30首連作『カストラート』(第35回歌壇賞候補作品)
カストラート/早瀬はづき
うらごえは帯を焦土にかえていく声帯という二本の帯を
かんたんに干からびるから雄雌がない生き物は 塩きらきらと
断面が似ているだけで腎臓のかわりに瑪瑙はなりはしないね
しろたえの負晶のはいった水晶をうすぐらいから玄関におく
わたしの髪を侵していったこの雨がきみをぬらしてくれますように
調弦をすればそのあと手にのこる木のにおいごとひく二胡の弓
きみが生まれる前のひかりを受けながらねむったことをおぼえていない
恋人はわたしの墓標と思いつつ湯船のお湯をすくってもどす
あたたかい水にさらして両脚が木のオールなら朽ちてゆくだけ
とんぷくがはなやぐまでをいくたびかメトロノームはテンポをかえて
ねむたさは花がひらいてゆくように来てねむるときつぼみにもどる
ゆめに見るおおきな窓のある部屋にピアノは屋根をひらいたままで
風の色が消えれば冬できみの住む坂がたくさんある街へ行く
犬にしか名前をつけたことがない さくら並木のなべて裸木
呼ばれればきみの前世が夭逝のカストラートと信じてやまず
わたしは利き手をきみは利き手じゃないほうの手をつないだら一対の羽
影の脚は足からのびて きみがいないふたつの冬がわたしにはある
水仙の開花を歌にたとえても聖歌はしらないから歌えない
たそがれの真冬の底のぶらんこの椅子がいちばんつめたい椅子だ
どの犬も去勢ののちに黒い眼をあかるく/くらく濡らしつづけて
胎内で消えたわたしの片割れを 双子座の月にうまれたきみを
おたがいに隆起のゆるい喉元を前世にふれるようにふれあう
きみがきみの一人称を決めるとき変わる水位のことを教えて
煮沸した水が温度をてばなしていくのを朔の夜に見ている
飲むときのそれはきれいな喉ぼねのうごきをわたしだけに見せてよ
心臓はいわば根だよねふれようとしてもすぐにはふれられなくて
男でも女でもない性の子をきみと産みたいすずしい夜に
(でもそこに子宮はなくて)てのひらを当てられるたびあふれる硅砂
ゆびきりはおたがいに火をわたすこといちばん燃える指をからめて
ラベンダーのお香を焚いて身の裡があかるいことを信じてねむる
※一部改作しています。