構造と力
#構造と力
#浅田彰
結論から言うと、思考停止の予定調和のパラノイアックなクラインの壷には入るな、コンフォートゾーンから抜け出せ。というのが言いたかったのでしょうか。
序文のノリつつシラけ、シラけつつノル。
というのは、常識(象徴秩序=構造、コード)を理解した上で、非常識な行動選択をしてこうぜーという啓蒙か。
現代は簡単にいえば、
コード化→超コード化→脱コード化→脱脱コード化と言ったところか。
SDG'sはこの脱コード化にネガティヴプロンプト(やってはいけないことリスト)を敷いた様なイメージ。
多様性と声高に叫ばれる昨今、
逸脱しすぎてノンコード化≠コード化への回帰になってしまっているのでは?
と思ったりもする。
それはギターの様に、
複数の弦がそれぞれに異なるチューニング、太さのコード=構造を成しており、あらゆる事象によって押弦は異なり、それぞれの弦に共振(狂信)した人々はそれぞれのコードによる還元をし、和音も不協和音も響かせているような。。。
弦掻き鳴らした方が勝ちみたいなアンモラルと
過剰にモラルのブリッジミュートを刻むハラハラの中に佇む現代人には、一本糞のようにぶっといコードが必要なのかもしれない。
また、
コード化、超コード化、脱コード化はサッカー戦術にも当てはまる。
コード化=おだんごサッカー
超コード化=カウンターサッカー、各々が役割を全うし、そこから外れない。ゾーンプレス。
脱コード化=バルセロナ、クライフイズム、トータルフットボール、ペップ、ポジショナルプレー
脱コード化は理念や目標、コンセプトを設定して、その目標や理念に即していればやり方は問わない。とする秩序である。
つまりバルサ哲学でいう混沌と秩序まさにそれである。
脱コード化の流れにおいて、脱コード化の中にコード化を取り入れる=脱脱コード化を混ぜ合わせたのがゲーゲンプレスのクロップであり、オールコートマンツーのビエルサである。
とまぁ、構造と力を噛み砕いてみたはいいものの、噛み砕けたのはYoutubeの哲学チャンネルのおかげで、原著を読んでもいまいち完全読解出来なかったので、また色々本書にあった参考文献でも漁ってみます。
外の外へ行ったら、結局は中。