永遠はその時そこにある ~ BUMP OF CHICKEN「花の名」
言えない事なのにどうして伝わるんだろう
簡単な事なのにどうして言えないんだろう
言えない事なのにどうして伝わるんだろう(一部引用)
大好きな写真家に星野道夫さんという方がいます。星野さんは、写真だけではなくて、エッセイ・文章表現においても素晴らしい作品を残しています。
そのまま、ありのまま、見たり感じたりしたことを表現しているためか、じわりと心に迫ってくるような、そんな文章が多くて、読むたびに何か気付きがあるんです。
たとえば、「旅をする木」という書籍からの引用をいたしますと、、
アラスカの深夜。
今にも降ってきそうな星空を友人と2人で見上げている場面。
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。例えば、こんな星空や、泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろう。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるか?って」
「写真を撮るか、もし絵が上手かったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな。」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・ その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。」
(「旅をする木」から一部引用)
感動を「言葉に置き換えるのではなく」、その感動を媒介にして「自分が変わっていくこと」。そうすることで、自然と相手にも、その想いが伝わっていく。
言えない事なのに伝わっていく、、ということですね。
そのメカニズムをこんな風に考えてみました。
人は大部分(70%くらい?)が水で出来ています。何かに感動したその想いは、自分の身体の中に波紋をつくる。その波紋が、隣にいる大切な人の身体にも影響を与えていく。水面で波紋が広がっていくように。
以心伝心、生き物同士のコミュニケーションの根幹はこういうものかもしれません。目に見えない感情も、発生される声や言葉も、波長となって伝わっていく。
これがまさに、
言えない事なのに伝わっていくということ
だと感じています。
一緒に居た事は忘れない
一緒に見た空を忘れても
一緒に居た事は忘れない(一部引用)
言えないのに気持ちが伝わったとしても、、
目に見えないが故に、あまりにも大きな感動、心の共鳴の具体的なイメージや感覚は、年月ともに薄れていってしまうのかもしれません。
一緒に見た空のイメージのように。
しかし、そこに一緒にいたという事実と、そこでの感動の記憶は消えることなく、永遠にそこ(自分自身の体内)に在り続けるのでしょう。
それは、一緒に居たことは忘れないということと同じ。
迷わず一つを選んだ
出会いの奇跡。
出会ったという事実に加え、お互いの感動や感情を共有していくことで。
心の奥底でつながっているような、お互いが生きる支えとなるような、、そんな関係を築いていくことで、出会いという1つの出来事は、出会いという1つの奇跡に変わっていくのでしょう。
2つの波紋が出会うと、さらに大きな波紋になり、さらには1つになっていくように。
それは、世に無数に存在し、咲き誇っている花の中から、自分にぴったりな1本を見つけ出せたということなのだと思います。出会いの奇跡、必然の出会い。
2人だけに聞こえる歌がある
自分が変わっていくことで、相手もまた変わっていく。
波紋が大きな1つの輪になった時、そこには、もはや複数形は存在せず、単数形、つまり、2人で1つという状態だけが存在することになります。それはやがて薄れていく記憶ではなく、永遠にそこに在り続けていくもの。
あなたが私を知っていて、わたしもあなたを知っている。お互いにだけ聴こえる歌がある。
永遠とは、フィクションの世界の概念とも思える言葉。
でも、永遠はその時、たしかにそこにある。