井上・月丘映画財団

井上・月丘映画財団は、日本映画・演劇界の活性化、国際的普及を目指して活動しています。 …

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井上・月丘映画財団は、日本映画・演劇界の活性化、国際的普及を目指して活動しています。 財団の活動紹介のほか、戦後の日本で多くの作品を残した映画監督・井上梅次と女優・月丘夢路にまつわる資料を通じて、当時の日本映画や演劇作品、文化をご紹介していきます。

最近の記事

「当たったためしがない」ボクシングとバレエを題材にリアルを探求した名作『勝利者』(1957年 日活)

井上梅次の脚本・監督作品のなかから、1957年5月1日に公開された映画、『勝利者』(日活)をご紹介します。 『勝利者』はボクサーとバレリーナの恋物語です。石原裕次郎売り出しのために作られた『勝利者』は1億円を超す配収となり、大ヒットを記録しました。 当時、一部にはこの企画に反対があったといいます。それまでボクシングとバレエ映画は井上曰く「当たったためしがなく」、俳優ができない、踊れない、よって迫力あるシーンにならない……というのが当時の見解でしたが、井上は「話が面白く組め

    • 井上梅次と石原裕次郎 ~窓の下に裕次郎がいた~ #02

      前回に引き続き、井上梅次と石原裕次郎のエピソードをご紹介します。 前回の記事はこちら 石原裕次郎を知るために、井上はまず彼を映画『月蝕』(1956年/日活)に出演させました。『月蝕』は週刊誌に連載された原作の映画化であり、文芸作品というよりはむしろ娯楽映画でした。 石原は月丘夢路を取り巻く五人の男のうちの一人、ボクサー役でしたが、商業映画の演技の難しさを目の当たりにして、戸惑っている様子でした。井上もその芝居を目の前に見て、「果たしてこの男を娯楽映画のスタートして売り出せ

      • 井上梅次と石原裕次郎 ~窓の下に裕次郎がいた~ #01

        11本の助監督を経て、28歳で監督になった井上梅次。当時日活では、五社協定のため世間に名の知られたスターを使うことが困難な状態で、「新しい時代を感じさせる新たなスター」が常に探し求められていました。 井上は次々と新しい役者の才能を見出して起用し、彼らのための適切な名前やシーン、役柄を与えスターとして育てました。 なかでも当時、未完の大器であった石原裕次郎を見出し、日本映画界を変える存在に育てた背景には、さまざまなストーリーが残されています。残された資料、井上の著書などから

        • 「企画の弱点を何で補強するか、それが勝負」(井上梅次の仕事術)

          戦後の映画監督として最多の116本の映画を手がけ、多くのスタッフが各社と専属契約を結んでいた時代にフリーランスとして活動した実績を持つ井上梅次。日本の大手映画製作会社6社の全撮影所で監督を務めた、唯一の映画監督でもあります。 単に脚本、監督を担当するのではなく、役者の発掘、名付けや構想、企画など映画の製作に大きく関わっていた井上。映画の「企画」に対してどのような考えを持っていたのか、ご紹介します。 映画製作で一番大事なのは「企画」。それが井上梅次の持論でした。 当時、ど

        「当たったためしがない」ボクシングとバレエを題材にリアルを探求した名作『勝利者』(1957年 日活)

          映画製作秘話 国産のコニカラー・システムによる初の劇場用長篇映画『緑はるかに』(1955年 日活)

          今回は井上梅次の脚本・監督作品のなかから、1955年5月8日に公開された映画、『緑はるかに』(1955年 日活)をご紹介します。 『緑はるかに』の原作は1954年4月12日から12月14日まで読売新聞に連載された北條誠作の児童向け絵物語です。画家、イラストレーター、ファッションデザイナーとして大人気の中原淳一が挿絵を描いていることでも注目を集めており、映画化は大変話題になりました。 『緑はるかに』は、日活にとって初のカラー映画であり、小西六写真工業が開発した国産カラー方式

          映画製作秘話 国産のコニカラー・システムによる初の劇場用長篇映画『緑はるかに』(1955年 日活)

          井上梅次の合理的な製作術

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。前回の記事に引き続き、井上梅次の「合理的な製作術」についてご紹介します。 前回の記事はこちら 「合理的な製作術」と表現されることが多い、井上梅次の映画製作手法。所属する映画会社からの急な依頼、一つの脚本を書きながらもう一つの映画を撮る同時進行など、あわただしい日々の現場のエピソードが数多く見られます。「合理的な仕事の進め方」はどのような背景で生まれたのでしょう。 「五社協定」とは当時の状況をご紹介するうえで欠かせない「五社協定」につい

          井上梅次の合理的な製作術

          台風に翻弄されながらの船上撮影、俳優もスタッフも雑魚寝…… 映画「鷲と鷹」(1957年・日活)

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。今回は映画「鷲と鷹」の制作秘話をご紹介します。 「鷲と鷹」(1957年、日活) 監督、脚本:井上梅次 製作:坂上静翁 出演:石原裕次郎、三國連太郎、月丘夢路、淺丘ルリ子、長門裕之ほか 撮影の舞台はスクラップ間近の「ボロ船」映画『鷲と鷹』は『勝利者』とともに、日活アクションのスタイルを確立したと言われている作品です。 「日本映画離れしたスケール」とも称されているとおり、印象的なのが迫力ある海上のシーンです。どのような経緯でこの大胆な映画

          台風に翻弄されながらの船上撮影、俳優もスタッフも雑魚寝…… 映画「鷲と鷹」(1957年・日活)

          そごう広島店にて「月丘夢路 広島が生んだ美しき女優の軌跡展」を開催いただきました

          そごう広島店にて2023年12月12日~2024年1月8日までの間、「広島が生んだ美しき女優の軌跡 ~月丘夢路展」を開催いただきました。 昨年8月の西武池袋本店「レトロ百貨展」展示に引き続き、再び貴重な機会を頂戴しました。ありがとうございました。 本展示は、月丘夢路生誕100年と平和大通りの記念碑竣工に伴い開催されました。 月丘夢路の出演作品にちなんだショーケースでは、監督の井上梅次が作成、保存していた作品ごとのスクラップブックや台本、映画を見たファンからのお手紙、当時

          そごう広島店にて「月丘夢路 広島が生んだ美しき女優の軌跡展」を開催いただきました

          広島市平和大通りに、月丘夢路生誕100周年記念碑「祈りの記念碑」が建立されました

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。 12月16日、広島県広島市中区の平和大通りに、月丘夢路 生誕100周年記念碑 「祈りの記念碑」が建立されました。 この記念碑は、原爆爆心地となった広島市大手町に生まれ育った月丘夢路の、文化振興および平和推進活動を称え建立されたものです。 月丘夢路と広島のつながりについては、こちらの記事をご覧ください。 今回は、記念碑建立にまつわるストーリーをご紹介します。 記念碑建立の地は、広島平和都市記念碑方向と、白神社(境内の注連柱は月丘夢

          広島市平和大通りに、月丘夢路生誕100周年記念碑「祈りの記念碑」が建立されました

          「広島に生まれて、広島に育って、女優になって」ー 月丘夢路と広島 ー

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。今回は「月丘夢路と広島」をテーマに、女優 月丘夢路のエピソードをご紹介します。 12月16日、広島県広島市中区の平和大通りに、月丘夢路 生誕100周年記念碑 「祈りの記念碑」が建立されました。映画「ひろしま」への無償出演や義援金の寄付、原爆孤児の支援活動などの功績が称えられたものです。 詳細は別途、ご紹介いたします。 月丘夢路 生誕100周年記念碑 「祈りの記念碑」 【建立場所】広島市中区小川3-22-5(平和大通り 白神社前の交差点

          「広島に生まれて、広島に育って、女優になって」ー 月丘夢路と広島 ー

          急な制作依頼、降板、代役撮影…… 井上梅次の職人芸で完成した映画「夜の牙」(1958年・日活)

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。 現在、国立映画アーカイブでは「井上梅次 月丘夢路 100年祭」を開催中です。期間中29作品が上映されます。 期間中の上映作品に関連して、今回は「夜の牙」の制作秘話をご紹介します。 「夜の牙」 監督、脚本:井上梅次 出演:石原裕次郎、月丘夢路、岡田真澄、淺丘ルリ子、白木マリほか 10月末の依頼で1月15日公開映画を作る「夜の牙」は「嵐を呼ぶ男」(1957年・日活)の製作中に、急遽井上が依頼を受けて脚本、監督を担当することになった映画

          急な制作依頼、降板、代役撮影…… 井上梅次の職人芸で完成した映画「夜の牙」(1958年・日活)

          11/26(日)まで、国立映画アーカイブ展示室にて月丘夢路 井上梅次 100年祭を開催中です

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。 日本で唯一の国立映画専門機関である「国立映画アーカイブ」(東京都中央区京橋)にて、8/22(火)~11/26(日)までの約3カ月間、「月丘夢路 井上梅次 100年祭」を開催中です。 期間中は井上・月丘映画財団が提供する作品資料、個人資料の特別展示のほか、10/31からは関連上映も開催されます。 展示企画7階の国立映画アーカイブ展示室にて、当時の映画のパンフレットや雑誌、映画ポスターのほか、井上梅次直筆の台本、二人にまつわる新聞記事、

          11/26(日)まで、国立映画アーカイブ展示室にて月丘夢路 井上梅次 100年祭を開催中です

          「是非全世界の人にこの映画を観てもらいたい」 ~映画「ひろしま」上映会レポート~

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。 8月5日、OCA TOKYO THEATREにて、映画「ひろしま」の上映会とトークイベントが開催されました。映画「ひろしま」は、終戦後わずか8年後に、約9万人の広島市民、実際に被爆した方々がエキストラとなって制作された映画です。 本上映会は「未来に生きる子どもたちのために」というテーマを掲げ、災害支援や小児がん・難病援助などを行っているカーネーションズの主催により開催されました。月丘夢路に長く心を寄せていただき、実現いたしました。貴重

          「是非全世界の人にこの映画を観てもらいたい」 ~映画「ひろしま」上映会レポート~

          【懐かしの昭和映画の世界へ】西武池袋本店「レトロ百貨展」にて、井上梅次、月丘夢路の特別展示を開催中です

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。 8月3日から8月14日まで、西武池袋本店7階催事場にて「池袋・豊島・西武沿線 レトロ百貨展」を開催しています。 「懐かしの昭和映画の世界へ」のコーナーでは、映画監督 井上梅次・女優 月丘夢路 生誕100年特別企画を開催しています。当時の文化や作品について広く知っていただきたく、井上・月丘映画財団も全面協力させていただきました。貴重な機会をありがとうございます。 井上梅次自身が作成・管理していたスクラップブックなど当時の映画や写真、楽

          【懐かしの昭和映画の世界へ】西武池袋本店「レトロ百貨展」にて、井上梅次、月丘夢路の特別展示を開催中です

          1953年完成の「幻の映画」、「ひろしま」をオンライン視聴いただけます

          こんにちは、井上・月丘映画財団です。 終戦後わずか8年の1953年に完成した映画「ひろしま」をご存じですか?  被爆国日本にとって、二度とこのような戦争を起こさせないという平和理念のもとに、日本教職員組合の方々が中心となりお金を出し合いました。そして、被爆者を含む8万5000人を超える広島市民の全面的な協力で制作されました。 映画は1955年にベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞しましたが、日本国内で上映されることはなく、「幻の映画」とも言われています。 この悲劇を後世

          1953年完成の「幻の映画」、「ひろしま」をオンライン視聴いただけます

          1/28より、シネマヴェーラ渋谷にて「生誕100年記念 映画作家井上梅次」が開催されます

          2023年1/28から2/17の間、シネマヴェーラ渋谷にて「生誕100年記念 映画作家井上梅次」が開催されます。期間中計18作品が上映予定です。 上映スケジュールはこちらをご覧ください。 http://www.cinemavera.com/preview.html 上映作品一覧『ジャズ・オン・パレード1956年 裏町のお転婆娘』 『ニコヨン物語』 『十七才の抵抗』 『女房学校』 『人間標的』 『夜霧の訪問者』 『恋の應援團長』 『猿飛佐助』 『未成年』 『青春蛮歌』 『

          1/28より、シネマヴェーラ渋谷にて「生誕100年記念 映画作家井上梅次」が開催されます