モダニズムの建築家・松村正恒流「学校らしくない学校」へ(愛媛県・八幡浜)
旧川之内小学校
通っていた小学校の校舎を、覚えていますか?
私たちがこれまで過ごしてきた多くの建物のなかで、とりわけ懐かしく感じたり、その細部まで鮮明に思い出したりすることができるのは、小学校ではないでしょうか。あの頃の記憶の蓋をひとたび開けば、好きだった子の笑顔やしでかした悪戯、先生のしかめっ面などが次々と飛び出してくるようです。いい思い出も、ほろ苦い思い出も――。
東京からUターンした「年中無休建築士」
思い出に残る学校を創りたい、半端者の戯れごとです、人の心にしみる、焼きつく、生やさしいことでは、ありません*。
愛媛県の西端、対岸の大分県へ腕をぐんと突き出したような佐田岬半島の付け根に位置する八幡浜市。ここに、こんな言葉を残した建築家がいた。自ら無級建築士、あるいは無給建築士と称した松村正恒[1913〜1993]である。
「ときには、『年中無休建築士』なんて自称していたこともあるそうですよ」
そういいながら迎えてくれたのは、八幡浜市教育委員会・生涯学習課の宇都宮菜乃さんだ。
松村正恒は、1960(昭和35)年、「文藝春秋」5月号で、前川國男、丹下健三らと並び、「日本を代表する10人の建築家」に選ばれた著名な建築家……と聞いている。だが、今やその名は、一般にはほとんど知られていない。
「松村は、東京の建築設計事務所に勤めた後、戦後は故郷・愛媛県に戻り、八幡浜市役所の職員として設計の仕事をしました。東京というメインストリームで活躍した建築家ではないですからね」
1913(大正2)年、松村は八幡浜市の東隣にある大洲市に生まれた。ちなみに松村は丹下健三と同い年である。丹下が後に重要文化財に指定される広島平和記念資料館本館に着手する数年前、松村は東京からふるさとにUターン。34歳で八幡浜市役所に就職し、以降47歳で退職するまで、小学校や病院関連施設などの公共建築を設計した。
「松村建築の小学校のうち、現存するもっとも古い小学校にご案内しましょう」
八幡浜市の中心から東へ、千丈川に沿って走る国道を車でゆくことおよそ15分。「耕して天にいたる」といわれるほど、山全体を覆うみかんの段々畑に目をみはるうちに到着したのは、緑したたるみかん畑を背にした木造校舎だった。
子どもの視点にたって小学校を設計する
「松村が設計し、1950(昭和25)年に完成した旧川之内小学校です」
木造2階建て、屋根は寄せ棟の瓦葺。宇都宮さんの先導で、山道を下って校舎の裏側からお邪魔する。
なぜ裏側から? と思いながら宇都宮さんの後ろをついていくと、目の前に現れたのは、寺院によくある濡れ縁のような、吹きさらしの長い廊下だった。「ここが昇降口に当たります。児童も先生もみんな、ここから校舎に入りました」
えっ! 昇降口に扉も壁もない学校?
「松村は、学校らしくない学校を建てたいと話していたそうです。先生がいちばん威張っていて、その権威を誇示するためのいかめしい学校は好みではなかった。だから松村が建てた学校には、立派な玄関をもつものはひとつもありません」
武家の血をひく旧家に生まれた松村だったが、2歳で父を亡くすと、祖母に引き取られた。その後、里子に出された時期もあった。後年松村は「(小学校の)入学式にも一人で行った」と回想している。こうした寂しい子ども時代の記憶を抱えた松村は、徹底的に子どもの視点にたった学校建築を目指した。
廊下の上部にはずらりとガラス窓がはめ込まれている。そこから入るやわらかな自然光は、廊下を抜けて教室にまで取り込まれるよう計算されていた。教室にはさらに校庭側の窓からも光が入る。
「電灯が十分に普及していなかった戦後間もない頃の学校では、教室は今よりもずっと暗かった。できるかぎり明るい環境で子どもたちに勉強してほしいと願った松村は、校庭側と廊下側、両面からの採光というアイデアを思いつきました」
なんと優しい光なのだろう。
温かく、どこか懐かしい モダニズム建築の小学校
残念ながら川之内小学校は2015(平成27)年3月、過疎化により閉校した。廊下を歩くと、ぎいっと音がする。しかし廃墟のような雰囲気は少しもない。そこにあるのは、子どもたちがいた明るい気配と時間の堆積である。
運動場の真ん中に立って、正面から校舎を眺める。ここで改めて、松村がモダニズムの建築家だったことを思い出した。ガラスの水平連続窓というモダニズム建築*の特徴が見てとれたからだ。しかし、ガラスや鉄などを多用して装飾を排し、ときに「白い箱」と称されるクールなモダニズム建築とは、その印象をまったく異にする。温かく、親しみがあって、そして懐かしい。ここに通学した経験があるわけでもないのに、ひどく懐かしいのだ。なぜだろう――?
「次は、松村建築の傑作といわれている小学校へご案内しますね。もしかしたらその謎が解けるかもしれませんよ」
校舎正面の小さな出入り口には、「明るいあいさつ楽しい一日」という標語が今も掲げられている。子どもたちの朗らかな声に背中を押されるように、次の小学校へと向かった。
――この旅の続きは本誌でお読みになれます。木造モダニズム建築の傑作とされる日土小学校は、改修され、今も子どもたちが通っています。やわらかな自然光あふれる教室、小さな歩幅にぴったりの階段、随所に使われているパステルカラー。松村が目指した「学校という器ではなく、子どもたちの居場所そのものをつくる」という空間をぜひお楽しみください。彼の足跡が残る八幡浜の歴史、現在進行形で活躍する八幡浜の人々も紹介いたします。
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協力=花田佳明 文=橋本裕子 写真=荒井孝治
出典:ひととき2022年8月号
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