【再掲】90年代の日本ロックシーンを辿る旅ver.1 / バンドブームが去った後には、、 / ユニコーン、B'z
日本の90年代も喪失から始まった
90年代に入るころ、日本ロックシーンからは、ボウイ、レベッカ、RCサクセションという伝説が、「灰と蜃気楼の彼方」に去っていきました。
また、レベッカの初期メンバーだった、小暮氏が結成した「レッドウォーリアーズ」もレベッカに歩調を合わせるかのように終焉。
山口県出身のKATZEも、新しい90年代を見たいという言葉を残して解散。
日本の90年代も、世界の音楽シーン同様、喪失から始まったのです。
バンドブーム
そして彼が去った後、彼らを愛していた当時の中学生、高校生がバンドを相次いで結成、バンドブームが訪れます。
結論をいうと、このブームを経て、第一線に躍り出たバンドはあまり多くなかったのが実情。
それこそがこのブームの本質を表しているような気がします。
ただ、世の中に、バンドをしたい!という若者が増えていたこともまた真実であり、その面々の将来の希望になっていったという面ではこのブームも意義があったと思います。(思いを歌にして吐き出したい!!!なんていう若者の叫びの解法の一つとして。)
90年代は、音楽的に「多様性元年」だったのかもしれません。
では、このバンドブーム後。
日本の90年代ロックシーンはどのようなものだったか。。。
今回はそれについて触れてみます
今回は、、、
90年代も継続して活躍したバンドたち
世界の音楽シーンは、ダークでヘヴィなものに変わっていきましたが、一部、それとは違う動きを見せた国があります。
一つは英国で、この国ではブリットポップというジャンルが隆盛を極めました。
そして、もう一つは日本です。
日本では、80年代の名残からダンス音楽(ユーロビート)を取り入れた小室系音楽が流行ったと思いきや、、、
あっというまにメインストリームから外れてしまいます。
その後、宇多田ヒカルが牽引したR&Bチックな音楽がシーンに踊りでます。
その歴史の中で、ロックにカテゴライズされる面々はどのような活動をしていたのか。
ユニコーン
まずは奥田民生さんのユニコーン。彼らにとっての全盛期は90年代前半ですね。
1、ユニコーンの進化その1、ハードポップからの楽しいポップ路線へ
もともと哀愁のハードポップ路線だったのが、2枚目のアルバムから、こういった要素に、「楽しく騒ぐポップ路線」が加わって、広く知られる彼らの個性満載の時代に入ります。
「Maybe Blue」
デビュー作収録の永遠の名曲。初期はハードポップが素晴らしい。最新ツアーでも演奏したようですね。何度聞いても素晴らしい。
いっぽう、セカンドアルバムにはこんな感じの曲が。
「I'm a Loser」
ユニコーンのこれからを象徴する「楽しく騒ぐポップ」が登場。
「Sugar Boy」
その中でも、こういったハードポップも混在。デビュー作の名残がある曲ですね。
この時点の彼らは、「ハードポップ」と、「わかりやすい日本的なロック」の合わせ技ということで、十分音楽的には個性的だったんです。
でも、彼らは、さらに磨きをかけていきました。
2、ユニコーンの進化その2、ニッポンの世相を反映した歌詞
この路線の先に、さらに彼らを特徴づける要素が加味されてきました。
それは「現代日本の経済事情を歌詞に盛り込む」ということ。
当時は、バブル前後でもあり、サラリーマンの悲哀が映画や文学などでも描かれていて、「マルサの女」とか、、なんとなく大人の世界に哀愁が漂っていたのですが、彼らはそれを哀しみではなく笑い飛ばす方向に持っていたんです。
当時、小学生から中学生でしたけど、思えば、当時の大人社会にはなんとなく、忌避感があったような気もします。そんな大人になりたくない。サラリーマンにはなりたくないといったような。
その発露がブルーハーツだったり、忌野清志郎だったり、尾崎豊だったりしたんでしょうね。時代は、その時の人々の想いを体現させるアーチストを世に送り出すものなのかもしれないですね。
(この辺りは、日本ロック史拾遺シリーズ(番外編)で書こうと思います。)
この頃のユニコーンといえば、やはりこの曲。
「大迷惑」
上司に逆らうと左遷されて、住宅ローンが払えないから辞められない。。という、、なんともリアルで、今でも社会にはびこっているような内容を表現した歌詞。
当時、小学生でしたが、、なんとなく、大人は大変なのであるなあと。。嫌だなあ。。と思っていたものです。。笑
「人生は上々だ」
当時としては、、禁断の愛。。良くわかってなかったですけどね。。。
「働く男」
かなりレベル高い方の会社、、同じ職場で気になる女性にアプローチしたいけれど、、、、オフィスラブですよね。。これもまた、小学生や中学生には背伸びした世界
「スターな男」
そんな日常を忘れてしまえ!とばかりに。。
こういった楽曲の要素は、奥田民生さんのソロにも受け継がれているような気がしますね。
今にして思えば、ユニコーンの楽曲から受けるイメージは、そのまんま大人社会を想起させていて、僕らは、彼らの曲を聞きながら、近い未来に訪れるであろう世界を垣間見ていたのかもしれません。
この路線に、ハードポップ風味が残っていた時代までが全盛期ですね。
その他、「PTA」とか、「ハブ・ア・ナイス・デイ」とか名曲が目白押しでした。
彼らはこの路線で落ち着くかと思いきや、今度は、、
3、ユニコーン解散前の最終形態、フランクな日常を載せた楽曲へ
だんだんと、この「現代日本事情」を外から見ていた視線が、内側に入り込んできて、徐々に、素朴な感じ、、つまり、あけっぴろげな日常を、楽曲に盛り込んできました。
いわば、ロックというよりは、「暖かい音楽」に変わっていったのが解散前の後期ユニコーン。
たぶん、これが彼らの本質なのだと思います。
「開店休業」
「素晴らしい日々」
、、、この変化の背景には、おそらく彼らの年齢や生活環境の変化もあったのでしょうね。年齢が30になろうとする時期には、これまでの事を振り返るタイミングでもありますし。。。
そんなこともあったのか、、、というわけで90年代半ば、ユニコーンはその歴史にまず、幕を下ろします。
2000年代に入ってから復活をしていますが、中期~後期の路線を継続していますね。
もう50代になっている彼らですから、音に何かを込めるというよりは、音を楽しむような印象ですね。音を楽しんでいるのですから、おそらくこのままメンバーがある限り活動は続くのではないでしょうか
B’z
このグループの肝はギターの松本さんであることに疑いはありません。ボウイの布袋、レベッカの土橋さん以上の要だといっても過言では無いでしょう。作曲面での貢献度はとても高いですね。
この方、ヘヴィメタルの女王時代の浜田麻里のバックでギターを弾いていたり、TMネットワークのツアーなどにゲスト参加しているなど、いわゆる助っ人、スタジオミュージシャン的な活動をしていたんです。
メタルから、TMのダンサブルなユーロのノリまで幅広かった。
この音の変遷の名残がそのまま、B’zのルーツにもなっている気がします。
ただ、このバンドも初期は音が定まっていなくて、試行錯誤していた感じがあります。
たとえば、「Oh! Girl」のようなポップの名曲もあれば、、「Bad Communication」のような、ユーロビート系のダンス系チューンあり。
「Stardust Train」のような、哀愁のハードポップもありました。(これは個人的に1番の名曲)
3枚目のアルバムまでは試行錯誤の時代ですね。
彼らが変わってきたのは、楽曲で言うと、「Be There」、「太陽のKOMACHIエンジェル」あたりからでしょうか。方向性が定まってきた感じ。松本氏のギターがあくまでも曲の中心にあるような。
アルバムで言うと「Risky」のころですね。
そして、彼が愛するヘヴィメタルやハードロックの要素も次第に加味されていきました。
この頃の曲は本当に思い入れが強くて、「Holy Nightに口づけを」なんて、泣きのギターから始まる、必殺メタルの感どころを抑えた楽曲でしたし、
「Hot Fashion」もダイナミックなロックチューンでした。
「Lady Navigation」も「Guitar Kids Rhapsody」も当時の傑作ですね。
個人的には、この路線の最高峰が、以下の2曲で、メタルの哀愁と、日本の歌謡風味がうまくブレンドされていると思います。
それは「Calling」、「Love Phantom」。
このあと、この路線の先に、松本さんの趣味が全開になってきていて、古き良きヘヴィメタルの踏襲が強まってきていますね。
それはそれで、よいのですが、個人的には初期の頃の哀愁が捨てがたいと思っています。
90年代と言う時代に活躍したと言うこと
90年代は、日本ではバブル崩壊時期にあたります。
新卒の就職難もあり、大型企業の倒産もあったり、地震や火山噴火など天変地異も相次ぎ、新しい時代の門出は、どこか、暗いムードがあったように思います。この時代、彼らはシリアスになるのではなく、あくまでも彼ら自身の個性、やりたいことに忠実に演奏をしてくれていたのだと思います。
そういう意味では、あの時期、音楽の力は意外と大きく世の中に働いていたのでは無いかと想うわけです。
そして、パンクからのメロコア、第1回フジロックからのフェス、と音楽シーンは盛り上がっていくことになります。
そのあたりは後日に掲載します。お待ちください!
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