わたしはずっと夢を見ていました。努力をすれば、連作を作り込めば、完璧なものを作ることができて、その「完璧」というパラメータは、主観的でも客観的でもありえるものであるという夢をわたしはずっと見ていました。この夢のなかでは、わたしは痛覚という感覚を遮断することができていたように感じます。「完璧」を志向するのに伴っていたであろう痛みは、わたしにとって痛みではありませんでした。 第3回U-25短歌選手権の発表が七月末にありました。完璧な歌を、完璧な並びで配置した25首連作『ヴァニー
先月から引き続き、毎月短歌14の選を担当しました。今回も印象に残った連作について投稿順に評をしていきます。 半分のせかい/りんか タイトル通り「半分」がキーとなる連作。 比翼の鳥に代表されるように、相聞と「半分」という概念は相性がいいということを改めて感じさせられた。 虹の龍/みつき美希 母である主体が、夏休み中の息子と庭で虹を作っているシーンを切り取った連作。 虹が消えてゆくことも、この連作における主題の一つである時の流れや記憶を象徴しているのだろう。 第一回納涼
毎月短歌13(連作部門)の選を担当しました。印象に残った連作について投稿順に評をしていきます。 義父の一周忌/間由美 タイトル通り義父の一周忌がテーマの連作で、法要のために親戚が集まる一日を描いている。一周忌が納得の空気感と言えば良いのか、お葬式ほど重くなく、かといって死を軽視しているわけでもない絶妙な空気感が印象に残った。 連作の一首目として最高の歌だと思う。タイトルを回収しながらも、「猛暑日」「塩飴」という具体的なモチーフを扱い、歌の結像性を高めることにより読み手を
ヴァニーユ/早瀬はづき vanillaの語源はvagina 鍵穴に似た花たちをたずさえるヴァニラ夜にも香りをたてず いちど綴じたらもうひらけない本としてHistoires de Parfumsの瓶 蛇を踏むために聖書に足を置くテミスの像よ盲目のまま かけらを月の脂と思うたそがれの色に焼かれたcroissantの 舌のような白木蓮のはなびらよ舌とは水の滲みだす器官 盗蜜といううつくしき執念に駆り立てられて熊蜂たちは 重力にあらがわな
服部真里子『行け広野へと』を読んだ。服部真里子の短歌の魅力を支えるのは、二段に構えられている展開であると思った。 「雲雀」というモチーフの導入のために上の句をすべて使い、下の句では「雲雀」がさらに「光の溺死」へと展開される。この音数の裂き方のバランス感覚、そしてそれによって生じる緩急の制御が見事だと思う。 冬の季語「雪」の傍題に「風花」がある。これは、雪が風に吹かれながら降ってくるさまを花びらに喩えたものであり、この歌はそれを踏まえていると考えられる。上の句で花のように舞
駅の最寄りのセブンのマルチコピー機が故障していたので、次寄りのファミマで『花野菜ネプリvol.02』を印刷してきました。 夜に加担する/武藤寛和 お笑いのネタのような印象を受けた一連。言葉選びとリズム感にセンスを感じた。 クマと沼で韻を踏んでいることと、「え、」が歌のリズム感をよく制御しているが、それよりも「収穫祭」という単語がここに出てくるワードセンスに脱帽する。このセンスのいいボケの畳み掛け方は某ピン芸人3人組のお笑いユニットがやる漫才(?)に近い気がする。 この
王位 馬上杯のかたちに花をひらかせて木蓮は老ゆ灼かれしやうに 人より花の多き季節に装へばわれはわが最愛のトルソー 喚びだせば無人の籠と引き換へに落ちゆくエレベーターの錘よ 腰のごとくびれて瓶はかかげたり百合の花とふましろき顔を 紫木蓮の色に塗られし黒鍵を渡れよわれの水色の爪 白百合の造花へ百合の香水を 百合のかたちの影を もろさを 人形のための舞曲を聴きながらうつむきぬ我も人形として 五線譜のおはりにひとつ振りあてる二重まぶたのやうなる記号 人形は人よりもろ
本歌集を読んではじめに目に付いたのは、リフレインの多さと特徴的な韻律であった。 Ⅰから引いた。この二首に共通して見られるのは、リフレイン・会話体・歌意の奔放さの三点であると思われる。こういった特徴から想起されるのは、童謡の歌詞である。 だいいち、童謡は歌であるため、(音楽的な意味での)モチーフの影響によって繰り返し単位が発生する。さらに、子ども向けのものがほとんど(すべて?)であり、親しみやすさのためか、会話体が使用されている。意味に関しても、歌詞の中に明確な一貫性が必要
永井亘『空間における殺人の再現』を読んだ。本歌集において徹底されているのは、言葉同士の距離感を操作することであるように思われる。 ザッピングとは、テレビを視聴している際に、リモコンを操作してチャンネルをしきりに切り替える行為のことをさす単語である。初句『目の奥を』と読んだ段階では第二句、第三句で『リモコンでザッピングして』と展開されるなんてまさか思わない。また、それ以降でさらに『降雨を笑わせた』とさらなる裏切りが待っている。意味内容で読解するにはあまりに難解すぎるが、それぞ
カストラート/早瀬はづき うらごえは帯を焦土にかえていく声帯という二本の帯を かんたんに干からびるから雄雌がない生き物は 塩きらきらと 断面が似ているだけで腎臓のかわりに瑪瑙はなりはしないね しろたえの負晶のはいった水晶をうすぐらいから玄関におく わたしの髪を侵していったこの雨がきみをぬらしてくれますように 調弦をすればそのあと手にのこる木のにおいごとひく二胡の弓 きみが生まれる前のひかりを受けながらねむったことをおぼえていない 恋人はわたしの墓標と思いつつ湯
京大短歌・上終歌会の4人で結成された短歌ユニット『花野菜』のネットプリントvol.01を出してきました。 適当に思ったことや感想などを書きます。 穏やかな野火/武田歩 武田さんらしい、発見をベースとした歌が並ぶ一連。 武田さんの歌は発見を生み出すために認識をずらす手法が取られていることが多いが、今回の連作は発見自体に認識が含まれているような感覚がある。 京短ネプリvol.02の武田さんの連作より引用した。この歌は『革靴に身体の部位のほとんどは収まらないで』という発見を見
京短ネプリvol.2が出ました。わたしは8首連作『海葬』を寄せています、ぜひ。 さて、宣伝はこれぐらいにして、ネプリの感想を書き殴ります。相互評欄短すぎて語りたいことぜんぜん語れなかった!!! (ちなみに相互評欄の語数を決めたのはわたしです、みんなごめんね。) いつでも/もやっしー 意識の偏りをテーマにした連作。 どの歌も、おおむね第三句が「じゃない方」へ視点を移すための意識の橋渡しのような役割を担い、結句で「じゃない方」へ完全に意識がシフトする、という型をとっている。
はじめまして!早瀬はづきと申します🍀 色々あってnoteへ帰ってきましたので、改めて自己紹介をしておきます! ざっくりと経歴 京大短歌所属。 高校1年生のときに高校同期とノリで俳句をはじめたことをきっかけに短詩文芸に目覚めた。高校内でNYG句会という学校公認(?)の句会を主宰。高校3年生の夏に俳句から短歌へシフト。 『可逆』で第2回U-25短歌選手権予選通過、『カストラート』で第35回歌壇賞最終候補。『ヴァニーユ』で第3回U-25短歌選手権予選通過。別名義で第59回全国俳