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井上梅次と石原裕次郎 ~窓の下に裕次郎がいた~ #02

前回に引き続き、井上梅次と石原裕次郎のエピソードをご紹介します。
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石原裕次郎を知るために、井上はまず彼を映画『月蝕』(1956年/日活)に出演させました。『月蝕』は週刊誌に連載された原作の映画化であり、文芸作品というよりはむしろ娯楽映画でした。

石原は月丘夢路を取り巻く五人の男のうちの一人、ボクサー役でしたが、商業映画の演技の難しさを目の当たりにして、戸惑っている様子でした。井上もその芝居を目の前に見て、「果たしてこの男を娯楽映画のスタートして売り出せるだろうか」と自信がなかったと回顧しています。

しかしクランクアップ間近になって出来上がってきた一枚のスチールを見て、井上は目を見張ったと言います。

ヒロインを後ろから抱くようにして立つ長身のボクサー……
ボリュームがあった。現代的でスマートであった。力に溢れていた。日本映画界にこんなダイナミックなスターがいたのかと驚く。
間違いなく将来の映画界を背負って立つ男であった。もしこの男が他社の俳優なら、私たちは必死に引き抜きにかかっていただろう。

おろかにも私はその素人演技に気をとられ、その魅力を忘れていたのだ。
このスチールを見て私の心は決まった。
『本格的デビュー作はボクサー役でいこう』

井上梅次著「窓の下に裕次郎がいた」より
「日本映画界にこんなダイナミックなスターがいたのかと驚く」と井上が絶賛した、映画『月蝕』のスチール。右は月丘夢路。撮影は斎藤耕一氏。

井上は、『踊る太陽』(1956年/日活)でも石原を起用。「『月蝕』と『踊る太陽』の二本で、私は素材としての彼を充分に研究した」と残しています。

井上を新東宝から引き抜いた坂上静翁プロデューサーと共に本格的に石原裕次郎売り出し作戦を開始し、当時初めての一時間テレビ番組であったキノ・トール氏と小野田勇氏原作の『勝利者』を素材にすることに決めました。

石原を育てるためにほかのスターの支援をつけようと、当時日活を背負っていた三大スターである三橋達也、南田洋子、北原三枝をつけて、四人でがっちりと組んだメロドラマ風に改変、構成しました。

ボクサーとバレリーナの恋物語で、裕次郎・三枝コンビのために後半はイギリス映画『赤い靴』に対抗して13分間のバレエシーンを、ラストに8分間の拳闘シーンを配置しています。

この撮影中に石原の個性の魅力をはっきりと井上がつかんだエピソードがあります。

二人の初デートシーン。裕次郎が喫茶店でマコちゃん(北原の愛称)を待った。ウエイトレスがオーダーを聞く。台本に「コーヒー」とあるが、それでは面白さが足りない。私はとっさに、「コーヒー」を「水」に変えた。

ウエイトレス「ご注文は?」
裕次郎「……(無言)」
ウエイトレス「あのう……何になさいますか?」
裕次郎「……水……」
ウエイトレス「はぁ???……」
裕次郎「み・ず!」

テストしてみるとなかなか面白い。しかし彼の持ち味を出すためには、ウエイトレスにオーダーを聞かれて、いきなり「水」と言ったほうが彼らしくて面白い気がした。
そうやってもらうとスタッフはどっと笑った。いままでかゆいところになかなか届かない彼の芝居にいらいらしていた私は、目が覚める思いで、
『これだ!』と思った。
『通俗芝居を押し付けるより、地を生かしたほうがこの男ははるかに生きる!……』

井上梅次著「窓の下に裕次郎がいた」より
映画『勝利者』の喫茶店のシーンを演技指導する井上と北原三枝、石原裕次郎

それ以来、井上は石原に対して演技指導の手法を改め、無理に芝居を強要せず、彼の味を誘い出す方法に変えました。映画の封切後も喫茶店のシーンになると、館内にどっと爆笑が起こりました。観客もまた、石原のみずみずしい個性を発見したのでした。

映画『勝利者』はこちらからご覧いただけます。

映画『勝利者』の他のエピソードも、続けてご紹介いたします。どうぞお楽しみに。

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