私にとっての「コトタマ」と「コトタマ学」
コトタマという言葉。
イナカの家のnote記事でもたびたび出てきます。
みなさまは、
そのコトタマについてご存知でしょうか?
ご存じの方は、
コトタマとコトタマ学の違いをどのように認識されていらっしゃいますでしょうか?
そしてコトタマそのものを、
どのように理解されていらっしゃいますでしょうか?
・・・(笑)
たて続けの問いかけから始めてしまいました。
なぜこのような問いを?
私事ではありますが、
またまた宇宙のはからいがあったからです。
今回のタイトルにもしましたその事柄についての確認をうながされました。
コトタマを学んでいる方は、このことを意識せずひとつのことにしてしまっている傾向があるので、この機会にみなさまにも投げかけてみました。(笑)
それにしても、
宇宙のはからいは本当にシンプル。
今回もつくづく実感しています。
ーーー
宇宙のはからい
実生活で大きな変化の時にきている私自身。
お感じいただいていることと思いますが、
私にはコトタマがちらつきます。
そのコトタマに関連する部分の整理を、
このたび実際の物事の動きとともに促されました。
イナカの家のnote記事でコトタマにふれたときには、コトタマ情報として自作のコトタマ関連のホームページをご案内しています。
このホームページでは、コトタマの資料として埋没させてはならないコトタマ学の先達の残されたものをどなたの目にもふれられるように、ご縁あってまとめて公開させていただいています。
そしてその中の資料のひとつに師のコトタマの講座時の音声があるのですが、一講座が長時間のためみなさまに手軽に聞いていただけるように短時間に区切る編集をし、YouTubeで配信してきました。
これらが今までの私のコトタマ学関連の活動です。
その音声講座が二年の時とともにこの度終わりを迎え、その数日前にはイナカの家のご利用ガイドをご案内することとなりました。
「コトタマ学関連情報発信」と「イナカの家」
このふたつのことは両方とも一人の私の活動です。
ですがまったく別の臨み方での行いで、私の中では扱いが違います。
今回は、
このことの整理を内容といたしますので、
おつき合いくださいませ。
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整理
何度か言葉にしているのでご承知のことと思いますが、私はコトタマ学にであい心の内容をコトタマとして自覚する前からつねに、宇宙の…もっと言えば心の宇宙の中で動くものの自覚をもってそれらと接してきました。
それはコトタマ学を終えた今も同じです。
ただ違うのはその動くものがコトタマと表現できるものだと知ったこと、それによってコトタマ原理として心の内容が整理自覚できたことです。
ですから私は何ひとつ変わることなく以前からの私で、相変わらずのほほんとした私が生活しています。
これが私の実情です。
ではその私が、
それぞれの活動に対してどのような思いを持っているかを整理してみますと…
コトタマ学関連にたずさわる私
私自身のコトタマ学のまなびは、コトタマ学でいうところの最終地点まで自覚できましたので、一応コトタマ学は終了いたし学問からは離れております。
…とはいえ学問的学びの終了は日々での活用の始まり、いわば本番ですので日々精進。(笑)
コトタマ学関連の情報発信に関しましては、
内容固定型のホームページは変わることなく公開中で、ホームページからのお問い合わせには随時お答えしております。
そして講座音声のYouTube配信が終了しましたが、最後の締めはこの整理作業のあとで行う予定。(笑)
今の状況です。
さしあたってそれ以外示唆はきていないので、今のところ今後の動きはなしですね。
コトタマ学関連に関しましての臨み方は、
「コトタマは宇宙より人類すべての人に与えられたものであるから私心を交えるものではない」との先達のお考えに私も同感です。
ですので情報をそのまま公開すること、私心や個から離れた宇宙の心で臨むこと、に注意をはらい活動をしております。
イナカの家と私
イナカの家の住人である私は、今までお伝えしてきていますようにコトタマまみれの人生で、現在もなお…です。
ですが個の私は、コトタマ学やコトタマ関連のことを専門としてそれのみに従事したい気持ちは持ち合わせていないんです。
ですのでそれらの事に関しましては、以前も今も宇宙のはからいにのみおまかせの身です。
では、
個の私の、いわゆる個性は…
私の師もそうでしたが、いつも、
コトタマの話になると人が変わる、たのしそう、活きいき…といわれます。(笑)
その部分に意識を向けてはいなかったので、はじめていわれたときには「へえ~」でしたが、今は理由がわかります。
それは本質からの喜びなのですね。
私の場合はお話をしている時にそこが満たされるのですね、きっと。
かんたんにいえば、いのち・生命が喜んでいる。(笑)
そうなんです…
個の私に働きかけてくるのはそこなんです。
イきるに従事しなさい!
(そんな言葉はないと思いますが、笑)
イきたコトタマとの関わりなんですね。
*ちなみにコトタマ表現でイは生命のこと。
生命…生きる、活きる。
それと、
コトタマは日常のものであること。
だからこその、いかす使い方。
これらを思いだすお手伝いですね。
生まれてこのかたコトタマの動きに接してきていることや、「イの次元の自覚に到達したらその先を教えるからね」と宇宙より伝えられ、それでイナカの家を始めるに至ったことからも、
働きかけの内容は、まさに個性に適したことなのでしょう…
ですのでイナカの家は、コトタマやコトタマ学に特化した学びの場ではなく、ただコトタマまみれのサンプル人がいる空間です。
コトタマのお話に花が咲くことは間違いなしですが、とりわけ学問としての枠をつくってはおりません。(笑)
また、
イナカの家のnote記事で出てきますコトタマ的内容は、難しい漢字にルビをふって読めるようにするのと同じで、心の内容に対してコトタマ表現のルビをふっているだけなんです。
以前何気にしましたそのことが、ことのほかコトタマを学んでいらっしゃる方に喜んでいただき、今もご要望がありますので、コトタマに関心のない方には読みにくいかなと思いながらもあえてコトタマ用語のルビを入れさせていただいています。(笑)
ですのでコトタマ用語はちらつきます、
読みにくいと思われている方、ごめんなさい。
コトタマの理論のみ(学問的に)のコトタマ学としての内容扱いはしておりません。
もちろん対応はさせていただきますが、その点を
ふまえていただけますとズレが感じずにすむかと思います。
ちなみにイナカの家のしゅしを手短にあげますと、
「宇宙や心の宇宙、生命や心のあるべき位置を思いだすきっかけや確認の場に」
「それらの共有空間」
「アそびましょう」です。
(コトタマ表現ではイ次元、エ次元、ア次元ですね)
そして、
その中の内容としてコトタマやコトタマ原理もでてきます。
〈イナカの家の環境〉や〈サンプル人の私〉という個人にご縁を感じでくださる方に向けてのイナカの家ですので、まぎらわしさはお詫びしつつもお間違いのないようにお願いいたします。
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まとめ
それぞれの整理内容からご理解いただけることと思いますが、一人の私がまったく反対の臨み方をしております。
『コトタマ学関連で扱うのは、
直接的にコトタマに関する内容で、コトタマやコトタマ原理。心の状態は宇宙意識の私』
『イナカの家で扱うのは、
心の感覚的部分や心の見極めで、宇宙や生命やその時の心。心の状態は個(自我ではありません)の私』
心の全貌を自覚できたことで、
私に与えられた両者の内容が具体化され、
こうしてそれぞれが矛盾することなく理解できたからこそ、正反対の内容のふたつが並行して始まることになった。
そして、
今それを言葉にまとめ文字にして、
自分の内から外に出している。
これで、
宇宙のはからいによる促された整理の完了です。
今回の作業は私の人生において最も重要なこと。
無事に作業を終えることができてよかったです。
お疲れさま、と私が私に言っています。
これは普段あることではないんですよね…
それだけ別格の作業だったってことですね…
なんて思っていたら、
だんだん感慨深くなってきました。(笑)
あ!
でもまだYouTubeを聞いてくださっている方々に向けての締めの作業があったのでした。
近日中に!! (笑)
と、次の作業を思い出せたところで…
長々となってしまった個人的な整理に、
最後までお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。
季節も変わり目、
みなさまどうぞご自愛くださいませ。
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