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初期のレベッカ ~ NOKKOは永遠のプライベートヒロイン 〜 80・90年代日本音楽史「拾遺」Vol.5


以前、リクエストをいただいたので、レベッカ というバンドの初期の音について書いていました。それを加筆・再掲いたします。

初期のレベッカ

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レベッカ は、もともとギタリストの木暮武彦さんが結成したバンドです。

彼はストレートなロックを目指していました。しかし、80年代初頭は典型的なロックは、少し古い過去のものとして、懐かしさをもって語られる存在でした。

たとえば、この時代は、ディープパープルも、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトンなども遠い昔の人という感じで。

では何が流行っていたかというと、いわゆるニューウェーブと呼ばれていた音楽。シンセサイザーをふんだんに使い、音の空間を埋めるような、きらびやかな音。

↓こんな感じ

ちょっと音楽史〜70年代後半の振り返り

70年代後半、ロックが勢いをなくしていくのに合わせて新しい音楽がアンダーグラウンドから出現します。

これは繰り返される時代の流れのようなもので、「あるジャンルが流行する」→「そのジャンルが落ち目になってくる」→「対抗馬として違う視点から別のジャンルが出現してくる」というサイクル。

パンクがそうでしたし、ビートルズもそう。ニルヴァーナのグランジもそうでした。

70年代後半という時代には、古いストレートな、レベッカ創始者の木暮さんが志向していた70年代ロックよりも、「もっとストレートで、もっと不良で、もっと単調でかつノリが良くて分かりやすい音楽」、パンクが登場します。

ニューヨークのアンダーグラウンドシーンで、まず、この発露の予兆がでて(ニューヨークドールズなど)、それが英国のアンダーグラウンドシーンを経由することで花を開きます。

この時代から10数年後、ブラーのデーモン・アルバーンによる「ブリットポップは終わった」宣言でブリットポップが終わったように、

UKパンクの旗手だったセックス・ピストルズのジョン・ライドンが「ロックは終わった」宣言をするんです。これにより、ブリットプップ同様、ロックも古いものとなってしまいました。(このエピソードも英国ロックの「時代は繰り返す」一例かなと思います)

この時のパンクの旗手はセックス・ピストルズ、クラッシュ、ニューヨークはラモーンズなど。。。


ちょっと先の話ですが、この面々の遺伝子は、90年後半再発動します。

商業化し、マスコミのゴシップ番組にまで出るくらいになっていた英国のブリットポップの終焉に合わせて。

再発動の場所は、米国。それが、グリーンデイや、NOFXら。オアシス、ブラーのブリットポップの果てに誕生した、70年代後半のようなパンキッシュな音楽を志向する面々。

そして、これが90年代後半、日本に流入することで、日本でもとあるムーブメントが発言します。

メロコアですね。

代表的なバンドは、ハイスタンダードですね。ハイスタがポップで分かりやすいのは、70年代から続く遺伝子が音楽の中にあるからです。

では、話を70年代後半に戻しまして。。

ただ、パンクも、ロックは死んだと言いつつも、実際、
・さほど大したバンドがいなかったことと、
・単調な曲=拡張性がないということ、
・生活が乱れていて自らの寿命を縮めた、、

などなどで短命のムーブメントに終わってしまいました。

このパンク以降のニューウェーブの面々は、いわゆるポップで、まろやかで、キーボードをふんだんに使った、優しげな音楽を奏でていくことになります。

キーボードが主体になることもあり、テクノロジーとの融合を果たした面々は、テクノポップと呼ばれたり。。総称して、ニューミュージックですね。

デュラン・デュラン、ザ・スミス、初期のU2や、のちにニューオーダーに進化するジョイ・ディヴィジョンなどなど。


彼ら英国の火がメタルの火と同じタイミングでメタル同様英国からアメリカに飛び火し、これが第2次ブリティッシュインベイジョンと呼ばれるに至ります。(1次は60年代のビートルズ旋風のこと)

ミュージックビデオが作られるようになり、カルチャークラブ、A-Ha、ロバート・パーマー、ユーリズミックス、バグルス、ダイアーストレイツあたりが大人気に。


この面々の音に刺激されて、クイーンも音をこっちの方向に変えますし、デイヴィッド・ボウイもベルリン3部作以降はアメリカンポップに寄ってきますし、フィル・コリンズやジェネシスはプログレッシブロックから激しくポップ化。

ポール・マッカトニーやエルトン・ジョンも復活し、彼らが栄光を取り戻したイベントがバンドエイドな訳です。

アメリカではバンドエイドに対抗したのかどうかはわかりませんが、ウィーアーザワールドが奏でられていたという。。

◆80年代についてはこちらも



再びレベッカ初期に

とまあ、こういう時代だったわけですが、レベッカ の木暮氏は、80年初期という当時としてはオールドウェーブと呼ばれていた古き良きロックンロールの体現者。


必然的にレベッカ の初期にはロック調の曲が多くなります。おそらく木暮氏の意図が一番でているのが「Nothing to Lose」。


ストレートです。ただ、ストレートということは、そのままということでもあり、変化球ではないという事でもあり、よっぽど良い曲ができなければ、発展性が見出しにくいという事でもあります。

そういう意味では、女性であるNOKKOと、キーボードの土橋さんが初期から在籍していたのは僥倖だったのではないかと思います。

つまり、ストレートなロックに、当時の最先端のニューミュージック、ニューウェーブをまぶして、さらに哀愁(たぶん、日本人的哀愁でしょうか。演歌とか民謡に隠されている悲しみの体現)、、これがふんだんに含まれている初期の大傑作が、「ウェラム・ボートクラブ」「ヴァージニティ」でしょうか。


そして、デビュー前のサンプル盤でつくられた幻のデビュー曲「ステファニー」

そして、木暮氏が去った。。あのレベッカサウンドへ


この後、木暮氏は音楽性の違いからバンドを去ります。そして残された哀愁と言う要素に、アメリカのニューウェーブ主体のポップ感を加味した事が最終的に「フレンズ」という名曲を生むに至ります。


レベッカ についてはこちらもご覧ください。


木暮氏はその後もストレートなロックの道を歩んだ


木暮氏は、その後、レッド・ウォーリアーズというバンドを結成。ボーカルはダイヤモンド・ユカイ。破壊力のあるストレートなロックンロールを追求していきます。


このバンドももっと評価されていいと思うんですが、、、まあ、ただ、ストレートなロックは音が分厚くて、グルーブ感が強すぎて、すぐには、とっつきにくかったりしますが。まあ、、でも、歴史に名を刻むバンドだとはおもいます。


というわけで、初期のレベッカ のご紹介でした!

🔷最後に、

NOKKOは僕たちの永遠のプライベートヒロイン!


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