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2013年の春。 わたしは山形から岡山へと引っ越しました。かなりの荷物を捨てて。家一軒分をカラにしました。 5年住んだそこには60kg以上の塩がありました。 ブラックとピンクのヒマラヤソルトが、それぞれ箱で。はるか昔の海の塩です。 ホメオパシーのネイチュミュア 共鳴するものなんですねー 同質が集うものなんですねー どっぷり塩漬けなわたしには、それでも足りなかったんです。なんせ海に沈んで数十年。 それはどうなったと思います? 運びました。わざわざ運搬のお金と労力をか
2014年 ___(東京の一等地の地名)駅近くのビルの一室にその人はいた。 化粧品の会社、プロスポーツ選手の施術と生活マネジメントをする会社、さらにエステ店を経営しているやり手の社長さん。 そして彼女はシャーマンだった。 美容施術の一環として。(?) 遠隔でまつ毛を伸ばしたり、顔の輪郭をきゅっと小顔にしたり、エネルギーだけでクライアントを痩身させることを得意としていた。 特にまつ毛はお得意らしく 「くるんっ!!とするのよ〜〜パーマみたいに。見る間にぎゅんぎゅん伸びる
9才 学校の授業で使うから持ってくるように言われた臍の緒を、父は頑なに「ない」って言った。 それが嘘だということは、もちろんビュンっと伝わった。 瞬間。それは瞬間。 4.5畳を占領している桐タンス。その二重になっている扉。造りが精巧すぎて開け閉めに空気の重さを感じるそこに、それはある。 だよね。あるよね。 そんなの後で、父がいない時に自分で取るし。 だけどもなぜそんなに頑なさを?わざわざこんなに出動させる?不自然でしかないこわばり。絶対に明かさないというガードがす
冬の池に落ちた後 https://note.com/infortune128/n/n2eb5c41ccede?magazine_key=m36b92df160b6 わたしはもう、早々にいろんなことを諦めて、とにかく大人になろうとした。はやく大人に。はやくはやく。 そして、ものすごく覚えている。 「選択」をした日のこと。その瞬間。 わたしは赤ちゃんの声がわかったし、会話ができた。周りの人の出さない声が聞こえていた。 家のお菓子は押入れの上、みえない場所に置かれていて。
16才 視聴覚室でスタンドバイミーの映画をみたときに、ふいに肉体から魂が出ていく場面と重なって発狂しそうになった。 とても抑えることが出来なくて、黒板一面に青いチョークで絵を描いた。そのまま隣のクラスにも。 思いだしてよ、わかってよ。 誰もなにも覚えてないの? 誰かひとりはいるんじゃないか? 隠れていないで出てきてよ。 ひとりにしないで、お願いだから。 人のこない物置になっている廊下の隅や、使われない物理室に寝転がり、その冷たさを感じていた。 わたしのこころは海の底
わたしの母は、わたしを産んで身体を壊した。 入院して離れていたから、可愛く思えなくなったと言ったけど、本当はそうではない。 嫌だったのだ。わたしが横入りした日から。 実際に、かなりの負担だったとも思う。 母は お腹の子に" 和枝ちゃん" と名前を付けて、それはそれは可愛がっていた。 和枝ちゃん、元気ですか? 和枝ちゃん、暑くないですか? 和枝ちゃん、会いたいです。 大好きな和枝ちゃん。妊娠がわかった日から、群青色の万年筆で、毎日日記を書いていた。 文通みたいに、話し
17才 部屋を借りる前の少しのあいだ 戦後すぐに建てられた、当時はモダンな鉄筋住宅。このあたりで一番古く、また高い。 駅裏の目立たぬ場所にある3階建てで病院にあるような屋上が付いていた。 まるでここは野戦病院。ここだけは聖域であるという、たなびく旗がみえるようだった。 ふた部屋が向かい合わせになっているタイプの造りで、唯一の向かいの部屋には借金とりが頻繁に来ていた。怒鳴り声は筒抜けで、うちのドアも凹むほどには何度か蹴られた。 (まだ病院や学校の保護がある段階で、なぜ
17才 優しくなった先生もいれば、嫌ってくる先生もいた。 課題が多いことで有名な世界史の先生に、 白紙のまま出した100枚の束には、Aプラス(最高評価)がついて返ってきた。 みかけたわたしに駆け寄って、両手を思いきり握りしめて何かを言われた。言葉は覚えてないけれど、その強く握られた感触は、今でもリアルに残っている。 かなり勉強して点数もよかった倫理では、評定が大幅に下げられた。 家庭科の先生には避けられた。 担任の先生にも同じくで、クラスメイトにお願いされて顔を出
14才 久しぶりにやっとの思いで登校した朝。 担任の先生に準備室に呼びだされ、すごい威力で殴られた。 身体は飛んで、壁でバウンドして落ちた。 「人生をなめんなよ」 「サボりがそんなに楽しいか?お前に将来はないよ!!!お前に入れる高校なんてひとっっっつもないよ!!!」 それをたまたま廊下からみていたaくんが興奮ぎみに、「井上、ふっとんでたね!人がとばされるとこ、初めてみたよ」と言った。 (わるい意味ではなくて純粋に。その後も思い出深い出来事として語られる) (そし
2才 一緒に住んでいた叔母のさっちゃんが羨ましかった。 さっちゃんには歌がある。さっちゃんはね、で始まる歌が。 わたしにもあったのに。わたしの名前で始まる歌が。 ここでは誰も歌ってくれない。 誰もわたしを呼んでくれない。 わたしのことをみてほしい。 誰かわたしに気付いてほしい。 ミシェルマベルと歌ってほしい。 ミシェルマベル、マイミシェル。 原田真二さんのキャンディが、すごくミシェルと似てるから、聞いていると、今がどこかがわからなすぎて、幼少期の危機だった。 ご
あの夜n君と会ったのは、久しぶりのことだった。 n君は幼稚園からの同級生で、小学校では席が近かった。 あれは6年生の夏。 掃除の班が一緒で、一緒にグラウンドにかけていく。 隅の方には白い登り棒が7本あって、 夏草の緑に映えてとてもきれい。 それぞれに掴まりながら、夕方に再放送していた、TVドラマの話をする。 お互いに楽しく見ていたから、いつもずっと喋っていた。 なのにその日の光景は、いつもと違うものだった。 ・・・あれ。おかしい。 もう届かないんだ。だって次元が違うん
17才 周りが浮浪をチクったことによる保険室の先生の誘導で、カウンセラーのいる心療内科に通わされる運びになった。 病院の先生は、うーん。。。と、考えた末に言ってくれた。 「本当はこういうことは出来ないんだけどね、、、いいよ。特別に。ここから学校に通っても。入院という形にはなるけれど。逆に言えばその形をとることで、あなたを守ることが出来る」 ちょうど、児童保護法?かなにかが改法され、18才未満は法的になかなか守られる感じになった時だった。 それで風向きは、ものすごく変わ
しにかけたことは何度かある。 まだよく歩けない赤ちゃんの頃に屋根から落ちた。落とさった。 頭を強く打ったから、その部分の髪は今でも生えない。 同じように4才になった頃。 凍った池にひとりで落ちた。 実家の庭には鯉がいる池があって、石の橋が掛かっていた。 あれは2月。 表面には氷が張っていて、祖母から決して近づくなと言われていた。 母が弟を連れて散歩に出る時間。 ひと足早くスノーブーツを履いたわたしは外に出て、雪の積もった橋の上から氷をみていた。 そして、そっと
17才 高校で先生に「ちゃんと戸籍を見たことはある?」と確認された。 絶対に本当の母ではないよと 「あるんだからーーー世の中にはーーー知らないのは自分だけってことが」 ある一定以上の家庭環境に育った人たちの、そのような思考回路は理解できる。 、、、でも実際は、本当だから困っている。だからどこにも逃げ場がない。 本当のことは嘘っぽすぎて、誰にも信じてもらえない。だから誰にも言うわけない。 しかしそうです。凄いよね。 ある意味ではそうではなくて、ある意味ではその