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トイレ禅

こんにちは。裏花火(うらはなび)です。

あまり綺麗な話ではなく恐縮ですが、みなさんの「トイレのお供」ってなんですか? 一昔前だと新聞だったのでしょうか? また、よくあるのは本を読みながら、、スマホ片手に、、なんて感じでしょうか。

私はどちらかというと、本を読むことが多いです。
とはいえ、そんなに長時間トイレにこもっているわけでもないので、比較的短く読めるモノが多いかと思います。
(ストーリーのあるものは、せっかく面白くなってきたところで読み終わる可能性もあるので、個人的にはあまりトイレでは読みません)

以前の投稿で、「修行感のあるものが好き」と書きましたが

やはりその傾向は今でも残っているようで。。
そんな中、最近読んでいるのが、以下の本。
講談社学術文庫 秋月龍珉著
『無門関を読む』

いわゆる「禅問答」を解説?する本です。
禅問答(公案とも言うようです)で有名なのは
両手を打つと音が鳴るが、片手ではどんな音がなるか」とか
犬にも仏性はあるか
なんて問いでしょうか。
もちろん、「いや、片手では音は鳴りませんよ、あんたバカァ?
とか「むしろ犬こそ神でしょう。カワユス!」とか、そんなアンサーは求められていないわけです。

私自身は無宗教ですし、禅も仏教もキリスト教も、ほとんど詳しくない人間ですが、好きな作家サリンジャーの本で禅問答が引用されていたのを覚えており、どれ、一つちゃんと読んでみるか、と思って読み始めました。で、読み始めた感想。

凄い! 全然ワケが分からない! めっちゃ面白い!

もともと予想はしてたんです。予備知識もない自分には理解できないのでは、と。それでも思った以上に難解で。。
問いとそのアンサーがそれぞれ紹介され、詳しく解説されているのですが、
言っていること、書いていることは文字としては読めます。単語もまあ分かります。でも、論理が分からないというか、そもそも論理がないというか。。

そこで、本棚から別の本を引っ張り出してきました。

河出文庫 飲茶著
『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』

禅や仏教をはじめとするいわゆる東洋哲学(宗教?)の成り立ちや考え方をわかりやすく(面白おかしく)まとめた本なのですが、その中で「禅問答」について触れているのを改めて読み直しました。
詳しくは是非『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』を読んで頂きたいのですが、要するに、論理を超えることで、「目を覚まさせる」ことが禅問答の目的、と私は理解しました。

その意味で言うと、確かに、『無門関を読む』の中で紹介されている禅問答(問いとそれへのアンサー)は、訳のわからなさ、珍妙さ、奇天烈さは目を覚まさせてくれるものかもしれません。

しばらく読み続けていこうと思っていますが、今思っているのは、酔っ払った時とか、寝不足でテンションがおかしくなっている時に読むと面白いかも、と。。



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