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「ひととき」の特集紹介

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旅の月刊誌「ひととき」の特集の一部をお読みいただけます。
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#ひととき特集

作家・澤田瞳子さんと、人に寄り添う美しき観音像を訪ねて|[特集]湖北、観音の里へ(滋賀県長浜市)

仏像巡りの前に訪れたい、高月観音の里歴史民俗資料館 林の間をするすると一直線に上るリフトを降りて、土の道を進むと、標高421メートルの賤ヶ岳の山頂に着いた。眼下には、濃い緑の山々と広大な琵琶湖。水面にはさざ波が立っている。竹生島は見えるが、対岸はかすんでいて見えない。古代の人々は「淡海(近江)」と呼んだ。右手には「鏡湖」といわれる余呉湖が青く輝いている。戦国時代、ここが激戦の場だったとは信じられないほど、静かで穏やかな風景だ。  琵琶湖の北、湖北地域は、畿内と東海、北陸を結

村井美樹さんと行くきらめく丹後鉄道紀行|〔特集〕京都発、観光列車で巡る夏

海に向かって出発進行! スタートは京都駅の31番ホームから。乗り込むのは特急「はしだて」5号、天橋立行き。この列車は「丹後の海」と名付けられた美しい車両で運行されている。  日本海の中でもひときわ澄んだ藍の色、丹後の海原を映したようなメタリックブルーの車体が「これから、海に行くぞー!」という気分を盛り上げてくれるのだ。村井さんは? とホームを見回すと、発車前の列車とツーショット。その手もとを見ると可愛いこけしがニコッ。 「旅に出る時はいつも、行き先や、列車の色に合わせたこ

[有田焼]開国を契機に世界へ|幕末・開化期、佐賀の万博挑戦

 有田の人々の目が、ふたたび海外に向いたのが幕末だった*。通商条約が結ばれて自由貿易が始まり、ジャポニスムのブームや万博への出展も相まって、有田焼は世界に返り咲いていく。  1870(明治3)年にはドイツ人技術者のワグネルが有田に招かれ、西洋の先端技術を伝えた。鮮やかな青や緑、桃色、黄色など、発色のいい西洋絵具が導入され、有田の人々の製作意欲は上がった。  幕末のパリ万博の次が、1873(明治6)年のウィーンだった。明治政府は新生日本をアピールしようと、威信をかけて大規模

浅草のすき焼き文化を牽引する名店「ちんや」へ|浅草鍋めぐり

 食いしん坊の父は、外食で覚えた味を家で蘊蓄を傾けながら家族に食べさせるのが好きだった。鍋もよくやり、すき焼きともなると、肉やねぎはあの店で買えと指令を発し、大晦日も正月もすき焼きを囲んだ。食を通じての団欒にはひとつ鍋を囲む鍋ものがいいが、とくにすき焼きはおすすめ。肉を入れるや、座は静まり、誰もが鍋を見つめ、このとき心はひとつになる。肉、脂、ねぎの風味が醤油と砂糖にくるまれて放つ香りに、人は誰も抗えない。わたしがすき焼きこそ日本の最高のごちそうだと思い、“すきや連”を主宰する

【小田垣商店】黒豆一筋、300年の老舗(丹波篠山市)

 丹波篠山市には、老舗の黒豆専門店がある。1734(享保19)年、鋳物師の小田垣六左衛門が金物商として始めた小田垣商店は、丹波の黒豆の歴史に関わってきた。  1868(明治元)年、6代目店主となった小田垣はとが、金物商から種苗商に転業。黒大豆の種を農家に配り、栽培法を教えて、収穫された黒豆を生産者から直接仕入れ、俵に詰めて販売を始めた。1941(昭和16)年には、当時の兵庫県農事試験場によって、黒大豆の優れた品質と特性調査が行われ、「丹波黒」と品種名が定められた。ところが、

【駿府の工房 匠宿】静岡の伝統工芸に触れる|林家たい平さんと楽しむ駿河和染

駿府の工房 匠宿駿河和染、駿河竹千筋細工や漆など、今川・徳川時代から静岡に伝わり、いまも大切に受け継がれている伝統工芸の数々に触れられ、体験もできる。伝統工芸の体験施設としては国内最大級。広い施設内の各所に匠の技がちりばめられているので散策も楽しい。 地元・丸子の養蜂場の蜂蜜を用いたドリンクなどが味わえるカフェ「HACHI & MITSU」、地元の名店の味を引き継ぐ「蓬きんつば ときや」、クラフトビールなど食も充実。静岡みやげも揃う。 型染体験~「ミナ ペルホネン」の描き

【駿府の工房 匠宿】お茶染めでサスティナブルな染物を|林家たい平さんと楽しむ駿河和染

丸子宿~東海道五十三次 二十番目の宿場 丸子宿にある「駿府の工房 匠宿」。鷲巣恭一郎さんは、工房「竹と染」内の和染の工房長になって1年余り。静岡の茶葉を使った独自の染物を編み出したパイオニアで、「お茶染めWashizu.」を立ち上げた。 「紺屋町にあったうなぎの寝床みたいに細長い家に育ったんです」。半纏やのれん、幟など印物と呼ばれる型染を請け負う紺屋は、染めの作業で布を張るため細長い土間が作業場で、鷲巣さんはその五代目に生まれた。病に臥した父の後を継ごうと決めたのは21歳。

新年特別鼎談「京都──動物アートの魅力」@京都国立博物館

神社にいる狛犬は……金子信久 今日は動物の美術のお話を面白くできるといいなあと思って参りました。京都国立博物館は動物アートの宝庫ですよね? 淺湫 毅 例えば当館には獅子と狛犬がたくさん寄託されているんです。獅子と狛犬は私の専門分野である仏像ではないので、赴任前はあまり詳しくなかったのですが、縁起物ということでお正月に獅子と狛犬の特集展示をすることがありました。慌てて勉強しましたが、これが面白くて。 金子 獅子と狛犬は日本人にはおなじみの存在ですよね。 淺湫 ええ。でも、

風船みたいなぷっくり象(養源院・俵屋宗達『白象図』)|京都 動物アートをめぐる旅

「涅槃図には動物たちがたくさん描かれているでしょ。お釈迦様の死を動物たちが泣いて悲しんでいる絵。とくに象は、大きな体をよじるようにして、おいおい泣いている。あれを見るとすごくきゅんとしてしまうんです」  京都に向かう新幹線の中でそんな話をしてくれた金子信久さん。動物を探しながらの京都美術散歩のトップバッターは、洛東にある養源院だった。1594(文禄3)年、豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の追善のために建立した寺である。 「ここには、俵屋宗達が描いた素晴らしい白象がいるん

和紅茶に浸る旅 鹿児島・知覧でアフタヌーンティー(TEALAN薩摩英国館)

「べにふうき」は人を夢中にさせる力があるらしい。枕崎に隣り合う知覧の田中京子さんファミリーはTEALAN薩摩英国館というティーサロンで紅茶文化を発信するだけでなく、「べにふうき」を無農薬で自園自製し、「夢ふうき」の商標登録を取得。さらに前記と同じコンテストに出品し、三つ星金賞を受けている。  リーダーはグレイトマザーの京子さん。地元の開業医夫人として知覧活性化計画に関わっていた頃、三女が留学中のロンドンへ家族旅行し、長女・真紀さんともども紅茶にはまってしまう。そこで、幕末以

港町が育てた神戸のパン文化【フロインドリーブ】

歴史ある京都の地で花開いているパン文化。しかし歴史を紐解けば、西のパン文化は神戸からはじまったようです。  神戸はいわずと知れた港町。今も残る北野の異人館街を訪ねれば、港町として発展してきた歴史に触れることができます。幕末・明治の激動の時代。しかし神戸の人々は、未知の世界からやって来た異文化を、恐れるのではなく好奇心と寛容さをもって受け入れ、楽しみ面白がり、取捨選択しながら取り入れていきました。そして独自の神戸文化を、しなやかに洒脱に築いていったのです。 パンが刻む神戸市

教えて!木造モダニズム建築の傑作・日土小学校をつくった松村正恒の魅力|八幡浜(愛媛県)

日土小学校との衝撃の出会い 1994(平成6)年、ある建築雑誌の取材で初めて日土小学校を訪れた花田佳明さんは、夢中で写真を撮り続けたという。同行した編集者には「泣きながら写真を撮っていた」と笑われたそうだ。 「日土小学校を訪れる直前まで、松村正恒という建築家の名前さえ知りませんでした。でも日土小学校をひと目見た瞬間に、ガツンとやられてしまった。非常に理知的な構成なのに、あらゆる空間が子どもの居場所として設計されている。ほんとうに驚きましたね。神戸の自宅に戻ってからも、あの日

モダニズムの建築家・松村正恒流「学校らしくない学校」へ(愛媛県・八幡浜)

旧川之内小学校 通っていた小学校の校舎を、覚えていますか?  私たちがこれまで過ごしてきた多くの建物のなかで、とりわけ懐かしく感じたり、その細部まで鮮明に思い出したりすることができるのは、小学校ではないでしょうか。あの頃の記憶の蓋をひとたび開けば、好きだった子の笑顔やしでかした悪戯、先生のしかめっ面などが次々と飛び出してくるようです。いい思い出も、ほろ苦い思い出も――。 東京からUターンした「年中無休建築士」思い出に残る学校を創りたい、半端者の戯れごとです、人の心にしみる