《毒親育ちの書き殴りメモ》両想いは恐怖。気絶すらする。
私の場合だけど…。
まだ、ちゃんと文章に出来ない。
この恐怖。
ただのメモ書き。
(複雑性PTSD、被虐待、毒親育ちであることに起因する症状だと自分は解釈している)
私は昔から恋愛が出来ない。
もちろん、『このひと素敵だな』とか『このひとのこーゆーところすごいと思うな』とかはある。
もちろん、見た目や内面に対して『なんてカッコイイんだろう!』と感動することもある。
『好き』という感情を相手に持つことはある。
『そばにいられたらなぁ』、『もっと近くにいたい』とかも思ったり出来ます。
しかし、片想いはできても両想いにはなれない。
というよりも…、両想いは怖いのだ。
『愛してる』と言われることと『お前いらない』と言われることはセットなのだ。
いまだに、いまだに。
中学生の頃、年スパンで好きだった男の子に私はバレンタインのお菓子を渡したことがある。
1ヶ月後その男の子から『下駄箱のとこで待ってるから』って言われたのに、私は行けなかった。
両想いだって、私 知ってた。
一緒にいるのが楽しかったし、本当にその子のこと大好きだった。
『なにバカなことしてるんだよ』と言いながらも、めっちゃ笑顔で構ってくる。
彼は雑な言葉遣いに反して私を貶したりはしなかった。
すごく勇気を出して、私は告白したんだもん(確信犯が勇気とか言ったらアカン)。
私のためにお菓子を用意して、下駄箱のとこで待ってるって…
私は嬉しかったのに、怖かった。
『待ってるから』
その言葉を聞いた途端、私は彼の顔を見られなくなった。
捨てられる!
捨てられる!
捨てられる!
捨てられる!
捨てられる!
捨てられる!
私の頭の中では眩しい光の小さな爆弾が何十発も同時に爆発した。
あのまま、私はその男の子と一言も喋ることなく卒業した。
3年間は長かった。
向こうからしたらワケわかんないし、それこそトラウマになったかも知れない。
向こうだって、私から好かれているという確信があったはずだもの。
私は『傷つけてごめんなさい』ってずっと思ってきた。
いまだに思い返しても泣けてくる。
私は…ちゃんと、下駄箱のとこ行きたかった。
その後は恋愛っぽいことが出来なくなった。
15~6歳からは、母が割って入ってくるばかりで私は成人しても男のひとをまだ知らなかった。
成人してからも、母から離れてからも、私は男性に好意を寄せられるのが怖かった。
まだ怖い。
理由はわからなかったけど、男性に好意を寄せられていると悟った瞬間、卒倒したこともある。
運悪く、私は後頭部を強打して気を失った。
たぶん、私には『安心して愛された経験』がなかったから怖いんだと思う。
幼い頃から、ひとは恐怖対象。
『可愛い可愛い』といままで私を撫でていた手は、いつ私をぶつかもしれない。
私にとって、好意を寄せられることは危険なこと。
…私を見ないで。
…私なんかを見ないで。
自分が傷つくのは怖い。
捨てられる悲しみは深い。
私が逃げたら、捨てたことになる。
わかってる、わかってるよ…。
『愛してる』と『お前いらない』はセット。
私は男の人に『好き』と言われると身構える。
『いらない』と言われる気がして身構える。
『…私も』って言えない。
言いたかった。
『私も好き』って。
めちゃくちゃだ。
あんまり好きじゃない人は平気。
たぶん、私がかつてお付き合いしたひとのことはあんまり好きじゃなかったんだろうな。
本当に好きな相手、本当に関係を保ちたい相手からは、私は逃げてしまうから。
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