焼きプリン東京へゆく春めきて
2021年に没したデザイナー、仲條正義が手がけた名作展が銀座で催されているそうだ。資生堂のロゴやパッケージの設計にも携わったとのことで、同社のミーハーとしての琴線がびりびりに震えた。仲條正義その人については芳名しか識らない。洗練されたポップな意匠がめぐらされたパンフレットをじっくり読み込むうち、この展覧会のため上京するのもいいかなと考えはじめた。
東京に赴き、仲條正義名作展を訪れる。
最後に東京を旅行したのは中学生の時分、それもとことんパッケージツアーの側面が強い修学旅行のこと。爾来十年、私にとっての東京は、渡仏や上洛の中継地点として夜行バスで立ち寄るだけの場所であった。震災後一年ほどして家族で旅行した際、東京駅に降り立った瞬間父母兄妹みな一様に人波に萎縮し、たちまち腹を下した苦い記憶こそあれ、東京は一貫して気になる街でありつづけている。せっかく上京するなら、銀座だけといわず、幅広く訪れたい。
東京に赴き、仲條展に寄るのはもちろんのこと、広域を探査し見聞を深める。
この「広域」をどう捉えるかが要諦だ。古書の聖地、神田神保町全店に足を運ぶ旅も広いと感じられるし、都内を走る列車全線に乗るのもなんだかスケールが広そうだ。あらゆる美術館の門戸を叩くのも、現代アートの主要発信地たる東京ならではの広域な芸当といえる。かくて悶々と旅の広さについて考えるうち、私の思索は『水曜どうでしょう』に向かっていった。東・西日本カブ横断やアメリカ横断、四国八十八ヶ所巡礼、ベトナム縦断などその野放図なまでの行動半径の大きさにかけては神話レベルの旅番組であり、広さと旅それぞれの充実を狙う者が念頭に置くのは自然の摂理である。東京旅行における『水曜どうでしょう』的広域探査プロジェクトの方途、という大仰な題目を掲げ、改めて長考に入ってからしばらくののち、私の脳裡に啓示がひらめいた。
東京に赴き、二十三区巡礼する。
風の噂によれば、東京には何かが二十三区あるという。市町村という行政区画におさまらない「区」。私にとっての都市の基準である仙台市にある区といっても泉・青葉・若林・太白・宮城野の五つだけである。それが二十三も。プリンを焼いた、その名も焼きプリンという存在にさえ面食らっている者の肩を叩いて、プリン・ア・ラ・モードの威容を示すような文化衝撃がある。
二十三もの区をあまねく訪れたらなんだか大変「広い」気がする。多摩市? 箱根市? 白馬村? 三鷹市? 東京にはそういったような名高い市町村があった憶えがあるが、それはこの際とりあえず措いて、潔く全区巡礼にこだわろう。パフェもア・ラ・モードもマリトォッツォも食べたら食傷してしまうからね。
さて「広域」の範囲を決めたところで、続いてはいかに移動するか、つまり交通手段に想いを致しはじめた。結論が得られるまでにそう時間はかからなかったが、果たしてソンナコトしちゃっていいのかしらん、と、我ながら自分の思いつきにワクワクしてしまい決めかねた。私の投稿を根気づよく待ってくださるような読者諸賢はもしかすると、アもしや彼奴、公共交通機関を一切用いず全区歩くなどと考えているのでは、とお思いかもしれない。果たせるかな、お察しの通りである。
東京に赴き、二十三区を徒歩で巡礼する。
昨年夏に上洛した折、JRじゃない私鉄が幅を利かせて走る風景にたまげた。JRが乗り入れない駅があろうとは、宮城にいたら思いもよらない話である(私鉄の仙台空港アクセス線のみ走る駅が三つあるものの存在感に乏しい)。いささか大袈裟だとは思うがJRがJ(Japan)のR(Railway)を統べているかのように錯覚していた。生粋の焼きプリン・ボーイゆえ、モノレールや路面電車には目を回してしまう。それらがチョコレート菓子の紗々もかくやというほど複雑に絡みあったメガロポリス東京では、最早なにをかいわんやである。
それに、東京の大学で教鞭を執っていた教官がよく、都内の電車の混雑っぷりを語って聞かせてくれたことを思い出す。私は仙台を縦走する常磐線でさえ辟易しているのに、それを聞くと教官は「仙台の電車なんて……っ」と言葉を詰まらせた。何かが決定的に異次元らしい。戯れにインドの猛烈乗車率の鉄道を引き合いに出してみた私のまえで教官は薄笑いを浮かべた。どうもそんなに変わらないらしい。
このように消極的な理由はあるけれど、歩くのがさほど苦ではなく、旅に興趣を添えるものだと暢気に構えてもいるのも大きい。果たしてタノシイで済むかなとどきどきしながら東京二十三区の地図を参照して「意外とちいさい!」と発見した。経験上、むやみに走ったり早歩きに努めなければ一日三〇キロぐらいなら移動できる。連日三〇キロずつの行程は未知数だが、三泊四日(宮城—東京間の移動時間除く)の滞在と考えれば、多少ゆるい歩きの日があってもイケそうである。というか、日々稼ぐ距離を至上のものと捉えたら、仲條展を楽しむといった大事な余裕を失いそうだからほどほどに留めなくてはならないだろう。
東京に赴き、二十三区を徒歩で巡礼するが、ふとした出合いに立ち止まることを楽しむ余裕は手放してはいけない。
毎日8時間ほどの歩きがてら、なにをして楽しもうか。宿願たる千代田区の神保町礼拝はもちろんのこと、各種展覧会情報や手元にある雑誌を参照しつつ、プランを練った。うすうす予想はしていたが東京都で催行される展覧会の数には目を見張るものがあった。そんななかで現段階までに三つほど選んだ。①東京都美術館で開催中の「レオポルド美術館エゴン・シーレ展——ウィーンが生んだ若き天才」、②銀座のATELIER MUJIで開催されている「『愛すべき日本のお菓子』展」と「『small muji』展—日用品のたのしみ方—」、そして③岡本太郎記念館で明日から開催の企画展「衝動の爪あと」。記念館かたがた、渋谷駅に架かる太郎の巨大壁画『明日の神話』も心ゆくまで見上げよう。
マガジンハウス社の雑誌ブルータスの特集号『すべては、本から』をめくっていたら書店は神保町以外にもあるのだなあと噛み締めた。目下、下北沢に熱視線である。どういうわけかてっきり埼玉にあると誤認していたこの街には本屋やレコード店、喫茶店や雑貨店などなどが群れているそうな(おおかたの読者は先刻ご承知なのでしょうね……)。時間の許す限りひろびろと闊歩したいが、とりわけ下北沢で訪れたい店がある。それが「本屋B&B」だ。先日、仙台市の図書館で偶然、同店のオーナー内沼晋太郎氏の著作『これからの本屋読本』(NHK出版、2018)と出合い、読み耽った。「書店は厳しいからやめておけ」と戒めることなく、しかし本屋として向き合わなくてはならないタスクや書籍流通の現場の話を詳細に教えてくれる本書には強く感銘を受けた。古本屋で勤務している者として、あわよくばいつか自らの書店を主宰したい者として、そして書物を愛する者として、ぜひとも立ち寄りたい。四日間の滞在でリュックがどれだけ重くなるか見ものである。
ともすれば忘れそうになるが、本屋めぐりの楽しみとリュックの荷重の問題は切っても切り離せない。日帰りならいざ知らず、何日も滞在する旅行、しかも(そして今回なにより重大なのが)ひたすら歩く行程を組んでいる以上、うかうかと重〜い単行本やコミックスセットを買い込もうものなら最終日が近づく頃には大叫喚地獄待ったなしである。その点、私の趣味の一つであるピンバッジ蒐集は害が少ない。とってもキュートなサイズ感と質量だ。ときどき動悸を起こすほど高価格帯のものもあるがそれさえ可愛らしい。英国の希少雑貨(ああ高そう萌える)を専門に商うブリティッシュ・ライフなるお店が荒川区にあり、ピンバッジを多数取り揃えているとのことで、こちらも旅程に盛り込んだ。そのほか、東京ソラマチ一階にあるご当地ピンズプラスや先述の岡本太郎記念館でもピンバッジを買い漁……買い求めようと考えている。どんな名品に出合えるだろうか。
ひたすら歩き、各区に軒を連ねる名店を訪れるのと並行して、その上なにか表現をしたいと考えるのは虫がいいだろうか。昔からどうも情報を見聞きしているだけだと頭が痺れてくる。その対処方法の一環としてこれまでnoteで旅先の見聞録をしたためてきたわけだが、東京二十三区を経巡る今回ばかりは新規の表現に打って出たいと考えている。その最有力候補が俳句である。
東京に赴き、二十三区を徒歩で巡礼するが、ふとした出合いに立ち止まることを楽しむ余裕は手放してはならず、各区で一句読む。
「各区で一句」。なにも語感の良さだけで俳句詠みを決断したわけではない。三月に入ってからぽつぽつ読み進めている漫画『ほしとんで』の影響である。まさしく俳句の漫画なのだが、登場人物たちはなにも、感じたことや考えていることを文字に起こして伝え、評価されることを得意としているわけではない。むしろ苦手意識を覚えたまま強制的に大学の俳句ゼミに進んでしまった者たちである。そんな彼らが、歳時記とにらめっこし、周囲の事物を感じ取り、それぞれに芸術と向き合う者と触れ合うなかで、十七文字という短い文字数に想いを籠めることを学んでいく。
東京の風物と関わって心に浮かぶ由なしごとを書きつけることは、さぞかし面倒だろうが、書くからこそ見えるものがあると信じて、この旅で実践してみたい。ひたすら歩きまわる日々を過ごすうちいつしか健脚の俳人、芭蕉翁に憧れていたではないか。ここはひとつ彼の背を追って各区で一句。
かつて高校時代、文芸コンクールで俳句を出品した際に「なにを言いたいのかわからない」と批評されてしょげたものだ。当時の反省を活かすとすれば、連想を膨らませつつ要素を減らすことが肝要だろうけど、とりあえず十七文字の形式と取っ組み合うなかで道筋を探りたい。春めく首都からどんな句を持ち帰れるだろうか。
もじもじと文字起こしせよ道ぞ開ける 詠み人I.M.O.
(ア! 季語がない!)
僭越ながら宣伝を。
前述『これからの本屋読本』がなんとnote上で全文無料で読めるとの由。
書店を営むための詳しいイロハから本屋と書店の違いまで学べます。
I.M.O.の蔵書から書物を1冊、ご紹介。 📚 かくれた次元/エドワード・ホール(日高敏隆・佐藤信行訳)