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「セルフ・コンパッション」事始め

一冊の本との出逢いから始まった
「セルフ・コンパッション」

何よりも、あなたが自分自身に思いやりの気持ちをもち、日々健やかに成長し、幸せに暮らしていけるよう、支えることを誓います

「セルフ・コンパッション」クリスティン・ネフ

ある大事な人にプレゼントしたいと思い、なんとなく購入した一冊の本。ずっと、本棚にしまったままだったのだが、最近、ふと手にして読み進めると、正に、今、自分が求めていたものが、とてもリアルに書かれている。心の中で無意識の内に起きている変化が、理にかなった素晴らしい変革だと知り、これをきちんと理解して意識すれば、自分は大きく変わると確信する。

自分の心を自分で大事にケアする

これが大事なことは百も承知。でも、抽象的過ぎて、具体的にどうしたらいいのか分からなく、これまでどれだけ苦しんできたことか。しかし、その答えが、あまりにも簡単に、すっと腑に落ちる形で書かれている。待てよ、とんでもない本ではないか。

これまで、
ありのままの自分を、ありのままの自分の感情を受け入れる
目の前にある現実を、目の前にある相手を、ありのまま受け入れる

この重要性は痛いほど噛み締めていたものの、それをいざどうやればいいのか分からなかったのは、私だけだろうか?

そう在りたいと思うものの、結局、自分/相手を非難したり、責めたり、許せなかったり。否定的な感情や思考に囚われ、それを消し去りたいと、心に蓋をしてしまったり、不満としてぶつけたり。不安や恐れに駆られ逃げてしまったり、現実を利己的に歪めてしまったり。
そして、素直な自分も、周りから差し伸べられる温かい思いやりの手までもブロックしてしまい、この苦痛に孤独感まで加えてしまう。

私はこうして苦しんでいる。あれっ、でも、そんな自分自身に対して、私は優しい気遣いや思いやりを向けていたのだろうか?

ちょっと立ち止まり、この質問を自分に投げかけてみて、答えがNOの人には、このセルフ・コンパッションを絶対に紹介したい。

私はこの一冊の本をベースに、カウンセリングなど実践を通して”セルフ・コンパッション”を学んでいますが、別に、手元に、本を用意しておく必要はありません。
私が、一章一章、ゆっくり読んでいきながら、立ち止まり、考え、投げかけてみる、そう、「一緒に読んでいこう、学んでいこう」というスタイルで展開できればと考えています。
第一回目は、まず、「セルフ・コンパッション」というものを概観してみましょう。

セルフ・コンパッションとは?

Compassion [コンパッション] は、「思いやり」と訳します。通常、他人に対して向けるものですよね。
「相手に思いを馳せ、相手と共に苦しむこと」「相手の苦しみに思いを寄せ、自分のことのように、理解して受け入れること」と表現されます。
苦しんでいる相手を前にして、その苦痛をなんとかしてあげたい、と自然に湧き上がる感情。優しく寄り添い、評価や判断、解釈、余計な言葉を挟むことなく、心の声をただ聴き、ありのままを受け入れる。まるで自分がその人になったように、苦しみを共に分かち合う。

そして、「セルフ・コンパッション」、この「思いやり」を、他人を思いやるように自分に向ける、「自分で自分を思いやる」ということになります。
苦しんでいる自分に優しく寄り添うことで、不安になっている自分の心をなだめ、癒やすのです。

苦しんでいる自分に気づく

著者は「セルフ・コンパッションとは、否定的な感情を消去するのではなく、それらを思いやりと優しさで包み込むこと」という言葉を繰り返します。
心の中に在るネガティブな感情や思考は意図的に消すことができない」ということを肝に銘じ、始めなくてはいけません。
さあ、セルフコンパッション、「何よりもまず、自分を思いやるには、自分が今苦しんでいることを認めなくてはいけません」。感じられないものは癒やすことが出来ないからです。

しかし、著者は「苦しんでいる自分に気づくことは難しい」と言います。
私たちは、そもそも、自分の思い通りにいかなくなった時、間違いなく苦痛を感じるのですが、「失敗によって生じた苦痛」ではなく、「失敗そのものに注目する」傾向があります。
更には、対処しなくてはと、即刻、「問題解決モード」に入ったり、痛み、苦しみに対して、それを回避したいという生理的プログラミングが発動し「闘争逃走反応」を引き起こすという生来の傾向もあります。
これらの生存本能が邪魔をするため、感情的に疲弊しているという事実に気づきづらい、というのです。苦しんでいる自分の心に意識を向けること。これが最初の難関となります。

「苦痛」は避けられないが、
「苦悩」は当人に選択が任されている

更なる難問が待ち受けます。
「心にある苦痛にどう対応するのか」
脳科学の研究は言います。
「われわれは、好ましくない思考や感情を意識的に抑制することはできません。それどころか、抑制しようとすればするほど、それらは逆に増えていくのです。」
潜在意識は、回避や抑制のいかなる試みも記憶するため、私たちが避けようとするものは、結局、記憶として、増幅されることになるためです。
つまり、私たちが、苦痛に対して、否定しようとか、目をそらそう、逃げよう、心を閉じよう、消し去ろう、と抵抗しようとすればする程、苦痛は増大し、「苦悩」という形に悪化していくと言うのです。

感情的な苦悩は、現実とは異なる状況を望むことで発生する。そして、今、目の前にある現実に抵抗すればするほど、この苦悩は増大する。」
目の前にある辛い現実に対して、すぐ「どうして?」「なぜ?」と疑問や不満をぶつけてしまいたくなる。でも、「いったん現実に何かが発生すれば、その瞬間にその状況を変えようと思っても、できることは何ひとつない。この事実を認めようが認めまいが、現実は変わらない。」
大事なことは、現実に抗ったり、苦痛から逃げよう、苦痛を抑え込もうとするのではなく、あるがまま受け入れること。

「苦痛」は避けられないが、「苦悩」は、当人に選択が任されている

苦しみをあるがまま体験する
優しさと思いやりで包み込みながら

では、どうしたらいいのか。苦痛から自由になり心を鎮める方法は、その苦痛をあるがままに感じ、「体験する」ことしかない、と断言します。
苦痛から逃げようとすればするほど苦しみも痛みも増すばかり。
しかし、苦痛は、本質的に、一過性のものでもある。真正面から向き合い、抵抗や回避によって下手に長引かせたり増幅させたりしなければ、時が過ぎるにつれて弱まっていく。
自分の苦しみを、判断や評価を加えずに、あるがまま受け入れ、ただじっくり体験すれば、時が癒やしてくれる、というのです。
苦しみを苦しみとして体験する。思いやりと優しさで包んであげながら、癒えるのを待つ。

セルフ・コンパッション、それは、自分の心に在る苦しみに気づき、積極的に自分を慰め、思いやりや優しさや共感を、自分に注いで心を穏やかにする、ということです。

「本当につらくて苦しいよね。不安で、怖くなって追い詰められたんだよね。いいんだよ、今はもう大丈夫、焦らなくていいんだよ。」
「素直に助けてって言っていいんだよ。頼っていいんだからね。もう十分に頑張ったよ、一人で抱えなくていいんだよ。」
「少し落ち着いたら、一緒に考えよう。あなたには今、何が必要だろうね?どうなることを望んでいるんだろう?本当はどうしたいんだろうね。」

自分に優しく問いかけてあげたい、素直にそう思いました。この本を読む間、心はいつも優しく温かで、とても肯定的な感情ばかり生まれるのでした。

あなたの人生でただ一人、年中無休で優しさと思いやりを提供できる人物、それはあなた自身に他ならない。

「セルフ・コンパッション」クリスティン・ネフ

私たちは相互につながり合っている

最後に、この本で出会った、
とても”大事なこと”を紹介します。

私たちは皆、拒絶されたくない、見捨てられたくない、安全な状態で安心していたい、という強い欲求から、
自衛的な姿勢を取ったり、現実を自分の都合のよいように歪めたり、
持って生まれた生存本能から、闘争・逃走を選んでしまう。
これらはすべて、人間としての遺伝の一部であり、親から引き継いだもの。

そして、私たちは、本人が望んでいないにも関わらず、育ててきてしまった心の傷、不安、怖れをそれぞれ抱えて生きている。

そんな私たちから生まれる行動や言葉で、その人を定義づけることも、その人の価値を決定することもできない。
それが、たとえ、自分も相手もひどく傷つけてしまうようなネガティブなものであったとしても、その人の本質を否定したり、その人の個人的な責任だと非難することはできない。
私たちの言動はすべて、私たちの人生というプロセスの”たった一部”でしかない。

我々はみな同じ。誰しも、苦しみ、不安、恐れの中で、間違いを犯し、後悔するような行動を繰り返す。自分では完全にコントロールできない弱さや苦しみを抱え、それに翻弄されながら生きている。
私がしたことは、人間であることの一部
人を信じることに怯え、拒絶や孤立を怖れ、不安に苦しんでいたはずの自分が、もはや、一人ではなく、確かな人とのつながりを感じ始める。
自分を許してもいいんだという、優しい気持ちが生まれて来ないでしょうか?

私たちは、誰一人として、大切にされなくていい人なんていない。すべての人が、思いやりを受けるべき、尊い存在だ。私も、そして、あなたも。

セルフ・コンパッション、あなたにとって、何かの励ましになることを祈ります。

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