾奇者としてかっこよさそうな(傾奇者ということは、適応には向かない、ということだが)「サイズの合っていないキャラ絵入りTシャツ」とかを着てしまいがちです。
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ちなみに、上で書いたIラインのノームコアだと、こう。
確かに、オタクが間に合わせたコーデに比べると、こっちの方が「ザ・ふつう」である。ということは、俺でさえだいたい分かります。
1.4.光学的に「まとも」な外見でないと二等人類扱いされる。んで、一応、「こんなものはクソだ」という話をします
ここで上の話をひっくり返しますが、
「いや、だから、何?」
という感想を、禁じ得ないところです。
「まさか、たかがそのようなことで、一等人類扱いと、二等人類扱いが、分かれるのか!?
そうか。そうなんだ。
うーーーーん…」
というか。
ぶっちゃけ、
「オタクの外見や言動で二等人類扱いされるの、する一等人類気取り側の、とんだ心得違いであろう」
ということは、正直に思いますね。
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「こういうオタクは、オタクの好きなことしか喋らないオタクだから、話が合わない」
ということから、
「だからオタクはダメ。二等人類」
という話を、呼吸のように導く人、かなりいる。
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好きな話題が違い、展開される話題が違うから、話が合わない。困る。
それはそう。
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それはそれとして、まず、二等人類扱い、やめた方がいいですよ。
それでは、二等人類扱いしない平等の約束事の下で初めて成り立つ、
「この人は話を聞かずに当然の権利の如く非難からの攻撃のコンボを仕掛けては来ない」
という強烈な信頼と、そこから得られるありとあらゆるものは、当然得られなくなる。
制裁する側(正義の一等人類)とされる側(悪の二等人類)の不平等の価値観を捨てたくない(制裁をする理由として、身分の上下を持ち出されても、今の日本の司法や刑務ではそんなものは機能していないし、職務の有無が権限の有無なのだから、こんなものは無意味な前提だ)。
二等人類扱いしない平等の約束事のテーブルにもつきたくない。
だったら、
「テーブルの上の果実が手に入らないの、不平等だ」
などとは、よもや言わないで欲しいのだよな。
平等、お嫌いなんでしょ? 平等は嫌だが、平等にして欲しい?? そういうことを仰っておられる???
何言ってるの? そんな話、通る訳、あるか??
二等人類扱い、今の日本国内で、誰かに信頼して欲しい時に、とてつもないマイナスとして働く。
もし、そういう信頼が大事なら、マジでやめときましょう。
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(個々人の心がけの話ではなく、もうちょっとマクロの話もします。
平等は、富の偏在を忌む文化圏か、富の豊富な文化圏で成り立つことが多い。後者は我々が概ねそうだ。
富の偏在を許容する、しかも貧しい文化圏では、そりゃあ飯をちゃんと食えるよう保証されるべき人が「少ない」方が、財政支出も「少ない」。
税収の増える伸び代がなく、財政会計を真面目に考える限りは、不平等を支持する理由は「ある」と言って良い。
しかしこれが「公共の万人に望ましい」とはおよそ言えまい。
というか、「は? ざけんな」という話になっても、そらそうよ。
これで「公の万人に望ましい」と言い張る人、財政会計以外に、なんか、理由、あるか? ないんなら無根拠にこんなこと言ってるんじゃあないのか? そら話にならねえわよね)
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まあ、上の話、
「嫌だね。
性根の悪い二等人類が、制裁から逃れたいから、こんな甘ったれた事を言ってるんだろう。
甘んじて己の倫理的脆弱性の天罰を受けろ。
逃げれば逃げるほど累積するだけだ。ノシつけて喰らえ」
という反応は当然に考えられるので(だいぶ厳しい気持ちにはなるが、あるかないかで言えば、そりゃあ「ある」だろう)、やはり身を守るために、手段は講じなければならない。
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定番のザ・ふつうのファッション、大事な防波堤、防衛線だ。
何せ、自分で構築しなくていいところが素晴らしい。
(自分で構築するとただのゴミの山になるからな)
ファッションで自分の頭で考えてゴミが出力されるより、パッケージを採用するのが、処世上は良い。
なぜそうしない?
自分を過信し、自分の頭で考えて、処世でつまづいて、泥の中を這いずり回って生きて死ぬ。
愚劣。かつ、傲慢。
(続く。今回は2回で終わる予定)