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【夢千夜】

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どこかで見たことのある書き出しの夢日記集。
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記事一覧

第十三夜

 月も星もない闇の中でも波が泡立つのはよく見えた。流れた血も焼けた肉も何もかも飲みこんで、海は今日も変わらない顔をしている。  奥の部屋ではきっともう酒宴が始まっているのだろう、きちんと閉まらない扉の向こうでちらちらと明かりが揺れ、賑やかな声が漏れ出てきていた。今日襲った船は久しぶりの大きな獲物だったから宴の盛り上がりも格別だ。こんな日に見張りの番だとは運の悪いことだとさんざんからかわれたが、自分はこのちいさな部屋での一人の見張りを好んでいた。  切り立った岸壁に穿たれた窓か

第十二夜

 こんな夢を見た。  薄い靄の中を、自転車を押してゆっくりと歩いている。靄は冷たくて湿っていて、微かに赤みがかっていた。肌をかすめるように流れていく靄の向こうではたくさんの人がざわめいている。靄を通して聞こえてくるそれらの声も重く湿り、何を言っているのかはわからなかった。  進むにつれて周りから聞こえてきていたざわめきは打ち寄せるように大きくなり、いきなりその声に吹き払われるように靄が晴れた。途端に一面のピンクが視界に飛び込んでくる。長く真っ直ぐに伸びる道が目の前に現れ、その

第十一夜

 どさりとゴミの中に落ち込んだらもうもうと埃が舞い上がり、しばらく咳が止まらなかった。飛び込んだときにはそこまで考えていたわけじゃなかったけれど、シズハが言っていたようにもしナラクがずっと底まで続いていたら、咳どころじゃすまなかったに違いない。落ちている間はずいぶん長く感じたけれど、見上げてみたらさっき飛び込んだ扉の位置は、すこし足場でも作ったら届きそうなくらいの高さでしかなかった。でもたとえ上にあがれたとしても、またあそこに戻ってあいつらに殴られるのはごめんだった。  扉の

第十夜

 知らぬうちに家に恋文が届けられていた。  洒落た紙を使うでもなく花を添えるでもなく、ただ無造作にぽんと三和土に置かれていたその真っ白い紙は、読むまではそうと知れなかった。宛名もなしに唐突に書き出されていたが、文の最後に幼馴染の娘の名が記されていたので自分に宛てられたものであるのがわかった。  少し前に娘は越しており、今は隣村に住んでいた。七日の間だけ嫁ぐと言い残してふいに去ったという話を聞いたのは昨日のことだった。娘はいまだに字を知らなかった。記された流暢な字には見覚えがあ

第九夜

 こんな夢を見た。  誰かと手をつないで、旅立つ人たちを見送っている。つないだ手は冷たく乾いていて、なんだかふとした隙にこの手の持ち主まで空に飛び去っていってしまいそうな気がした。半ばすがりつくように両手で固く、その冷たい手を握りしめた。  目の前には大きな船があり、去ってゆく人たちは次々にその中に吸い込まれていく。一列に並んで静かに歩いていった。たまに振り返ってこちらに手を振る人がいたが、声は届いてこなかった。  自分と同じようにこの星に残る人たちが、船の周りを幾重にも取り

第八夜

 チカと二人で、日時計の丘で影踏みをしている。影が長くなるこの時間には、日時計の上で影踏みをするのがここのところの二人のお気に入りだった。  針の影の中にうまく隠れるようにくるくる回りながら、相手の影を縫い止めようと争う。チカと影踏みをするときには鬼は決めずに、互いの影をどちらが多く踏めるかを競った。  日時計の台は卵形をしていて、表面には今ではもう使われていない数字が刻まれている。苔に覆われてそのうちのいくつかは読むことができない。だから本当のところ、これが確かに日時計なの

第七夜

 長椅子の下に転がっていった色鉛筆に手を伸ばそうとしたとき、ふいに楽屋の照明が薄暗くなった。耳を澄ますと先ほどまでの客席のざわめきがほとんど聞こえなくなっている。きっともうすぐ芝居が始まるのに違いない。だのに自分はまだ目の前に散らばった荷物を片付けられないでいる。ぼんやりとした明かりの下で、部屋の中は影ばかりが大きくなって見えた。色鉛筆は見当たらない。  今夜の舞台には気に入りの俳優が出ているのでどうしても始めから終いまで観ておきたかった。それならば古ぼけた絵の具箱だの布の束

第六夜

 こんな夢を見た。  頭のてっぺんからつま先までピンクのコスチュームに身を包み、右手には光線銃を握ってティラノサウルスを追っている。走るたびにピンクのヘルメットがぐらぐら揺れて、邪魔になることおびただしい。今更ながらにナマクラ博士に悪態をついたが、通信機がオンになっていたせいでブルーに聞き咎められてしまった。  スーパー戦隊の一員になって初めて、幼少の頃憧れていたこのコスチュームはなかなかに動きにくいということを知った。足元を固めるピンクのブーツからしてヒール付である。どこが

第五夜

 こんな夢を見た。  自分は青銅の森に暮らす笛吹きだった。笛を吹いては木々の葉を鳴らすのが自分の務めだった。青銅の葉は鳥が止まっても、風が吹いても揺れない。自分が笛を鳴らしたときだけ、その音色に合わせるようにして葉が揺れ動き、青銅の音を奏でた。他にはすることもないので毎日笛ばかり吹いていた。  ある日、男が森を抜けてやってきた。  お前の吹く笛のような音はこれまでに聴いたことがない。お前はきっとゼロに違いないと男は言った。ゼロが何なのかも知らなかったし、自分がそうだとも思わな

第四夜

 この間買ったばかりの羊たちが心配だと母さんが何度となく言う。仕方なく様子を見に行くことにした。夜には誰も見張るものがいないのに、周りにあるのがチカの作った膝くらいの高さまでしかないあの柵では、母さんが不安になるのも無理はない。ランプ杖を持って牧場へ向かった。  もう星が流れる季節になっている。橙の色の尾をひいて、いくつもの星が空を横切っていくのが見えたが、道にはまだかけらも落ちていなかったので杖に星を入れて明かりにすることはできなかった。流星と、青白い月の光を頼りに凍った道

第三夜

 こんな夢を見た。  明後日に迫った夏祭りを前にして、議員どもが頭を抱えている。隣町の議会が町対抗の盆踊り合戦を申し入れてきたのだ。  この町の議会と川ひとつ隔てた隣の町の議会とは、何故だか知らんことあるごとに角突き合わせている。ついこの間は町議対抗・暑さ我慢大会が決行された。大会名称は真夏のコンクラーベだ。狂ってる。  二つの町の議員連中は皆どてらを着込み、七輪をがんがんに焚いた一室の中で鍋焼き饂飩を食らった。七味は一瓶かけて当たり前だ。正気じゃない。うちの町の奴らは脱水症

第二夜

 こんな夢を見た。  海の中に点在する小さな島のうちの一つに自分は暮らしていた。  今日は鰐獲りの日だ。鰐は獲っても食べられるわけではないが、こいつ等は少し放っておくとすぐに育ってしまい、子供を襲ったり漁の網を破いたりするので大きな群れになる前に数を減らしておかないといけない。自分と同じように鰐獲りの番にあたった者たちが、凧に乗るためにぞろぞろと丘へ連れ立って歩いていく。今日は風が凪いでいるから爺たちは一人用の小さなものばかりを塔に繋いでいた。  凧はエイの姿を模して作られた

第一夜

 こんな夢を見た。  自分は友と二人して小さな扉の前に立っている。背後や左右は白い布で覆われていて、自分はどちらからやってきたのか思い返そうとしたがどうしてもわからなかった。どうやらずいぶん長いこと扉の前に立っていたらしい。水浴でもしたのか体はしとどに濡れ、自分と友の足元には滴る水が溜まっていた。寒くはないが落ち着かない。薄暗い中で水は粘りを帯びて体にまとわりついてくるように見える。  古く傾いだ木の扉には、どうやら鍵もかかっていない。上のほうには硝子がはめ込んであるが汚れて