ふる@500文字noter

提唱しないINFJ-Tのおっさん51歳。あんまり欲がないわりにそこそこ器用なのでお金がなくても結構幸せに生きてます。週2で500字くらいがちょうどいい。

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提唱しないINFJ-Tのおっさん51歳。あんまり欲がないわりにそこそこ器用なのでお金がなくても結構幸せに生きてます。週2で500字くらいがちょうどいい。

マガジン

  • 自由に生きたい

    不自由に関する雑記をまとめていきます。

  • それでも共存するために

    争いのない世界について不定期に妄想します。

  • ゲームの思い出

    日記の中からコンピュータゲームに関する話をピックアップしていきます。

  • 欺き欺かれて

    嘘に関する記事を不定期に追加していきます。嘘を善悪で語るのはナンセンスだと思うの。

  • 役に立たなくても

    役に立たないことがそんなに悪いことなのか。雑記から不定期に追加していきます。

最近の記事

  • 固定された記事

対象読者

筆者が自分に向けて書いています。メッセージ性とかはなく、ほぼ全部の記事が自問自答の記録なので、筆者と同じ関心を持っているか、筆者自身に興味のある人でなければ楽しくないと思います。 ITエンジニア崩れの冴えないおっさんに特段の興味を持つ人などいないでしょうが、簡単に自己紹介をしておきます。たぶん、まあまあの変わり者です。 高卒で学がない上に読書も嫌い。もっとも影響を受けた著作物はテレビで観たドラえもん。「三月の雪」の回は筆者の誕生月なのもあって強く印象に残っています。知識よ

    • 何度でも繰り返す

      うなぎを食べるときに山椒が欲しいと思ったことは一度もない。とんかつにカラシが添えられている意味もよくわからない。フライドポテトにケチャップはむしろ合わないとさえ思う。 それでも一緒に提供されたら無視することもできない。卓上調味料として「ご自由にお使いください」というスタイルなら手に取ることもないが、盛り付けの一部だったり、お弁当に小袋でついてくるケースがある。 そういうときは全力でいただくことにしている。そもそも必要ないと思っているので適量なんてものは存在しない。0でなけ

      • 最初はチョキ

        たまに映画やドラマの中で、サプライズパーティーなるものが催される。誕生日の主役が何も知らずにドアを開けるとパーティーの準備が整っていて、クラッカーの音とともに仲間たちからの祝福を浴びせられるアレだ。 平和で楽しいイベントのはずだが、僕の心は少しざわざわする。 小学生の時、6人ずつのグループに分かれて給食を食べるしきたりがあった。班分けは席の位置で自動的に決まるので、とくに仲良しグループというわけでもない。 食後には牛乳パックを集めて捨てる仕事が待っている。仕事といっても

        • 考えるな、感じろ

          不眠症が来た。50歳を過ぎたあたりから明け方に目覚めることは多かったが、寝付きは良かったので問題視していなかった。それが最近になって、布団に入ってもまったく眠くならない日が続いた。 いろいろな睡眠法を調べてみると、大体が「考えるな」に行き着く。たしかに思考が止まらなくなって覚醒している感はある。が、止めようと思って簡単に止まるものでもないだろう。 心を無にするというのは、お坊さんが修行でやるやつだ。簡単にできたら誰でも悟りの境地に達してしまう。僕は涅槃を目指しているわけで

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        • 自由に生きたい
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          36本
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          19本
        • 役に立たなくても
          15本
        • 恋心
          9本

        記事

          ライオンの気持ち

          ↑前回の続き。「教育」を考える最終回。 褒めるだけでなく、厳しくすることが必要だ。一ヶ月も続いた記事なのに、びっくりするほどありきたりの結論だが、まあそういうこともある。 もっと頑張れと厳しく接するのは「結果を出せる子」に育てたいから。これは状況が異なるだけで、目的としては褒めて伸ばすのと変わらない。 ルールに従えと厳しくしつけるのは「社会に受容される子」に育てるため。型に嵌めるといえば聞こえは悪いが、無法者は社会で生きていけない。 しかし、それ以上に「自分で歩ける子

          ライオンの気持ち

          諦めることは自分を許すこと

          ↑前回の続き。「教育」を考える第七回。 人は万能の神ではないので、「できること」と「できないこと」がある。できることは自然と結果が可視化されてコミュニケーションに発展するが、できないことはただ心の内に傷を負うだけになりやすい。 サインを出してくれれば、いくらでも慰めたり励ましたりしよう。しかし、いつもそばにいられるとは限らない。だから自分でケアできるようになる必要がある。これは大人も子供も関係なく、すべての人間に言えることだ。 ここで「上手に諦める」という話につながる。

          諦めることは自分を許すこと

          褒めるだけでは足りない

          ↑前回の続き。「教育」を考える第六回。 勉強ができる子、運動が得意な子、心根が優しい子を褒めるのは特に難しくない。結果を客観的に評価できるからだ。よくやったね、偉いねと他人から褒められることは、本人の自信にもつながるだろう。 しかし、その自信は十分でない。結果を出せば褒められる。自分にはそれができると信じられることは心の支えになる。それはそれで大切なことだが、結果を出すだけが生きることのすべてではない。 人生は過程と結果の繰り返しであり、その大半を過程が占める。いつか結

          褒めるだけでは足りない

          自分を信じる

          ↑前回の続き。「教育」を考える第五回。 諦めの良さとは、単に早く妥協することを良しとするわけではない。一般的にはそういう意味で使われがちだが、僕はなんでもかんでも諦めれば良いとは思っていない。 良い諦めと悪い諦めがあるということだ。たとえば自暴自棄や捨て鉢は悪いほうの諦めに該当する。このような諦めからは何も得られない。 欲しいものがすべて手に入るとは限らないからこそ、自分が本当に求めるものを問い続け、それ以外のものは涙を呑んで諦める。何かを得るために人は諦めるのだ。良い

          あきらめ上手

          ↑前回の続き。「教育」を考える第四回。 爪と牙を持つ人が社会の中で共存を望んでいないとは限らない。人間はそれほど単純ではなく、他人の自由と競合する以前に、自身の中にも矛盾を抱えている。本当の自由なんて、最初から存在しないのかもしれない。 初めて何かを諦めたのは、いつのことだったろうか。 満腹で食後のケーキを食べられなかったこと? 遊び足りないまま日が暮れて、家に帰るしかなかったこと? いや、それよりもずっと昔に、人生で最初の諦めを経験しているはずだ。 何を諦めたのか。

          爪と牙

          ↑前回の続き。「教育」を考える第三回。 羊しかいない世界なら誰もが自由に生きられる。しかし、気の毒なことに虎や狼のような肉食の性質を持って生まれてくる人たちがいる。ここで言う肉食とは他者の犠牲が必要なことを指す。 人の大切なものを力付くで奪い去る以外にも、競争によって限られた椅子を取り合うような行為も広義の肉食と言えるだろう。欲しがる人が多いほど価値は高まり、勝利の美酒に酔うために敗者の存在が必要になる。 社会通念上、略取は悪であり、公正な競争はむしろ称賛されるが、今回

          羊の皮をかぶった何か

          ↑前回の続き。「教育」がテーマの第二回。 願わくば自由に育ってほしい。生まれ持った感性にのみ従い、これから始まる長い人生を伸び伸びと歩んでいってほしい。僕に子供はいないが、僕もかつては子供だった。だから親目線というよりは仲間意識のような目で見ている。 僕がわりと自由に生きられたのは親や環境のおかげもある。が、それ以上に生まれ持った感性が社会に対して親和的だったところが大きい。内向的な性格ゆえに、求める自由の先に社会と衝突する部分が少なかった。 中学校では前髪が眉毛にかか

          羊の皮をかぶった何か

          わからせる

          ↑これに関連して体罰についても考えてみた。 戸塚ヨットスクールの戸塚さんの主張がすべて正しいとは思わないが、体罰を一律に禁止することが社会のためになるとも思えない。 体罰が原因で直接的に人が死んだり、自殺者が出たりする。だから体罰は悪だと言いたい気持ちはわかる。体罰さえなければ、これを原因とする死者はいなくなるだろう。 ただ、少年犯罪でも人は死んでいる。加害者にもいろいろなタイプの子がいて、全員がそうだと決めつけるのは偏見でしかないが、彼らの中には体罰による教育を受けて

          ロジハラ男

          ↑前回の続き よく男性は論理的で、女性は感情的だと言われるが、これには大きな違和感を覚える。たしかに個人的な経験からも女性とはわかりあえない部分があるのは感じる。しかし、女性が論理的でないとは思わない。 そもそもの大前提として、人間は論理的な生き物だ。1+1は2だし、裏の裏は表である。そこに性別の違いが入り込む余地はない。 もし、両者の間に見解の相違があるなら、まずは誤解、誤認、嘘、判断ミス等が疑われる。論理的であっても常に正しいとは限らない。間違いは性別に関係なく誰に

          ヒステリー女

          たかまつななさんのニュースを見て、「違う、そうじゃない」と思った。 自身がヒステリー女と呼ばれたことに対して、女性差別だと切り返している。ここにジェンダー問題の難しさの一端を見る。 たしかに「ヒステリー女」という呼び方は女性差別を含んでいる。が、それは彼女がヒステリックでないことの証明にはならない。実際、テレビで何度か見た限りでは、いつもヒステリックに話している印象があった。 過去にはその点を自省したこともあったようだが、残念ながら改善には至らなかったらしい。逆に「毅然

          膝カックン

          新作アニメを観ていると、登場人物の一人が膝カックンをしていて、少し心がざわついた。膝カックンとは、立っている人の後ろから相手の膝裏に両膝を当てて、体勢を崩すという他愛もないイタズラだ。 僕も子供の頃にやったし、やられたりもした。大人になってからはさすがにない。たまたま、そういう人付き合いがなかっただけかもしれないが、どのみち、膝カックンをするような大人とは仲良くなれないと思う。 コミュニケーションの一環なのは理解している。怪我の心配をしているわけでもない。アニメや漫画にそ

          風の憧憬

          1995年に発売されたゲーム『クロノ・トリガー』で流れる曲。YouTubeで検索すると、芋づる式にいろいろなアレンジがおすすめされる。どれも甲乙つけがたいが、この方のピアノがひときわ心にしみた。 ゲーム自体が名作と呼ばれている。時間を旅する物語はもれなく僕の琴線に触れるので、確かに面白かった記憶がある。けれど詳細を覚えていない。 比較的鮮明に思い出せるラスボス戦は、数年前に見た、知らない誰かのプレイ動画の映像だ。そして、これほど感情を揺さぶる「風の憧憬」でさえ、どんなシー