羊の皮をかぶった何か
↑前回の続き。「教育」がテーマの第二回。
願わくば自由に育ってほしい。生まれ持った感性にのみ従い、これから始まる長い人生を伸び伸びと歩んでいってほしい。僕に子供はいないが、僕もかつては子供だった。だから親目線というよりは仲間意識のような目で見ている。
僕がわりと自由に生きられたのは親や環境のおかげもある。が、それ以上に生まれ持った感性が社会に対して親和的だったところが大きい。内向的な性格ゆえに、求める自由の先に社会と衝突する部分が少なかった。
中学校では前髪が眉毛にかかってはいけないという校則があって、僕はよく頭髪検査に引っかかっていた。反骨精神もなければ、モテるために外見を気にしていたわけでもない。単に髪を切るのが面倒だっただけだ。
これを束縛と捉える人もいる。「自由がない」と不服そうに話すクラスメイトに同調しながら、内心は痛くも痒くもなかった。髪はいずれ切らなければならない。その時期が多少早まったにすぎない。
社会のルールのほとんどは僕を束縛しない。窃盗や殺人を罰する法律がなかったとしても僕はやらないし、顔を見られる心配がなくても行列に横入りするような真似はしない。
弱肉強食の世界では満足に生きられないと思う。今の日本に生まれて良かった。
↓つづく