あの川が象徴するものとは 〜 「River」 ジョニ・ミッチェル
クリスマスもそろそろ、、ということで、クリスマスにまつわる楽曲を紹介していこうと思います。
川について考えてみます。
川は自然界の中を上流から大海までを絶え間なく流れ行きます。その流れは、時には荒々しく、時にはゆっくりと。しかし、アラスカ地方や北欧、ジョニ・ミッチェルの出身地カナダ北部では、冬にその流れを止めることがあります。
正確には水流の上部が厚い氷に覆われてて、その下では、ゆっくりと水の流れは続いていることになります。
そして、これらの地域では、その凍り付いた川の上で、スケートを楽しむことが日常的。春が訪れ、そんな時期がすぎるころ、氷は一気にその様相を変え、川が再び動き始めます。
そう言えば、、川の流れを人生に例えた歌がありました。見た目は凍りついて動きが無いように思えても、内側では熱い魂が鼓動していて、期が熟せば、凍りを溶かし、人生が動き始める。
寒い冬。
全てが白い雪に覆われて、川の流れをも止める凍りついた世界は、きっと来るべき春への準備段階。
しんしんと、絶え間なく降り続く雪は、きっと新しい世界に自分なりの彩りを添えるために、辺りを白く染めるのでしょう。
この曲では、川を探し続ける女性が登場します。彼女は「冬に凍り付き、スケーティングが可能になる川」が自分には必要だと言い、それを追い求めます。
この女性は、ジョニ自身なのかも知れません。彼女もまたスケートができる場所を追い求めていたのでしょうか。
ふと、向田邦子さんのエッセイ「手袋をさがす」を思い出します。
向田さんにとっての、「手袋をさがす」とは、まだ女性の地位が低かった時代、困難な時代に対して抗うかのような生きる指標を見つけることだったのではないでしょうか?
ジョニ・ミッチェルにとって、スケートが出来る川を探し求めることは、向田さんが手袋を探したのと同じことなのかも知れません。
この曲の中の女性は、過ぎ去りし日々の温もりを、凍り付いた川に追い求めていたのですね。
凍った川でスケートをしていたあの頃は、幸せに包まれて暖かかった。でもその思い出も今は、遠く離れてしまった。今、自分の心はあの川のように凍りついている。。。
ジョニの場合は、どうだったんでしょう?
1971年この曲を含んだ「Blue」というアルバムが発表された年。彼女は何を感じ、何を思い、何を求めていたのでしょうか?
アルバムを聴きながら、歌詞や当時のインタビューなどを探して読んで、そんなことを想像するのも音楽への向き合い方の一つなのかもしれません。