台風に翻弄されながらの船上撮影、俳優もスタッフも雑魚寝…… 映画「鷲と鷹」(1957年・日活)
こんにちは、井上・月丘映画財団です。今回は映画「鷲と鷹」の制作秘話をご紹介します。
「鷲と鷹」(1957年、日活)
監督、脚本:井上梅次 製作:坂上静翁
出演:石原裕次郎、三國連太郎、月丘夢路、淺丘ルリ子、長門裕之ほか
撮影の舞台はスクラップ間近の「ボロ船」
映画『鷲と鷹』は『勝利者』とともに、日活アクションのスタイルを確立したと言われている作品です。
「日本映画離れしたスケール」とも称されているとおり、印象的なのが迫力ある海上のシーンです。どのような経緯でこの大胆な映画が生まれたのでしょう。
井上梅次著「窓の下に裕次郎がいた」(文春ネスコ/1987年)から、エピソードをご紹介します。
撮影に使われた船は、戦時中建造された規格船で、900トンのボロ船だったそうです。弧がなく、船首は三角、船尾はコの字型、船底は真っ平の蒲鉾型で、この撮影を終えるとスクラップになる予定でした。
空船では揺れるとのことで、鉄鉱石を船底半分に積み、後の半分に畳を敷いて女優以外の出演者、スタッフとゴロ寝したそうです。
もし船が沈んでいたら……
船上ならではのダイナミックな構図が非常に印象的ですが、当時どのように撮影を進めたのでしょうか。同じく「窓の下に裕次郎がいた」に詳細が残されていました。
しかしその後、海はさらに荒れ、船は大きく揺れたそうです。撮影に夢中になる監督、井上梅次と俳優陣のギャップがユーモラスに描かれていました。
その後、天候はさらに悪化。雨を伴った嵐となり、撮影隊一行ははじめて台風が近づいていることを知ります。
台風が去るのを待つものの、停泊中の傭船料(船舶を船会社から借り受ける際に支払う借船料)が当時予算外に高かったそうで、「なんとか一日も早く撮影を終えたい」とヤキモキする様子が描かれていました。
そして、「二、三日は出航できない」という船長をあの手この手で必死で口説き、三日目の明け方、まだ船長が寝ている明け方に出航し、撮影を再開させました。
当時、現場でのとっさの判断力やアイデアを駆使し、効率的で早く無駄のない撮影手法で知られていた井上梅次。イレギュラーが重なった挑戦的な作品である『鷲と鷹』も短い日数で撮影を済ませたようです。
井上梅次の合理的な製作術については、別の記事で詳しくご紹介します。どうぞお楽しみに。
今回ご紹介したエピソードの一部は、「井上梅次 創る心」(株式会社講談社エディトリアル/2023年)でもご紹介しています。よろしければぜひご覧ください。
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