70年代の音楽シーンを辿る旅 Ver.3 (HM/HR視点から) / パンク、ニューウェーブから、NWOBMHへ(ヘヴィメタルの誕生と隆盛へ)
70年代前半の世界の音楽(ロック)シーン
70年代前半は、
1️⃣インプロヴィゼーション(即興演奏)やジャズの要素を取り入れたプログレッシブロックと、
2️⃣アメリカ由来のブルーズをジミ・ヘンドリクスの媒介で英国流に解釈したミュージシャンが活躍。
ポップスからロックへ、ロックからハードロックへ、ハードロックからヘヴィメタルへという流れが見え始めた時期でした。
ロックが各国でメインストリームとなって、定着した時代でした。
エアロスミスはボストンの屋根裏部屋から颯爽と登場。ジョー・ペリーの個性的なリフとスティーブン・タイラーの雄叫びで人気を拍します。
歌舞伎をモチーフにしたメイクで登場したのがキッス。見た目やパフォーマンスは暴虐の限りを尽くしそうなんですが、音楽はいたってなじみやすい哀愁すら感じるハードロック。ポール・スタンレーのメロディセンスが爆発していました。
ポップでクールなチープトリック、アメリカの魂を歌うイーグルス、クラプトンが向かったアメリカ南部にはレーナード・スキナード。
↑南部の魂。サザンロックの雄、レーナード・スキナード。
そしてボヘミアンのラプソディーを歌った吟遊詩人クイーンも登場。頑なにNo Synthesizersとライナーに書いていたとおり、フレディの表現力と分厚いコーラスワークで人気者に。
しかし、、70年代も後半になると様子が変わってきます。
70年代後半の世界の音楽(ロック~ニューウェーブ)シーン
ディープ・パープルはメンバーチェンジの末、なんとメインのギタリスト、リッチー・ブラックモアが脱退するなどし、74年でいったん解散(そしてリッチー・ブラックモアはレインボーを結成)、
ジェフベックはロックからジャズを取り入れたフュージョンを中心に演奏するようになりました。もはやロックではなくなっていきました。
エリック・クラプトンはブルーズのルーツをたどる旅に出てそこで出会ったギタリストと意気投合して永遠の名作「Layla」を生み出しますが、その後、ドラッグ癖が出てトーンダウン。
ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンは精神を患い。。
レッドツェッペリンはなんとか頑張っている状況。
エアロスミスもドラッグ癖で空中から失速しかけてきましたし、KISSはメイクをおとしてマジックが消えていってしまった。
70年代後半に、新たに芽生えてきたものたち
これらに変わり、70年代中盤、後半からは、、
男性的なハードロックに対抗したのか、はたまた将来的には消えゆくさだめのY染色体がそうさせたのか、、、どぎつい化粧をしたいわゆる男性の中性化現象(デイヴィッド・ボウイらのグラムロック、からの、過度なメイク)が引き続き流行、、指揮者バーンスタインが、若者よ音楽に戻りなさいという言葉を発するまでに。
そして、理由なき反抗というか、メッセージなき騒音というか、単に騒ぎたいだけだったように思われるストレートなパンク野郎も出てきます。
このあたりは⬇︎に詳述。
これらは、流行なので、70年代後半の1時期、数年で消え去っていきますが、60年代の遺伝子を受け継いだ70年代ロック・ハードロックを打ち砕くには十分なものでした。
このパンク野郎、グラム野郎やディスコ野郎以降の音楽を当時はNew Waveと呼び、それ以前の古き良きロックはOld Waveと呼ばれるようになります。
ただ、HM/HRを愛する面々からは、レッド・ツェッペリンは支持されていたようで、70年代後半のこの時期でもアルバムはヒットしていました。(やや、当時としては現代風の音になっていますが)
クイーンがシンセサイザー使い始めたのもこの頃。(わざわざアルバムライナーにNo Synthesizers とまで描いていたのに。)ニューウェーブの波は、古き良き70年代アーチストの音楽性にも影響を与え始めていました。
アンダーグラウンドに巣くっていた面々が、、、地上に
60年代の喪失から、70年代は音楽的に大きな成熟を生み出すわけですが、
その一方で、70年代の喪失も生まれており、その喪失したものを愛する人々が英国のアンダーグランドに巣くっていくわけです。
ジャズのセッションのような、プログレッシブロックの複雑な音楽構成とテクニカルな演奏、、アメリカンブルーズの英国流解釈によるハードロックの要素を取り入れた、若者たちが、これらを否定してムーブメントになっていったパンクやニューウェーブをしり目に、ひっそりと英国のアンダーグラウンドな地下社会で産声を上げ、成熟していっていたのでした。
アンダーグラウンドの音楽が成熟し、温度感を増していくと、大きなムーブメントが起きる準備が整います。
かつて、パンクがそうだったように、ニルヴァーナのグランジがそうだったように、、、、
NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL(NWOBHM)
この70年代末、79年という時代に、このアンダーグラウンドの熱量を解き放った人物がいました。
彼が、そのアンダーグラウンドの熱量を解き放ち、はやりのニューウェーブに対抗する意識も込めて、また、このムーブメントを古き良き英国音楽の復権という意味合いを込めて、
そして熱量が解き放たれる日がやってきました。
その先頭にいたのが、アイアンメイデンと、デフレパード
アイアンメイデンは、プログレ直結の複雑でドラマチックな楽曲に、ストレートなパンキッシュな要素を加味したハードロックを兼ね備えたヘヴィメタルバンドとして登場。攻撃性と抒情性が同居した彼らの音楽性は、甘いヒット曲のニューウェーブや、中身のないパンクに失望していた、いくばくかの若者の心を瞬く間にとらえていきます。
デフレパードは、初期こそ、ややプログレの影響もありましたが、英国流解釈によって、哀愁のあるポップ路線を歩み、世界的に大ヒットを飛ばすことになります。
そして、その他、多くのメタルバンドが一気に世に出ていきます。いわゆるバンドブームが英国で起きたわけです。
結果として、90年代初頭の日本のバンドブームや、70年代末のパンクブーム同様、これも流行りもの故、英国では短命に終わります。
ただ、これがアメリカ、特にLAに飛び火して、世界的なムーブメントに生まれ変わります。そして、80年代の隆盛を築いていくことになります。
↓それについてはこちら。
ヘヴィメタル/ハードロックのその後
↑にて、まとめておりますが、90年代に入り、
ヘヴィメタルの重さを司ったブラックサバスは、そのあまりにも大きい若者への影響力によって、グランジが生まれるきっかけとなり、、、
また、「俺たちのバンド名には魔法の5文字が入ってるんだぜ!」(METALの5文字)と言っていたNWOBHM直結のメタルをやっていた、今はスーパーモンスターバンドになってしまったMETALLICAは彼ら自身の音楽性のヘヴィネスへの接近と変容によって
結果的に、彼らの音楽的ルーツの帰結点に登場したグランジや、ヘヴィロックブームの果てに、へヴィメタル(というジャンル)の息の根を止めるに至ります。
時代のはかなさを感じますね。。世界史や日本史にも通じる出来事ではあります。
70年代の遺伝子は、00年以降もいたるところで発動しています。現代は、もはや単純なジャンル分けができない状態になっているので、プログレ、ブルーズ、ジャズ、ロック、メタル、ブラックミュージックなどの遺伝子が混然一体となっています。
かつて、エルビス・プレスリーの登場がロックをもたらしたように、50年代、60年代、70年代、80年代の遺伝子は、クロスオーバーの果てに多種多様な音をもたらしています。音の多様性といいますか。
混然一体となった音を紐解くには、過去のルーツを、過去の単純化されていたジャンルのルーツをたどっていくのが近道です。今にして思えば、自然と過去の音楽を深掘りしていったことが、現代のシーン、現代の音を理解するのに役立っていると感じます。
さて、この企画も
・70年代(3つ)、80年代(2つ:ロックとニューウェーブ、90年代(3つ:ロックとブラックミュージックとMTVアンプラグド)と書いてきました。
続いては、50年代(50年代に融合する黒人主体の音楽と白人主体の音楽の歴史も加味)、そして最後には60年代を語っていきます。
ご期待ください。
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