花野菜ネプリvol.02
駅の最寄りのセブンのマルチコピー機が故障していたので、次寄りのファミマで『花野菜ネプリvol.02』を印刷してきました。
夜に加担する/武藤寛和
お笑いのネタのような印象を受けた一連。言葉選びとリズム感にセンスを感じた。
クマと沼で韻を踏んでいることと、「え、」が歌のリズム感をよく制御しているが、それよりも「収穫祭」という単語がここに出てくるワードセンスに脱帽する。このセンスのいいボケの畳み掛け方は某ピン芸人3人組のお笑いユニットがやる漫才(?)に近い気がする。
この歌ではボケは畳み掛けられないが、第二句までのリズム感でこの内容を提出されると、やはりお笑いのような感じがするし、この「」の声の主は大袈裟なくらい大きな声で話しているような気がする。
ここでは降っていない雨/寺元葉香
修飾節の連なり方が目を引く一連。細かな修飾節を連ねる手法は、歌をリズミカルに仕上げてくれる。
とはいえ、修飾節は連ねれば連ねるほど読み筋の分岐が増える。「ついてくる」は終止形なのか連体形なのか。結句のあとに省略されている動詞はなんなのか。想定されうる分岐のすべてでなんとなく意味が通るように組み立てられているのが秀逸である。
「返せば」はどの動詞にかかるのか。比喩になるのはどこまでの部分なのか。初読のときはパズルを解いているかのような気分で向き合うことになる。そうはいっても、どう組み立ててもある程度組み上がってしまうパズルなのがおもしろい。
水の流れ/工藤鈴音
一首の中での展開の逸らし方がおもしろい一連。接続助詞の使い方にセンスが光る。
角と勝負という単語の組み合わせはエゾシカを想起させる。しかし、作中主体が勝ち負けを気にしているのは流木との勝負ではないだろう。このズレていなさそうでズレている論理が「するならば」で接続されているのが心地よい。
街、駅、ひとという三要素が、「名前のついたもの」という点で同一視される。それらの名前を覚えたとしても海にはたどりつかない。それはそうなのであるが、妙な納得感がある。海にたどりつくためにはあと何が必要なのだろうか、などと考えてしまった。
Where Reasons Start/津島ひたち
「窓」がキーモチーフとして扱われる一連。いつかの津島さんの連作に対しても述べたような気がするが、津島さんの歌には透明なものがよく似合う。
主体にとっての「窓」のイデアは、おそらくそれまでに見てきた窓に由来するものであるのだろうが、「窓」のイデアは主体が見てきたどの窓とも一致しない。この現象はおそらく窓以外にもある現象であるはずだが、窓というモチーフを介してこれを説明されると、なぜか他のモチーフを介して行われるものよりも納得感がある気がする。窓という漢字が象形文字由来*1だからだろうか。
おそらくこの窓も主体にとっての「窓」のイデアとは違う窓であるはずである。そうであっても、その窓を、そしてその窓越しの景色を一枚の絵のように見ようとする、主体の窓への愛着のようなものを感じる。よく考えれば、人の視界もレンズ越しのものであるからレンズが窓で、普段見ているものは窓越しの景色であると言えるかもしれない、などと考えさせられた。
*1 まわりくどい言い方となっているのは、窓という漢字自体は会意形成文字で、窓という漢字の由来となっている囪という字が「窓」の象形文字であるため、窓という漢字自体は象形文字ではないという理由です。漢字の成り立ちって難しいですね。
新緑の階段/武田歩
読後の爽快感が気持ち良い一連。一首一首の安定感も抜群である。
どんな芸術であれ、食べ物や飲み物をモチーフとして扱ったものは、一見しておいしそうに描かれているかどうかでその作品の印象が決まる気がする。本来であればカエデとビールの色の対比や「広がって」からの視点移動の効果に言及するべきなのだろうが、この歌は「明るく」によってどう足掻いてもビールが美味しく見えてしまう。ずるい。
一首の中でくどくならずに動的平衡を見せられるということに感動する。下の句の言及の対象が噴水自体ではなく、噴水の影であるためにくどさが取り払われているような印象を受ける。噴水の影が「地面にまとまっている」という描写で噴水本体の動的平衡を見せてくるのはうまい以外の何者でもないと思う。
以上です。最後になりましたが、津島ひたちさん短歌研究新人賞次席おめでとうございます!京大短歌の、しかも同期が結果を出しているととても刺激をもらえます。わたしも負けてられないな。